るお願いである。新奇なる兵器を作り、わがイギリスの沿岸より発し、独本土へ兵を上陸せしめられたい」
ゴンゴラ総指揮官は、声涙共《せいるいとも》に下《くだ》って、この東洋の碩学《せきがく》に頼みこんだ。すると博士は、
「ああ、それくらいのことなら、至極《しごく》簡単にやって見せるよ」
「えっ、本当に出来る見込みがありますか」
「ありますとも。そんなことは、人造人間戦車の設計などに較《くら》べれば訳なしじゃ」
「おお、それが真実なれば、吾輩は天にものぼる悦《よろこ》び――いや、とにかく大きな悦びです」
「しかしのう、ゴンゴラ大将。それについて、余は、篤《とく》と貴公と打合わせをしたいのじゃが、この席ではなあ。つまり、こう沢山の人々の耳に入れては、それスパイに買収せられた耳も交《まじ》っているかもしれない。二人切りになれないものかな」
「ああ、そのことなら、吾輩としても、願ってもないことです。よろしい。では他の将軍たちを退場させましょう。おい諸君。君たちは一時《いちじ》別室へ遠慮せよ」
さすがに総指揮官の一声で、他の将軍たちは、ぶつぶつがやがやいいながら、ゴンゴラ大将と金博士をそこに残して、元来た扉《ドア》から出ていってしまった。
「さあ、もう一杯、いきましょう」
「すこし廻りすぎたが、もう一杯頂戴するか」
あとは二人が水入《みずい》らずで向い合った。
金博士は、そのとき顔を将軍に近づけていった。
「今誓約したことは、必ずやります。しかし一体、独本土へ上陸といって、どこへ上陸すればいいのかな。ブレーメンかキール軍港《ぐんこう》のあたりまで行かなければ満足しないのか、それともドイツの占領地帯で、お手近《てぢ》かのドーヴァ海峡《かいきょう》を越えて旧《きゅう》フランス領のカレーあたりへ上陸しただけでも差支《さしつか》えないのか、一体どっちを望むのかね」
金博士に大きく出られて、ゴンゴラ総指揮官は、碧《あお》い目玉をぐりぐり廻わし、
「どっちでも結構ですが、一つ早いところ上陸して貰いたいですねえ。ドイツ兵のいる陸地へ、こっちからいって上陸したということになれば、そのニュースは、ビッグ・ニュースとして全世界を震駭《しんがい》し、奮《ふる》わざること久《ひさ》しきイギリス軍も勇気百倍、狂喜乱舞《きょうきらんぶ》いたしますよ」
「狂喜乱舞するかな。それはどうかと思う」
「いや、狂喜乱舞することは請合《うけあ》いです」
「そうかね。そこのところは、余にはよく呑みこめないが、とにかく、上陸作戦をやるについて、予《あらかじ》め種々《しゅじゅ》、貰《もら》うものは貰って置きたい」
「ああ、これは申し遅れて失礼をしました。成功の暁《あかつき》は、博士の測《はか》り知られざるその勲功《くんこう》に対し、いかなる褒賞《ほうしょう》でも上奏《じょうそう》いたしましょう。いかなる勲章がお望《のぞ》みかな。ダイヤモンド十字章《じゅうじしょう》はいかがですな。また、何もイギリスの勲章に限ったことはない。和蘭《オランダ》の勲章はいかが、それともポーランドの勲章は。エチオピヤの勲章でもいいですぞ。それともフランスの勲章にしますか」
「勲章など貰っても、持って帰るのに面倒《めんどう》だから、いやじゃ。それよりも、当国《とうごく》逗留中《とうりゅうちゅう》は、イギリス製のウィスキーを思う存分《ぞんぶん》呑《の》ませてくれればそれでよろしい。今のうちに呑んでおかないと、きっとドイツ兵に呑まれてしまうからね」
「縁起でもありませんよ」
「しかしのう、ゴンゴラ将軍。さっき余が、貰うものは貰って置きたいといったのは、そんなものではないのじゃ」
「え、勲章の話ではなかったのですか」
「東洋人というものは、お主《ぬし》のように、左様《さよう》に貪慾《どんよく》ではない。余の欲しいのは、白紙命令書《はくしめいれいしょ》だ。それを百枚ばかり貰いたい」
博士は妙なことをいいだした。白紙命令書というのは、まだ命令の文句が書いてない命令書のことであった。
