うことだった。東京市についていうなら、一体某大国の爆撃機は、どこどこを狙っているのだろうか。破甲弾《はこうだん》はどことどことに落とすつもりか。焼夷弾《しょういだん》はどの位もって来て、どの辺の地区に抛《な》げおとすのであろうか。また毒瓦斯弾《どくガスだん》はいかなる順序で、いかなる時機を狙って撒《ま》くのであろうかなどいうことが、この際早くわかっていなければならない。
 もちろん軍部をはじめ諸官省や諸機関においては、最大の注意力を傾《かたむ》けて、この恐るべき外敵の攻撃を防ぐことを考えている。しかしそれには、敵の手にどんな武器が握られているかを知ることが出来れば、防ぐにも一層便利でもあり、かつ有効な措置がとれるのであった。
 帆村荘六は、某大国の機密を何とかして探りあてたいと、寝食を忘れて狂奔《きょうほん》したが、敵もさる者で、なかなか尻尾をつかませない。流石《さすが》の帆村も、ちと腐《くさ》り気味《ぎみ》でいたところ、ふと彼の注意を惹《ひ》いたデマ罰金事件があった。
 それは警察署の聴取書綴《ききとりしょつづり》のなかから発見したものであったが、事件は築地の或る公衆浴場の流し場で、仲間同士らしい裸の客がわあわあ喋《しゃべ》っているのを、盗み聞きしていた一|浴客《よっきゃく》が、後にまたそれを他の者へ得々として喋っているところを御用となったものであった。
 そのデマによると、当夜浴場の流し場で喋っていた本人は、どうやら左官職らしかったという。彼は仲間連中から、どうも手前《てめえ》はこのごろいやに金使いが荒いが、なにか悪いことをやっているんじゃないかと揶揄《からか》われ、彼《か》の男は顔赤らめて云うには、実はここだけの話だが、この頃おれは鳥渡《ちょっと》うまい儲《もう》け仕事にいっているんだ。毎朝或る場所へゆくと、そこで目隠しをしたまま自動車に乗せられ、一時間半も揺《ゆ》られながら引き廻された揚句《あげく》、変な密室のなかに下ろされる。そこで一日左官の仕事をやっていると、夕方にはまた目隠しをしたまま自動車に乗せられ、元の場所へ帰ってくる。この仕事は気味がわるいが一日七円にもなるので、我慢していっているんだと、いささか得意げに語っていたという。
 仲間のものは、その男の儲ける金のことよりも、目隠しをしてどこかに連れてゆかれるという猟奇《りょうき》的な話がすっかり気に入ってしまい、へへえ、それで手前はそこでどんな仕事をしているんだと聞けば、かの男は、それがどうもよく分らない仕事なんだが、とにかく三百坪ぐらいもあるとても広くて天井の高い工場みたいな建物の床を漆喰《しっくい》みたいなもので塗っているんだが、その漆喰が変な漆喰で、なかなか使い難《にく》いやつなんだ。そのために仕事もなかなか思うように進まず、まだ半分ぐらいしか塗っていないという。
 すると友達が、その三百坪もあって背の高い謎の工場というのは、どこにあるか、窓から見える外の様子とか、近所から聞える物音とかで、およそここは江東《こうとう》らしいとか大森らしいとか分りそうなものじゃないかというと、かの男ははげしく首をふって、うんにゃそれが分るものかい、その今いった工場みたいな建物には、窓が一つもついていないんだ。全部壁で密閉してあって、電灯が燦然《さんぜん》とついている。物音なんて、なにも入って来ない。深山《しんざん》のなかのように静かなところさと答えた。
 じゃあ、どこか地下室なんだろうと友達がいうと、そうじゃない。高い天井を見上げると、亜鉛板《あえんばん》で屋根がふいてあるのが見えるから、地下室ではなくて、これはやはり地上に建っている普通の建物にちがいないと断言したというのである。起訴されたデマ犯人は、これについてなお自分の逞《たくま》しい想像を織り交ぜて喋っていたところから、遂に罰金五十円也の申渡しが与えられたと書いてある。
 帆村荘六は、この聴取書の話をたいへん面白く思った。そこで彼は一つの計画をたてて活動に入ったのであるが、始めに述べた築地本願寺裏の掘割における活劇も、実はこのデマ事件からの発展なのであって、堀のなかに投げこまれて大怪我をした吉治は、かの浴場で仲間に、ここだけの話をぶちまけた主であり、警官に見て見ぬふりをさせ、皇国の興廃にかかることとはいえ、この吉治に心ならずも傷害を与えた正木正太という左官こそ、とりもなおさず帆村探偵の仮称《かしょう》にちがいなかったのである。


   身代りの探偵


 左官正太を名乗る帆村探偵は、巧みに吉治の後釜《あとがま》に入りこんだ。
 その翌朝は、親方五郎造から注意されたとおり、午前六時すこし前には早くもこの一団の集合場所である南千住《みなみせんじゅ》の終点に突立《つった》っていた。彼の手には左官道具と弁当箱が大事そうに握
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