俺ともあろうものが、かけがえのない手首をもがれるなんて。無念だッ」岩は手首のない右腕をブルブルふるわせて叫んだ。「どうだ、これを怪しいとは思わねえか。あの金庫のことは、ネジ釘《くぎ》一本だって調《しらべ》をつけてあったんだ。それにむざむざと……」
「そういえば親分」と兄貴株の紳士|鴨四郎《かもしろう》がいった。「昨日のラジオじゃ、エンプレス号は午前中に金貨と諸共《もろとも》、海底に沈んだそうで、それが間もなく潜水夫を入れて探したところ、もう百万弗の金貨が影も形もなくなっていたという。しかし親分の話では、昨夜遅く、正金銀行まで出掛けて、百万弗を奪ってきたという。これじゃ話が合わない。一体どっちが本当なんです」
「それだ」岩の顔は歪《ゆが》んだ。「俺は正金へ金貨を搬《はこ》ばせる計画だった。ところがラジオでは、海底に金貨が沈んだと放送し、それから二度目のニュースでは、金貨が海底で見えなくなったという。これでは俺が手を出さない先に、鳶《とび》に油揚《あぶらげ》をさらわれた形だ――と、もう少しで口惜涙《くやしなみだ》で帰るところだった。
 ところがあれが警察のデマ、でたらめなんだ。正金銀行へ移したことは極力《きょくりょく》秘密さ。そう放送すれば岩は諦めるだろうと思ったのだ。……俺はも少しでマンマと百万弗を握り損《そこな》うところだった。
 警察にしちゃ、鮮《あざや》かすぎる手だ。そこで俺は気がつくべきだった」
「どう気がつくべきだったんです」
「爆弾に手首を吹き飛ばされ、痛いッと叫んだ瞬間に、俺は気がついたのだ。恐るべき俺の敵が、日本に帰ってきているということを――」
 そういって岩はフッと押し黙った。怪盗岩が恐れる敵とは、そも何者か?


   岩は何をする?


 警視庁では千葉総監を囲み、捜査係官の非常会議が始っていた。遠く横浜警察の署長までが参加していた。
「では始めます」そういったのは大江山捜査課長だった。「岩はこれから何をするか、それについて皆さんの御意見を伺《うかが》いたいものです。……いままでに岩のやったことを考えてみますと、第一には地底機関車を奪い取った事件です。これが岩の仕業《しわざ》であることは、証拠の上でハッキリいえます。第二には、正金銀行から百万弗の金貨を盗んだ事件です。
 私達は金庫の前面ばかりを注意していましたが、岩の方はその裏を掻《か》いて、地下から坑道を掘り、金庫の裏側のあまり丈夫でないところを破って、金貨を盗んでいったのです」
「一体岩は、そんな機関車を手に入れたり、百万弗の金貨を握ったりして、これから何をやろうと思っているのだ」
「さア――」といったなり一同は顔を見合わせて、誰も返事をするものがなかった。それほどこの答は難しかった。
「先刻《さっき》の話では、岩は坑道をあけていったそうじゃ。どうだい、その坑道を逆に進んでいったら岩の巣窟《そうくつ》へ行けそうなものじゃないか」
 と総監が口を挿《はさ》んだ。
「それは名案」
 と一同は卓《たく》を打って叫んだ。
「では決死隊を編成して、これからすぐ地中に潜ることにしよう」と総監は決心の色をアリアリと浮かべた。


   決死隊を募る


「さア、岩と地中で戦おうという勇士はいないかア。決死隊に加わろうという偉い者はいないかア」
 大江山捜査課長は庁内の警官を集めて、一段高いところから叫んだ。
「よオし。私が参ります」と手をあげた若い警官がある。
「なに、お前やるかッ」
「私も参ります」
「私も是非やって下さい」
 忽《たちま》ち、九人の決死隊員が出来あがってしまった。
「気を付けッ」大江山捜査課長は九人の決死隊員を並べて号令をかけた。九人が九人、いずれも強そうな立派な体格の勇士ばかりだ。この中に岩が紛れこんでいては大変と、課長は一同をズラリと見廻したが、誰もかもチャンとしていた。
(まず安心だ)
 と課長は心の中で思った。しかし念のために勇士たちの手袋をとって、その手を見ておくとよかったのであるけれど、岩が片手を爆弾でやられたことを知らぬ課長のこととて、それは気がつかなかった。
「穴掘り機械も取りよせてある。ほら、あの自動車に積んであるのがそれだ」
 勇士たちは振りかえって課長の指さす方を見ると、なるほどガッチリした機械が車上に積まれてあった。
「それから、この決死隊のことを地中突撃隊と名付ける。隊長としては、この大江山が先頭に立って指揮をする」
 ああ、大江山課長が進んで決死隊長になるというのだ。これこそ正に警視庁の非常時だ!


   大辻老の参加


 十人の地中突撃隊が警視庁前に勢揃をして、いよいよ勇ましい出陣に移ろうというその時だった。そこへ駈《か》けつけたのは一人の少年と、布袋腹《ほていばら》の巨漢、これはいうまでもなく少年探偵の三吉と珍探偵大辻だった。
「オイ三吉どん」と大辻が真赤な顔をしていった。「僕等もこの地中突撃隊に参加させて貰おうじゃないか。この方が岩をとッ捕《つか》まえる早道だぜ」
「そうだね」と三吉は例の調子で黒い可愛い眼玉をクルクルさせていたが「僕は反対するよ」
「なに反対をする。この弱虫め!」
「僕はいままで探偵してきたことを続けてゆく方がいいと思うんだ」
「なんのかんのというが、実はこわいのだろう。わし[#「わし」に傍点]はそんな弱虫と一緒に探偵していたくはないよ。帆村先生が帰って来て叱《しか》られても、わし[#「わし」に傍点]は知らぬよ」
「叱られるのは大辻さんだよ」
「いや、もう弱虫と、口は利かん」
 とうとう三吉と大辻とは別れ別れになってしまった。
 大辻老は決死隊に参加を許されると、いよいよ大得意だ。ふんぞりかえって、自動車に乗っている。ナポレオンのような気持らしい。しかも岩の足型を大事に小脇に抱えている。
「大辻さん。その足型を壊《こわ》しちゃ駄目だよ」
「なアに大丈夫……おっとッとッ。お前とは口を利かぬ筈《はず》じゃった」
 仕度は出来た。突撃隊の自動車は一列に並んで出発した。横浜正金銀行さして……。


   「はてな」の室町《むろまち》附近


 三吉少年は一人残されたが、失望しない。
「すみませんが、ちょっと測《はか》らして下さい」
 そういって彼は日本橋|界隈《かいわい》の地下室のあるところを一軒一軒廻っては、携帯用地震計を据《す》えつけて測って歩いた。
「一体、何を測るんだい」
「おじさんの家は大丈夫だということが分るんですよ」
「なにが大丈夫だって」
「それは今に分りますよ。フフフ」
 こんな会話をしながら三吉は歩いて廻った。しかし三吉が室町方面に近付くに従って、彼の顔はひきしまってきた。
「はてな」と彼は日本銀行の地下室でいった。
「はてな」と又、東京百貨店の地階でいった。
「はてな」と彼はまた三井銀行の地下室でもいった。
 三吉は、その三つの場所で、いつも休みなく伝わってくる小地震を感じた。それは地底のはるかの下から伝わってくるのであって、決して地上からではない。本当の地震はごくたまにやってくる。しかも強くひびくところはごく短い時間だけだ。しかしこの室町界隈では不思議な連続地震が起っている。
「これは何かあるぞ!」
 しばらくの間、ジッと考え込んでいた三吉は、何を思ったか、地震計をしまうと、三井銀行の地下室を、アタフタと飛び出した。
 一方、横浜正金から地中へもぐりこんだ十一人の決死隊はどうなったか。もう四十時間も経ったが、消息が分らなくなった。生か死か?


   探偵競争


 怪盗「岩」は、世界に一つしかないという地底機関車を動かして、何ごとか大きな悪事をくわだてているらしいのであるが、一体それは何だか、まだ様子がハッキリわからない。
 大江山捜査課長はとうとう一大決心をかため、十人の警官から成る地中突撃隊を編成した。これを見ていたのが、「岩」の足型を抱えて放さない大辻珍探偵で、彼も勇ましくこれに加わって一行は十一人となった。早速、横浜正金銀行の金庫裏から地中にもぐりこんだ。
 わが少年探偵三吉は、参加したいのを怺《こら》え、師の帆村探偵から教わったとおり、最初から一貫した探偵方針を捨てることなく、その後は地震計をもって、日本橋室町附近の地下室という地下室を、なんどか一生懸命で探しまわっている。


   地中の怪


 地中突撃隊はどうなったか?
 大江山隊長を先頭に、大辻珍探偵をビリッコに、一行十一勇士は勇ましくも土竜《もぐら》のように(というと変だが)、明暗《めいあん》もわからぬ地中にもぐりこんだ。始めは腹這《はらば》って、やっと通れるくらいの穴が、先へ行くにつれ大きく拡がってきた。おしまいには、楽に立ってあるけるようになって、持ちこんだ穴掘機械が邪魔なくらいだった。
「さあ、こんどは穴が北に向いたぞ」
 と磁石をしっかり手に持った大江山警部が叫んだ。
「はあ、もうこれで横浜の北東を十キロも来ました」
 と測量係の警官が報告をした。こうして一行は今どの辺の位置にいるのかを、地図の上に鉛筆のあとをつけながら、たゆまず前進をつづけた。――しかし一向に、「岩」にも出会わなければ、その子分手下にもぶつからない。
「ねえ大江山さん」と大辻が後から声をあげた。「岩の奴は、あの大金を持って、外国へずらかったんじゃありませんか。それとも私達に恐《おそれ》をなしたのか、さっぱりチュウとも鳴きませんぜ」
 大辻老は、岩を鼠かなんかと間違えていた。一行の気がすこしゆるみかけた。丁度《ちょうど》そのときだった。
 どどーン、ぐわーン。いきなり恐しい物音が、後の方にした。ハッと思う間もなく、恐しい風が一同の横面《よこつら》をいやというほど殴《なぐ》った。「さあ引返せッ」と隊長が呶鳴《どな》った。すわ何事が起ったのだろう。


   生埋《いきうめ》の一行


「うわーッ、たいへんだッ」
「どうしたどうした」
「今通った道が崩《くず》れて、帰れなくなった」
「なに帰れない」大辻老の顔色は紙のようにあせた。「帰れないとたいへんだ。早く掘って穴をあけといて下さい」
 しかし隊長は一向号令を下さない。さすがは捜査課長だ。這《は》いつくばって崩れた土の臭《におい》を熱心に嗅《か》いでいるのだ。
「おお、ダイナマイトの小型のを仕掛けた者がいる。油断をするなッ」
「大丈夫です。大丈夫です」と一同。
「ダッ、ダイナマイトですって」大辻老は気が変になった鶏のように、一人でバタバタ跳《は》ねかえっている。
「崩れた箇所はあのままにしておいて、一同前進!」隊長は勇ましい号令を下した。
 だッだッだッと、一行は小さく固まって、懐中電灯をたよりに、低い泥の天井の下をドンドン前進した。
「左、左、左へ曲れ」
「オヤ道が行きどまりだ。おかしいぞ」
「うん、これは一杯|食《く》ったかな――集れッ」
 と隊長の号令だ。
「番号」
 一チ、二イ、三ン……。
「オヤ一名足りないぞ。誰がいなくなったのだッ」
 確かに一名足りない。どこへ消えたというのだろう。その足りない男については、誰もかもどこの誰だかハッキリ知らなかった。一同は心臓をギュッと握られたように、無気味《ぶきみ》さに慄《ふる》えあがった。


   岩のいた証拠


「オイ大辻君。君の大事にしている足型は、こういうときに使わなくちゃ、使うときがないよ。ちょいと貸したまえ」
「イヤイヤイヤイヤ」と大辻は仰山《ぎょうさん》にその手を払いのけた。「探すのは、わしに委《まか》せなさい。貸すくらいなら、壊した方がましだ」
「そんな意地の悪いことをいわないで……」
「どいたどいた、わしが探す。ホラ皆さん、足を出して……」
「失敬なことをいうな」
 そんなにまで騒いだが、一名|欠《か》けた残《のこり》の十名の中には岩は絶対にいないことが解った。
「いませんよ。大丈夫です。隊長さん」
「じゃ、今まで来た軟かい道の上から行方不明の警官の足跡を探して、調べてみたまえ」
「はいはい」
 大辻老は向《むこ》うへ懐中電灯をたよりに引返《ひっかえ》していった。そしてしきりと路上にかがまって
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