と右の方へ傾くと、まだその儘《まま》にしてあったお千代の屍体がぬっと白日《はくじつ》のもとに露出してきたもんだから、見て居た係官や群衆は、わっと声をあげると共に、顔の色を真蒼《まっさお》にしてしまった。その隙《すき》に岡安はとび上って何だかわけのわからぬことを呶鳴《どな》りちらしては暴れていた。「春公《はるこう》の怨霊《おんりょう》め、電気看板に化けこんだって、僕はちゃんと知っているぞ。僕が殺せるんなら、サアここまでやって来て殺してみろ!」彼は電気看板を春ちゃんの死霊《しりょう》と思い誤《あやま》っているのであった。警官は、この気が変になってしまったらしい岡安を手とり足とり連れて行ってしまった。騒ぎがますます大きくなってゆく内に、女給の鈴江と、コックの吉公とが、全く行方不明になっていることが報告された。それ以来、今日《こんにち》に至るまで二人の消息は、警視庁にとどかないのである。警視庁では、その夜、電気商の京ぼん[#「ぼん」に傍点]を釈放《しゃくほう》し、圭さんの嫌疑《うたがい》も晴れた。岡安巳太郎は気がすこし鎮《しず》まったところで、色々と訊問《じんもん》をうけたが、電気的知識に乏しいばかりか、大きい恐怖さえ感じている岡安に、電気殺人ができる筈はないというので、犯人たるの嫌疑《けんぎ》は薄くなった。それに係官は彼のために、電気看板が瞬《まばた》くように見えるのも、その途端《とたん》に電気抵抗のすくない人体《じんたい》の方へ電気が流れるため、電気看板の方には電気が通らぬこととなり、それで一寸《ちょっと》消えるのだと説明してやっても彼には、サッパリ理解がつかなかった。兎《と》も角《かく》も春江|惨殺《ざんさつ》の夜の岡安の行動には、尚《なお》いくぶんのうたがいが残されている。又、彼が、何故《なにゆえ》に、この寒い二時三時という深夜にひとり起きいでて屋上に立ち、カフェ・ネオンの電気看板を眺めくらしているものか、これについて岡安の語るところによると、春江と電気看板の点滅《てんめつ》を合図に逢瀬《おうせ》を楽しんでいたことが忘れられず、今は鈴江と仲のよくなった今日も、毎晩のように十三丁も遠方《えんぽう》から、あの桃色のネオン・サインをうっとり見詰《みつ》めていたそうで、そうした生活が、なにより、彼にとって楽しい時間であり、寒さもなにも感じないと答えた。
 そこでいよいよ取っておきの話をするが、実はカフェ・ネオンの惨劇《さんげき》の犯人と目される春吉と鈴江の関係について、僕が知っていることがある。鈴江は自分の惚《ほ》れている岡安と情人《じょうじん》たる春江とのよい仲に極度《きょくど》の嫉妬《しっと》をおこし、二人の逢瀬《おうせ》が度々《たびたび》屋根裏の物置で行われているのを知ったもので、とうとうたまりかねて、春江を殺す決心をした。彼女はだれにも洩《も》らさなかったが昔、××電気会社で高圧係の女工だった関係で電気の取扱い方を知っていたので、それを利用したというわけだ。兇行前《きょうこうぜん》、同室に熟睡中の同僚を麻睡薬《ますいやく》を嗅《か》がせてよく睡らせてしまい、兇行後には自分もみずからこの薬の力を借りて熟睡に陥り巧みにみんなの眼をごまかしていたものである。
 コックの春吉は、実は殺された春江の従兄《いとこ》にあたる男だが、その関係を隠してカフェ・ネオンにやとわれていた。春江が鈴江に覘《ねら》われていることを感付いてはいたが、とうとう彼の注意の届かないうちに春江は殺されてしまった。鈴江は春江を殺しただけではなく、春江の情人《じょうじん》たる岡安を完全に手に入れ、岡安も春江のことなどを忘れてしまったかのように鈴江と喃々喋々《なんなんちょうちょう》の態度をとった。それでコックの春吉はすっかり憤慨《ふんがい》し、この復讐《ふくしゅう》を計画したわけなのだ。彼は元々《もともと》、極端な享楽児《きょうらくじ》で、趣味のために、いろいろな職業を選び、転々《てんてん》として漂泊《さすらい》をした。その間にも電気の職工にもなって高圧電気の取扱いも知っていた。更にわるいことは、従妹《いとこ》の春江の感電死に遭《あ》ったために、彼の享楽主義は、怪奇趣味にめらめらと燃え上った。復讐手段としては、鈴江を直ちに殺さずに鈴江のやったと同じ手段で、次から次へと若い女を殺して行き、だんだんと嫌疑が鈴江の方に向いて来るような途《みち》をとらせ、思う存分《ぞんぶん》、鈴江を脅迫し恐怖させた上で、最後に惨殺《ざんさつ》してやろうと思ったのである。ところが、その手はじめとしてふみ子を殺してみると、鈴江はたちまち犯人が彼であることを感付いてしまった。二人は睨《にら》み合《あ》いの状態となり、お互《たがい》に持つ兇状《きょうじょう》は、二人を奇怪きわまる共軛関係《きょうやくか
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