て呉れるから、比較的安全だ。それに反して、電気文明の方は、電気の流れていることが、眼にも見えなければ、耳にも聞えやしない。そして誤って触れると、ビリビリッと来て、それでおしまいである。電気の来ていることが判った次の瞬間には、感電死で、自分の心臓はもうハタと停っている。一度停った心臓は時計とちがって二度と動いてくれない。電気を意識したときには、既に己《おのれ》が生命《せいめい》は絶たれている。これほど、人情のない惨酷な存在が外にあろうか。しかも警視庁は、電気の来ていることについて何等の表示手段をとっていない。電線なんてものは皆|鼠《ねずみ》色か黒《くろ》色で、銅《どう》が錆《さ》びた色とあまりちがわない。こうした眼に立たない色だから、つい気がつかないで電線を握っちまったり、トタン塀《べい》を帯電《たいでん》させたりするのだ。その危険きわまる電線が生命の唯一の安全地帯である住家《いえ》の中まで、蜘蛛《くも》の巣《す》のように縦横無尽《じゅうおうむじん》にひっぱりまわされてある。スタンドだ、ヒーターだ、コーヒー沸《わか》しだ、シガレット・ライターだ、電気|行火《あんか》だ、電気こてだと、電気が巣喰っている道具ばかりが出来て殺人の危険は、いよいよ増加してきた。それに最も戦慄《せんりつ》を禁じ得ないのは、そうした電気器具がほとんど全部といっていいほど、金属で出来ていることだ。金属ほど電気をよく伝えるものはない。それになにをわざわざ、危険きわまる金属を選んで使用するのであるか、警視庁の保安課なんて、一体どんな仕事をやっているのかと言いたくなる。――岡安巳太郎は、色蒼ざめた顔を上下にふり乍《なが》ら、よく憤慨《ふんがい》したものさ。
岡安の電気恐怖病症状については、この上述べると際限《さいげん》がないので、この辺でよしたい。「俺は電気に殺されるに違いないんだ」と彼は口癖《くちぐせ》のように言っていたもんだ。その度《たび》に春ちゃん――これが例のカフェ・ネオンの女給で「カフェ・ネオンの惨劇《マーダー・ケース》」の一|花形《はながた》であるわけだが――から「またオーさんのお十八番《はこ》よ[#「お十八番《はこ》よ」は底本では「お十八《はこ》番よ」]。そんなに心配になるんなら、岩田の京ぼん[#「ぼん」に傍点]に頼んで、いっそ一《ひ》と思いに、感電殺《かんでんころ》しをやってもらえばいいじゃないの、オーさんッ」と、尻上りの黄色い声を浴びせかけられていたものさ。この岩田の京ぼん[#「ぼん」に傍点]、本名《ほんみょう》京四郎というのは、カフェ・ネオンから一丁ほど先にある電気商の若主人で、ネオンの新築当時、電燈や電熱器の配線工事をやった関係があって、それからこっち、客になってはウイスキーを舐《な》めに来たり、また出入《でいり》の電気屋として配電の拡張《かくちょう》工事や、問題のネオン・サインの電気看板の取付けにやって来たりなどして、どっちかと言うとカフェ・ネオンの特別客というわけだった。尤《もっと》も若い男のことだから、美しい女給の誰かにお思召《ぼしめし》のあったらしいことは言うだけ野暮《やぼ》である。話がどうやら脱線の模様だが、京ぼん[#「ぼん」に傍点]に電気で殺して貰えなどと言われると、岡安先生は眼を一ぱい見開いたまま、一同から身を遠ざけるために、隅っこの羽目板《はめいた》へペタンと身体をへばりつけてしまう。そのとき春ちゃんが「ホラ懐中電燈! ホラ、電気よ!」と言って岡安の横腹を、ちょいと突《つ》っつくと彼はキャッと言うような声をあげて三尺ばかり飛び上る、その恰好がとても面白いというので、春ちゃんが、退屈さましにときどき用いる。外《ほか》の女給も人の悪いのばかりで、めいめいの客をほったらかして置いてわざわざこれを見に来るという騒ぎさ。その騒ぎが大きくなりすぎたと思われる頃になると、鈴江という半玉《はんぎょく》みたいな女給が青い顔をして皆のところへやって来る。「あたい、気味がわるいから、キャッキャッ言わせるの、よしてよ」そういうと春ちゃんが、鈴江をぎゅっと睨《にら》んで、何か呶鳴《どな》りたいらしいんだが、そいつをモグモグと口の中に押しかえして黙っちまう。この気配《けはい》に一同もくさっちゃってそれぞれ元の客席へ退散という段取りになるのが例だった。この光景を、見ていて見ていないふりをしている奴に、カウンター兼給仕長の圭さんというのが居る。これは本名を鳥居圭三《とりいけいぞう》という三十五にもなる男でカフェ・ネオンの現業員《げんぎょういん》の中でも最年長者なのだ。こいつは、内々《ないない》春ちゃんに気があるらしい。もっとも春ちゃんはネオンのプリマドンナだから、お客といわず、従業員といわず、なんとかなるものなら是非一度は桃色のチャンスを持ちたいものをと願
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング