ようとは、余の予期せざりしところである」
と博士は、折から空襲実況中継放送中のBBCのマイクを通じて、訪問の初挨拶をしたのであった。
接伴《せっぱん》委員長のカーボン卿《きょう》は、金博士が、あまりにも空爆下《くうばくか》に無神経でありすぎるのに愕《おどろ》き、周章《あわ》てて持薬《じやく》のジキタリスの丸薬《がんやく》をおのが口中《こうちゅう》に放りこむと、金博士を桟橋《さんばし》の上に積んだ偽装火薬樽《ぎそうかやくだる》のかげに引張りこんだ。
「ああカーボン卿、ドイツ空軍のために、こんなに行《ゆ》き亘《わた》って爆撃されたのでは、借間《しゃくま》が高くなって、さぞかし市民はたいへんであろう」
「おお金博士。仰有《おっしゃ》るとおりです。借間の払底《ふってい》をはじめ、そのほかわれわれイギリス国民を困らせることが実に夥《おびただ》しいのです。このときわれわれは、はるばる東洋から博士を迎え得て、千万トンのジャガ芋《いも》を得たような気がいたしまする」
「ジャガ芋とは失礼なことをいう、この玉蜀黍《とうもろこし》め」
と、博士は中国語でいって、
「この空爆の惨害《さんがい》を、余にどうしろというのかね」
「いやいや、余は何とも申したわけではない。博士どの。イギリス上陸のとたんに、ぜひとも御注意ねがわねばならぬことが二つありまする」
「二つ? 何と何とかね」
「一つは、さっき申し遅れましたが、味方の撃ちだす高射砲弾の害。もう一つは、おそろしきスパイの害。――とにかく街上でもホテルでも寝床の中でも、おそるべきスパイが耳を澄して聞かんとしていると思召《おぼしめ》して、一切語りたもうなよ」
「本当かね。まるでわが上海《シャンハイ》そっくりじゃ」
「故《ゆえ》に、物事を、スパイや敵国人のため妨害されないで、うまく搬《はこ》ぼうと欲すれば、それ、決して何人にも機密を洩《も》らすことなく、自分おひとりの胸に畳《たた》んで、黙々として実行なさることである」
「お前さんのいうことは、むずかしくて、余には分らんよ」
「いや、つい騎士倶楽部風《きしクラブふう》の言葉になりましたが、要するに、自分の思ったとおり仕事をやりとげるためには、機密事項は一切お喋《しゃべ》りなさるなという忠言です」
「なるほど、壁に耳あり、後にスパイありというわけじゃね。よろしい。今日只今より、大いに気をつける。
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