「白紙命令書百枚もよろしいが、何にお使いですかな」
と、ゴンゴラ将軍は腑に落ちない顔。
「知れたことじゃ。お主から頼まれた一件を果すためには、万事極秘でやらにゃならん。だから余だけが計画内容を知っているということにするには、白紙命令書を貰ったのが便宜《べんぎ》なのじゃ。尚その命令書には『追《おっ》テ後日《ごじつ》何等カノ命令アルマデハ本件ニ関シ総指揮官部へ報告ニ及バズ』と但書《ただしがき》を書くから、予め諒承《りょうしょう》ありたい」
3
ゴンゴラ総指揮官は、遂《つい》に白紙命令書百枚を金博士に手交《しゅこう》して、博士の手腕に大いに期待するところがあった。
ところが、それから一週間たっても、二週間たっても、金博士が一向動きだしたという知らせに接しないのであった。
将軍のところへ出入する情報局|蒐集官《しゅうしゅうかん》たちは、決《きま》って、将軍から同じ趣旨《しゅし》の質問を受けるのだった。
「おい、金博士の動静《どうせい》についてのニュースはないのか。すくなくとも一巻のニュース映画になるくらいのものは持って来い」
将軍は、金博士の行動のニュースに飢《う》えているのであった。
情報蒐集官たちは、残念ながら、博士についてのニュース材料の持ち合わせがなかった。それで次回から、せいぜい気をつけることにして、金博士の身辺《しんぺん》を猟犬《りょうけん》の如く、或いはダニの如く、或いは空気の如く搦《から》みついて、何を博士が実行に移しているかを調べたのであった。
その結果は、毎日毎夜それぞれの情報蒐集官から、ゴンゴラ総指揮官のところへ集ってきた。
「金博士は、本日午前十時、セバスチァン料理店に現れ、午後二時まで四時間に亘《わた》り昼酒《ひるざけ》をやり、大いに酩酊《めいてい》せり」
「ふん、大いにやっとるな」
と、ゴンゴラ将軍は次の報告書を取上げる。
「金博士は、本日午後二時十五分より、カセイ・ホテルに現れ、飲酒三時間に及べり。午後五時三十分、退出《たいしゅつ》す」
「よく飲むなあ。身体をこわさなきゃいいが……」
次の報告書には、こう書いてあった。
「金博士は、本日午後五時四十五分、ピカデリー街に於て、数名の東洋人に襲撃せられ……」
「おや、これはニュースらしいニュースだ」
と、総指揮官は、思わず前に乗りだして、さてその次を読むと、
「……街上《がいじょう》に於て、ウィスキーのラッパ呑みを強要されしが、それより博士の提案により、会場をコルコット街《がい》裏通りのバー、ホーンに於て一同揃って痛飲会《つういんかい》が開催《かいさい》せられることとなり、同夜午後十一時まで、通計《つうけい》五時間……」
将軍は、苦《にが》り切って、その報告で洟《はな》をちんとかむと、紙屑籠《かみくずかご》へ投げこんだ。
「金博士は、地酒窟《じざけくつ》ランタンに現れ、午後十一時十五分……」
どこまで読んでいっても、金博士が酒を飲む報告書ばかりであった。将軍は、うんざりしてしまった。
気をつけていると、毎日毎夜、集ってくるどの報告書も、飲酒の実績報告ばかりであって、その中に只の一枚も、「金博士は、机に向い、設計用紙を前にして、計算尺《けいさんじゃく》をひねりつつあり」とか「金博士、只今、バーミンガムの特殊鋼《とくしゅこう》工場へ、マンガン鋼《こう》五十トンの注文を発せり」などという工作関係のニュースは入っていなかったのである。ゴンゴラ総指揮官は、飛行機にのって特殊飛行をやってみたい衝動《しょうどう》に駆《か》られて、弱った。
ついにゴンゴラ総指揮官の勘忍袋《かんにんぶくろ》の緒《お》が切れ、警衛隊に命令して、金博士をオムスク酒場から引き立て、官邸へ連れて来させたのであった。そのとき金博士は、へべれけに大酩酊のていたらくであった。
「うーい。こら、こんな面白くない酒場へ引張《ひっぱ》って来やがって。こーら、そこにいる大将。早くジンカクを持ちこい」
