。放送局から夜おそく帰ってくるので、父は朝おそく起きるならわしだった。
 だからその朝も、青二は母親といっしょに朝のおぜんについた。茶の間は、台所のとなりで、光線があまりはいらない部屋だった。
「どうしたの、青二。お前の顔は、へんだね。気分でもわるいのかい」
 母親が心配そうにきいた。
 青二は、べつに気分もわるくなかった。だからそのとおり答えた。
「でもね、青二。どうもへんだよ。なんだかお前の顔は、かげがうすいよ。ぼんやりしているよ」
 そういわれても、青二は本気にしなかった。
「お母さんは、あんなことをいっているよ。お母さんの目の方が、今日はどうかしているんでしょう。目がかすんでいるんじゃない」
「あら、そうかしら。もっとも、もう春になりかけているんだから、のぼせるかもしれないからね」
 その話は、そのままになった。青二の母親は、朝の用事をまだたくさんもっていたから。青二は二階へあがった。
 机の上に、小さい座《ざ》ぶとんがのせてある。その座《ざ》ぶとんの上を見るとまん中がひっこんでいた。そして、ゴムのテープと、赤青のまだらの紐《ひも》が結ばれたままあった。その座ぶとんの上に、例のあやしい動物がねていることはたしかだった。
 だが、ふしぎなことに、二つの目玉は、どこにも見えなかった。
「あの目玉はどこへ行ったんだろう」
 青二は、そばへいって、手さぐりで動物をなでてみた。猫の頭にちがいないものが、たしかに手にさわった。
 しかし目玉は見えなかった。もしや目玉がなくなったのかと思って、青二は片手で動物の頭をおさえ、もう一方の手で目玉をさぐってみた。すると、
「ふうっ」と、動物はあらあらしい声をたてて、座ぶとんからはねあがった。
 そうでもあろう。いきなり目玉へ指をつっこまれたのでは、びっくりする。
 青二の手がひりひり痛《いた》んだ。見ると、血が出ている。今動物のために、ひっかかれたんだ。
 が、このとき青二は、おどろきのあまり、心臓がどきんと大きくうってとまった。それは、なんだか自分の手が、はっきり見えないのだった。ぼんやりとしか見えないのだった。
「どうしたんだろう」さっき青二の母親がいったことばが思い出された。「青二、どうしたの。お前の顔は、かげがうすいよ」と、いわれたのを。
 青二は柱にかかっている鏡《かがみ》の前へいって顔をうつしてみた。
「おゃっ」
 大きなおどろきにぶっつかった。鏡にうつった青二の顔は、うすぼんやりしていた。校服《こうふく》はちゃんとはっきりしているのに、くびから上が、ぼんやりしているのだった。
 やっぱり自分も、のぼせ目となったのかと思い、青二は、いくども目をこすって、鏡の中にうつる自分の顔を見なおした。
 だが、そのかいは、なかった。いくど見なおしても、彼の顔はぼんやりしていたし、両手をうつしてみても、やはりそれもはっきりうつらなかった。
「えらいことになった」と、青二はその場にうずくまってなげき悲しんだ。
 なぜそんなことになったのか、青二には、わからなかった。あの見えない猫と同じようなふしぎな現象《げんしょう》が、今自分のからだの上にあらわれて来たのだ。
「これからどうなるだろうか。自分もあの猫のように、からだがすっかり見えなくなってしまうのではあるまいか。ああ、そうなったら、もう生きてはいられない。自分は化け物あつかいされるだろうから……」
 青二は、ここで、重大な決心をしなければならなくなった。このままうちにいて、化《ば》け物あつかいされるか、それとも誰にも見つからない世界へにげていってしまうか。
 いろいろと考えなやんだ末……青二は、そっと家を出てゆくことにした。
 青二は、わずかの着がえをバスケットに入れ、また片手には、透明猫を入れたふろしき包みをもち、母親に気づかれないうちに、家を出てしまった。
 ただ母親がなげくとかわいそうだと思ったから、
「ぼくは急に旅行をします。心配しないで下さい。そのうちに、かならず帰って来ます。そして、うんとおもしろいおみやげ話をしましょう」
 と、いう遺書を、机の上において去った。

   妙《みょう》な福《ふく》の神《かみ》

 どこというあてもなく、青二は歩きつづけた。
 頭には、スキー帽をかぶり、風よけをふかくおろして顔をかくした。それからオートバイに乗る人がよくかけている風よけ眼鏡をかけた。そのガラスは黒かった。
 くびのところを、マフラーでぐるぐるまいた。くびのあたりを人に見られないためだった。また両手には、手袋をはめた。
 こうして歩いていれば、「あいつは寒がりだな」と思われるぐらいで、とがめられることはなさそうであった。
 歩きながら、どうして世の中にこんな奇怪《きかい》なことがあるのか、またどうしてそれが自分のからだをおそったのであ
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