だ。「どうやらベルダンの要塞《ようさい》のような恰好をしている。欧洲大戦のときドイツの……」
「そうじゃないよ。形のことじゃなくてこの青い土のことさ」
「ほほう、この青い土がおかしいって? 青い土がおかしいなら、この辺の赤い土はおかしくないかね、黒い土なら、さあどうなるかな」
大辻のいうことは、いつもトンチンカンだ。
日本橋特有の青土
「僕、この青い土のことで、ちょっと知っているのだよ」
「はて、何を知っているのじゃ」
「この前、地下鉄工事が僕んちの近所であった。僕んちは日本橋の真中だ。始めは赤い土、黒い土ばかりだったが、ある日珍しく、この青い土が出た。僕は珍しかったので、工事をしている監督さんに尋《たず》ねてみたんだ。大変青い土ですね、おじさん、とね」
「ふんふん」
「すると監督さんは、この青い土は、全く珍しい土で、東京附近でも、この日本橋の地底だけにしか無い土だ。その日本橋も、日本銀行や三越や三井銀行のある室町《むろまち》附近にかぎって出てくる特有の土だといった。この青い土が、それなんだよ」
「そりゃおかしい。だってこの土は、トラックで月島から運んでくるものじゃないか。してみると、あの辺の土だと考えていい、日本橋室町附近の土が、月島から掘りだされて本郷へ運ばれるというのは、こりゃ信ずべからざることでアルンデアル」
大辻先生は、そこで例の大きなドングリ眼をグルグルと廻して見せた。
「だけど大辻さん、何か訳さえ考え出せると、おかしいと初めに思ったことも、おかしくなくなるのじゃないかね。日本橋の土が、なぜ月島から掘りだされるかという訳さえつけられればね」
「そんな訳なんかつくものかい」
「だけど――」と三吉少年は口ごもった。
――もし地底機関車が活動していれば……と口先まで出たのをやっと嚥《の》みこんだ。
足跡を追いて
「それよりも、この靴型さ」
大辻珍探偵は、岩の足跡から取った白い石膏《せっこう》の靴型《くつがた》を、大事そうに礼拝《らいはい》した。
「大辻さんは何だかその靴型を壊《こわ》しそうで、横から見ていてハラハラするよ」
「なーに大丈夫。ほらごらん、ここに三つの足跡が、この軟《やわ》らかい土の上についている。これを一つ調べておこう」
大辻探偵は、いよいよ大事そうに、靴型を地面へおろしました。
「これはどうだ」と第一の足跡につけ「これは合わないぞ。これは真鍋博士の足跡だが、博士は岩ではない」
「ぷッ」三吉はふきだした。「博士は岩じゃないよ」
「ところがそうとも安心していられないよ。さて第二の足跡。これは小さい足跡だ。これでは合うはずがない。これも大丈夫」
「それは誰の足跡だい」
「これはお前の足跡じゃ」
「僕の足跡? まあ呆《あき》れた大辻さんだね」
「もう一つ、これが第三の足跡。おやおや、これは大きすぎて合わない。これも岩ではなさそうだ」
「その足跡は誰の?」
「これはわし[#「わし」に傍点]の足跡さ」
「なんだって」
「つまりわし[#「わし」に傍点]は、岩じゃないということさ。どうだ、ちゃんと理窟に合っているじゃろう」
「なーんだ。あたり前じゃないか」ワッハッハと、二人は腹を抱《かか》えて笑い出した。
エンプレス号の怪火
「もう見えそうなものだが」
大江山捜査課長は、矢のように走っている自動車の上から、横浜港と思われる方向を、望遠鏡で探していた。
「課長」と叫んだのは、ギッシリ詰めこまれた武装警官の一人だった。「あすこに、変な煙が立ち昇っています。火事じゃないでしょうか」
「なに煙? おお、あれか」
見ると、やはり海の方角に、煙突の煙にしては、すこし量が多すぎる真黒な煙がムクムクともちあがっている。
「はてな、おい、通信員。横浜警察をラジオで呼び出して、尋《たず》ねてみろ」
ジイ、ジイ、ジイ。
