いわけ》が立たないや。明日の朝は――これはえれえことになったぞ」
五郎造はぶつぶつ独白《ひとりごと》をいっては、腹を立てていた。吉治の怪我で、彼はなにか大変困ったことに直面しているらしい様子だった。
生命救助者を装う髭蓬々の男は、濡れていた半纏が乾いたというので、これに着かえながら、そろそろ暇乞《いとまご》いをする気色《けはい》に見えた。
「おう、もうお帰りですかい。そうだ、お前さんの名刺を一枚下さいな。お礼にゆかなきゃなりませんからね」
すると半纏男は笑いながら、
「お礼には及びませんよ。それに、私は名刺なんか持っていないんです。月島《つきしま》二丁目に住んでいる正木正太《まさきしょうた》という左官なんです」
「ええっ、左官。するとお前さんは、近頃のコンクリート工事なんかやったことがあるのかね」
「ええ、すこしは覚えがあるんですが、大した腕でもありませんよ。なにしろ仕事がなくて、毎日、あっちこっちをうろついているのですからね」
「ふふーン、そうかい。そういうことなら、正太さんとやら、わしは一つお前さんに相談があるんだがね。いや、もちろんうちの者を助けてくれたお礼心から、ちとばかりお前さんに儲《もう》けさせようというんだ。実はね、ま、こっちへ来なさい」
と五郎造は正木正太を病院の廊下へ連れだした。深夜のこととて他に面会人も歩いていず、そのあたりは湖水の底のようにしーんと鎮《しず》まりかえっていた。
「こいつは他言《たごん》して貰《もら》っちゃ困る。お前さんだから、信用してうちあけるんだが――」
と前提して、五郎造親方は、いまやりかかっている或る秘密の土木工事があって、そこへ働きにゆく気はないか、なにしろ人員は厳選してある上に、一人足りなくても先方から喧《やかま》しくいわれるのだ。今夜吉治が怪我をしてしまったため、明朝は左官が一人足りなくなる。そのために先方からどんな苦情をうけるかと思うと、彼は気が気でないのだと包み隠さずにいって、この寒中《かんちゅう》に額《ひたい》にびっしょりとかいた汗を手巾《ハンカチ》で拭《ぬぐ》った。
「幸いお前さんが、左官をやれるというから、これはもっけのことだ。これも因縁《いんねん》だと思うから、一つやって見ては」
「でも、なんだか気味がわるいですね。秘密の工事なんて」
「いや、そう思うだけのことで、やっていることは普通の工事なん
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