ゴンゴラ大将は、仁王様《におうさま》がせんぶりの粉《こな》を嘗《な》めたような顔をして博士のぐにゃぐにゃした肩を鷲《わし》づかみにした。
「これ、金博士。いかに酒好きとはいえ、酒ばかり呑んで、吾輩との約束を無にするとは遺憾《いかん》である」
総指揮官は、極力《きょくりょく》腹の虫を殺して、春の海のように穏《おだや》かに云った。
「おお、お主はゴンゴン独楽《こま》のゴン将軍じゃったな。今聞いてりゃ、聞いちゃいられねえことを余《よ》に向っていったな」
「吾輩は、三週間、いらいらして暮した。その間博士は酒ばかり飲んで暮した。例の仕事には、すこしも手がついていないではないか」
「あっはっはっはっ」と博士は笑って、「お主は、そのことを心配しているのか。余はイギリス人のように、やるといって置いてやらん人間とは違う。疑うなら、見せてやるものがある。さあ、余の右足をもって、力一杯引張れ。おい、早くやれ。酒を飲む時間が少くなる。なにしろイギリス製ウィスキーとも、間もなくお別れだからな。おい、引張れ」
ゴンゴラ総指揮官は、博士に催促《さいそく》されて、床に膝をつき、博士の右足をつかんで、えいと引いた。すると、すぽんと音がして、博士の右脚が、太腿《ふともも》のあたりから抜けた※[#感嘆疑問符、1−8−78]
4
……と見えたが、驚くことはない、実は金博士が右脚に履《は》いていた肉色の超長靴《ちょうながぐつ》が、すぽんと抜けて、ゴンゴラ将軍の手に残っただけのことであった。
「ひゃーっ」
千軍万馬《せんぐんばんば》の将軍も、これには胆《きも》を潰《つぶ》し、博士の一本脚――ではない実は超長靴を、絨毯《じゅうたん》の上に放り出した。博士は、それを無造作《むぞうさ》に拾いあげ、その中に手を入れると、やがて一枚の青写真を引張りだした。
「ゴンゴラ将軍。これをお目にかけよう」
将軍は目をぱちくり。膝の上に青写真を展《ひろ》げて、二度びっくり。
「これは、素晴らしい新兵器だ。一人乗りの豆潜水艇《まめせんすいてい》のようだが……」
「将軍よ。これは初めて貴官と会見した日、宿に帰ってすぐさま設計した渡洋潜波艇《とようせんはてい》だ」
「ああ実に素晴らしい。さすがは金博士だ。これを如何《いか》に使うのですかな」
「これはつまり、一種の潜水艇だが、深くは沈まない。海面から、この艇《ふね》の背中が漸《ようや》く没《ぼっ》する位、つまり数字でいえば、波面《はめん》から二三十センチ下に潜《くぐ》り、それ以上は潜らない一人乗りの潜波艇だ」
「ふむ、ふむ」
「これを作ったわけは、如何なる防潜網《ぼうせんもう》も海面下二メートル乃至《ないし》十数メートル下に張ってあるから、普通の潜水艦艇では、突破は困難だ。また普通の潜水艦艇では、機雷《きらい》にぶっつけるかもしれないし、警報装置に引懸《ひっかか》って所在が知れるし、どうもよくない。そこでこの渡洋潜波艇は、海面とすれすれの浅い水中を快速で安全に突破するもので、つまり水上と防潜網との隙間《すきま》を狙《ねら》うものである」
「ほう、素晴らしいですなあ」
「しかし、これは試作しただけで、余は取り捨てたよ」
「おや、勿体《もったい》ない。使わないのですか」
「駄目じゃ。やっぱり相手方に知れていけないのじゃ。つまり海面と防潜網との隙間を行くものではあるが、こいつを何千何万|隻《せき》とぶっ放すと、彼岸《ひがん》に達するまでに、彼我《ひが》の水上艦艇に突き当るから、直《ただ》ちに警報を発せられてしまう。従ってドイツ本土上陸以前に、殲滅《せんめつ》のおそれがある。これはやめたよ」
「惜しいですなあ。すると、これは取りやめて、以来《いらい》自暴酒《やけざけ》というわけですか」
「とんでもない。余はイギリス人とは違うよ。余は既に、ちゃんと自信たっぶりの新兵器を作った」
「それは、どういう……」
「莫迦《ばか》。現行兵器の機密が、他人に洩《も》らせるものか」
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