横浜の警察はすぐに呼び出された。
「おお、こっちは警視庁の特別警察隊。お尋ねしますが、海の方角に、煙が立っていますが、あれは何です」
「さあ、まだ報告が来ていませんが――」といって横浜の方では答えたが「ああ、ちょっと待って下さい。今報告が入りました。あッ大変です。たいへんたいへん」
「たいへんとは?」
「港内に碇泊《ていはく》している例のエンプレス号が突然火を出したのです。原因不明ですが、火の手はますます熾《さか》んです。この上は、あの百万|弗《ドル》の金貨をおろさにゃなりますまい」
ああ、エンプレス号の怪火。果してそれは過失か、それとも……。
一度危機は去る
「さあ急げ、全速力だ!」
大江山課長は、車上に突立《つった》って叫んだ。自動車は、驀進《ばくしん》する――
「もっと速力を出せ。出せといったら出さんかッ」
課長は満面を朱《しゅ》に染めて呶鳴《どな》った。
「もうこれで一杯です。これ以上出すと、壊《こわ》れます」
「壊れてもいいから、やれッ。岩に、また一杯喰わされるよりはまし[#「まし」に傍点]だッ」
もう目を明いていられぬような速力だ。自動車は空《くう》を走っているように思えた。サイレンの恐ろしい呻《うな》り声が、賑《にぎ》やかな大通を、たちまち無人の道のようにした。
やっと、恨《うら》みの残る波止場へ出た。なるほど燃えているのはエンプレス号だった。黒い煙や黄色い煙が色テープのように、横なぐりの風に吹き叩かれ、マストの上を、メラメラと赤い火焔が舌を出していた。
「金貨は?」課長は叫んだ。
「安全に正金銀行《しょうきんぎんこう》へ移しました」と波止場を警戒中の警部が駈けつけていった。
「そうか。では正金へ行こう」
一行の自動車は、正金へ又動き出した。二分とかからぬうちに、銀行の大玄関についた。
「金貨はどうした?」課長は又叫んだ。
「地下金庫に入れました。御安心下さい」
そこにいた警部が、挙手《きょしゅ》の敬礼《けいれい》をとって、自信ありげに答えた。
「そうか。それで安心した」
と課長は言葉と共に、額の汗を拭った。
暗闇の警備
その夜の正金銀行の警戒ほど厳重なものは無かったと思われる。
特別警察隊の腕きき警官が三十人と、横浜の警察の警官と刑事とが五十人と、合わせて八十人の警戒員は、大江山捜査課長の指揮のもとに、それこそ蟻のはい出る隙もないほどの大警戒に当った。
夜はシンシンと更けた。
「大丈夫かい」
「大丈夫にもなんにも、人一人やって来ないというわけさ」
警戒員同志が、暗闇の中でパッタリ突きあたると、お互いの顔を懐中電灯で照らし合いながらこんな会話をした。
「異状なし」
「全く異状ありません」
かくて夜明けが来た。東の空が、ほの明るくなって来た。
「夜が明けるぞ。とうとう、岩はやってこなかった」
「あいつもやき[#「やき」に傍点]が廻ったと見える。昨日のうちに貰うぞといっときながら、一向《いっこう》やってこんじゃないか。尤《もっと》も僕たちの警戒がうまく行ってるので、恐れをなして寄りつかなかったんだろうけれど」
だが課長だけは心配が抜けなかった。今日になって、金貨の顔を実際に見ておけば、本当に安心出来ると思った。
「よし、金庫を開けよう」
ああ金貨百万|弗《ドル》
正金銀行の大金庫は、入れるのには簡単だったが、開くのには大変骨が折れた。それは容易に盗み出されないためだった。
ようやく、ギーと最後の室が開いた。もうあとは最後の文字盤を合わせて、ハンドルをぐっと引張ればよい。
大江山課長はじめ警察の人々、銀行の人々は、思わず唾《つば》を嚥《の》みこんだ。
ガチャン、ガチャン、ガチャン。――
ハンドルを握って引張ると、ビール樽《だる》をはめこんだような金庫の扉《と》が、音もなく口をあけてくる――
金貨は?
「あッ」
「おお、金貨が見えない」
不思議だ、不思議だ。金貨が重さで一|瓲《トン》半もあるというのが、姿を消して一枚も残っていなかった。あの厳重な警戒網を誰が抜けることができたろう。
全くのところ、この金庫室には誰も入らなかったのに、それだのに金貨は煙の如くに失《う》せている。
大江山課長の顔は、赤くなったかと思うと、こんどは反対に土のように青ざめた。
怪盗岩は、約束をほんとうに果したのだった。
少年探偵三吉は、どこで何をしているか。岩は、あの大金をどうして運び出したか、そしてまたどこへ使おうというのか。
ルンルンルンルン、どこからともなく響いてくるエンジンの音――あれは若《も》しや噂に聞く地底機関車ではないだろうか。
少年探偵の疑問
「岩」という怪盗は、さきに世界に一つしかないという地底機関車をさらっていったが、それから間もなく、今度はエンプレス号の金貨百万|弗《ドル》を、正金銀行の大金庫から、やすやすと奪い去った。
少年探偵三吉は、珍探偵大辻又右衛門と一緒に、この事件の探偵にあたっている。
大辻の方は、「岩」の足型を後生大事《ごしょうだいじ》に抱《かか》えているのに対して、わが三吉は理科大学の造築場へ、月島から搬《はこ》んできた青い土に眼をつけている。
「日本橋室町附近にしかないといわれるこの青い土が、どうして月島から掘り出されるんだろう?」
と、これが三吉の大疑問だった。
さて「岩」は、どこに潜んでいる?
博士の地震計
「そんなばか気たことがあるものかね」
そういったのは、鉱物学の大家《たいか》、真鍋博士だった。前には三吉と大辻とが控《ひか》えている。
「そうだ、ばかばかしいや。おい三吉、もう止《や》めて帰ろうよ」と大辻老は腰が落付かぬ。
「いや先生」と三吉は一生懸命だ。「あの月島と日本橋室町とが、もし、地中路で続いていたとしたら、この疑《うたがい》がうまく解けるじゃないですか」
「そんな地中路はありゃせんよ」
「でも地底機関車を使えば作れますよ」
「地底機関車を見たものは一人もないじゃないか。そんなあぶなげな想像は、学者には禁物だ」
「じゃ、僕は地底機関車をきっと発見してきますよ」
「ばかなことを」
「とにかく先生。先生の考案された携帯用地震計を貸して下さい。それで地底機関車を探し当てて来ますから」
「それほどにいうのなら、あいているのを一台貸してあげよう」
とうとう博士は折れて、三吉のために携帯用地震計を貸し与えた。それは机の引出ほどの大きさの器具だった。
博士が室を出てゆくと、二人も立上った。
「三吉、そんなもの何にするのだよオ」
「これで僕が手柄を立てて見せるよ」
「手柄といえば」と大辻は急に思い出したように、岩の足型を出して、博士の残していった靴跡に合わせた。
「まだ岩は博士に化けていないや」大辻は仰山《ぎょうさん》に失望の色をあらわしていった。
右の手首!
「親分じゃねえかな」
地下室で不安な顔を集めていた岩の子分は、サッと顔をあげた。入口の上につけた赤い電灯が、気味わるく点滅している――
コツ、コツ、コツコツ。
「うッ、親分だッ」
「親分は無事だったぞ」
子分たちは兎のように席から躍り出て、扉《ドア》を開いた。はたして外には、岩が、スックと立っていた。
「お帰りなせえ」「お帰りなせえ」
岩は黙々《もくもく》として室に入った。右手を深くポケットに入れたまま、大変疲れている様子だ。
「親分、首尾は?」
奥の大椅子に身体を埋めた岩は、子分の声にハッと眼を開いた。
「百万弗は正に手に入れた。だが――」と岩は声を曇らせた。
「おれも相当な代価を払ってきた」
「なんですって、親分?」
「こ、これを見ろ!」
岩は痛そうに歯を食いしばって、右手をポケットから静かに出した。
「おッ、お親分、手首をどうしたんです」
手首が見えない。右の手首の形はなく、ゴム布《ぎれ》のようなものでグルグル捲《ま》いてある。
「正金銀行の金庫の底に、爆弾が仕掛けてあったのだ。……そいつに手首を吹き飛ばされたのさ」
怪盗にしては、百万弗の代償にしろ、たいへん不出来ではないか。
恐しき相手
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