はない。ほんものの林檎であった。彼はもうその区別などは、どうでもよかった。彼は、やたらに、林檎を喰った。つぎからつぎへと、手をのばして、林檎を、丸かじりして、腹の中におさめた。
 合計十五個の林檎を食べおわったときには、さすがの彼も、ほんとのことを悟っていた。これは林檎であって、脳みそではない。なぜなれば、大きな林檎が十五個もはいるような脳なんて、きいたことがないからである。そんな大きな頭の人間だったら、じぶんのあたまには、とても陸軍制式の鉄帽が、すっぽりはいるわけがない。
 わけは、さっぱり分らないが、彼は、たくさんの林檎を食べたことをはっきり知った。そして、元気になった。そこで、ふらふらと立ち上った。二三歩あるいたとき、爪《つま》さきで、なにかかたいものを、けとばした。
「あ、いたッ!」
 とたんに、ぱっと、車内に電灯がついた。スイッチかなんかを、けとばしたものらしい。彼はおどろいて急に明るくなった車内を見まわした。
「あ、あ、あ、あッ!」
 ピート一等兵は、再度のおどろきにぶつかった。おどろくべき車内の光景!
 戦車は、天井と床とが、全くあべこべになっている。
 操縦席が、天井からぶら下っているかとおもえば、電灯が足許《あしもと》についているというさわぎだった。
 それよりも、おどろいたのは、上官パイ軍曹の姿だった。彼は、天井から、塩びきの鮭《さけ》のように、さかさまになってぶら下って気絶している。一方の足が操縦席にはさまり、そのまま、ぶら下っているのだ。お世辞《せじ》にも、勇しい恰好《かっこう》だとはいえない。
 ピート一等兵は、顔をむけかえて、もう一人の人物、黄いろい幽霊の居場所を、さがしもとめた。
 ところが、黄いろい幽霊は、どこへいったものか、見つからない。
「おやおや幽霊め、とうとう妖怪変化《ようかいへんげ》の正体をあらわして、逃げてしまったかな」
 そういって、ピート一等兵が、ひとりごとをいったとき、彼の足許に一本の手がころがっているのを発見した。電灯の反対でさっきは、よくみえなかったのだ。
「うあッ、こんなところに、だれが腕をおとしていったんだろう?」
 といったとき、その腕が、急に、ぐーっと、うごきだした。怪また怪!


   廻《まわ》れ右《みぎ》!


「ひゃッ!」
 ピート一等兵は、その場に、とびあがった。元来、幽霊が大きらいのピート一等
前へ 次へ
全59ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング