ったぞ!」
戦車は、半廻転したのだった。
トン、トン、トン。
妙な音が、そのとき天井の方から、聞えてきた。
「あれは、何の音!」
と、ピート一等兵は、また新たな恐怖の色をうかべた。
トン、トン、トン。
ふしぎな音は、しきりに、天井の方から聞えるのであった。
ピートの失敗
「パイ軍曹どの。自分は、もう死んだ方がましです。このうえ、心臓がどきどきしては、心臓|麻痺《まひ》になってしまいます」
これは、大男のピート一等兵が、からだに似合わぬ悲鳴である。
「こら、ピート一等兵。そんな弱音をはいちゃ、幽霊指揮官どのに、笑われるじゃないか」
「でも、自分はもう、このとおり、からだ中から、脂《あぶら》がぬけちまって、もうあと、いくらももちません」
「え、からだの脂がぬけたって」
「はい。うそじゃありません。このとおり、ズボンの下から、たらたら脂が、たれてくるのです」
「そうか。本当なら、こいつは一命にかかわるぞ。どれ、見てやろう」
と、パイ軍曹は、ピート一等兵のズボンの下をまくって、しさいに見た。
「おや、こいつは、ひどく、たれている。ふん、かわいそうだな。これじゃ、もう、助かるまい」
「軍曹どの、自分は、もういけませんか。もう、だめでありますか」
「もう、いかんぞ。どうも、くさい。いやにくさい。きさまは、からだが大きいせいか、鯨《くじら》の油みたいな脂を出しよる」
と、パイ軍曹が、鼻をつまんだ。
「え、鯨の油みたいなにおいがしますか、はてな?」
ピート一等兵は、そういったかと思うとにわかに、あわてて、自分の毛皮の服の胸をあけて、中へ手をつっこんだ。
「うわーッ、いけねえや」
「おい、ピート。何ということをする……胸の中が、どうかしたのか」
「あははは。大失敗でさ。わけをいうと軍曹どのに叱られ、そしてここにおいでの幽霊どのに笑われてしまいます」
「ははあ、きさま、また欲ばったことをやったな。服を開いて、中をみせろ」
「はい、どうも弱りました」
ピート一等兵は、悄気《しょげ》ている。
「やっぱり、そうだ。きさま、鯨油《げいゆ》の入っている缶を、盗んでいたんだな。どうするつもりか、鯨油を、懐中に入れて」
「どうも、弱りました。まさかのときは、これでも、腹の足《た》しになると思ったものですから……」
「なに」
「つまり、鯨の油ですから、こいつは、魚の脂です」
「鯨は、魚じゃない」
「そうでしたな。元へ! 鯨は、けだものの脂ですから、石油とはちがって、食べる――いや、飲める理屈であります」
「あはァ、それで、飲むつもりで、かくしていたのか」
「はい。ところが、あのとおり、戦車の中で、あっちへ、ごろごろ、こっちへごろごろごろんとやっているうちに、缶がこわれて、鯨油がズボンの中へ、どろどろと流れだして、こ、このていたらく……」
「なんだ、そんなことか。お前は、幸運じゃ」
「軍曹どの。からかっちゃ、いかんです」
「からかっちゃおらん。もしもその脂がお前のからだから流れ出した脂だったら、今頃はどうなっていたと思う」
「へい。どうなっていましたかしら」
「わかっているじゃないか。そんなに脂がぬけ出しちゃ、お前は今頃は冷くなって、死んでいたろう」
「冗談じゃありませんよ。はっくしょん」
さっきから、傍《かたわら》で、あきれ顔で、二人の話を聞いていた沖島速夫が、
「ピート一等兵。早く、前をしめろ。風邪《かぜ》をひくじゃないか」
「へーい、指揮官どの」
氷原
呑気《のんき》な二人のアメリカ兵には、沖島も、すっかり呆《あき》れてしまった。
そのうちに、一旦《いったん》とまっていた戦車の天井の、とーん、とーんという音が、また聞えだした。
とーん、とーん。
「あ、また始まった」
ととーん、とーん。
「おや、あれは、モールス符号だ」
パイ軍曹が、急に目をかがやかせた。
「おや、開けろといっている。ふん、生存者はないか。誰か、上から呼んでいるんだ。おれたちは、助かるかもしれん」
ピート一等兵は、おどりあがった。
「気をつけッ!」
沖島速夫が、大きなこえで、どなった。
二人のアメリカ兵はびっくりして、直立不動の姿勢をとった。
「だから、さっきから、僕は、この戦車の扉を開けろといっているんだ。さあ、早く開けろ」
「開けても、大丈夫かなあ」
「大丈夫だ。水の中じゃない。うそだと思ったら、中から信号をして、外には水があるかないか、たずねてみろ」
沖島は、深度計をみたとき、この地底戦車のまわりが、どんな状態にあるかを、察していた。そこへ外から信号があった。彼は、そのとき、或る覚悟をした。そして二人のアメリカ兵が、鯨油のことで、いい争っている間に、持っていた機銃を、防寒服の中にしまいこんだり、戦車をうごかすのに、ぜひ
前へ
次へ
全30ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング