婦は昂奮の極、大きな涙をぽたぽたと膝の上に落とした。
 帆村は、このとき煙草の灰の落ちるのも気がつかない風で、家政婦の一挙一動に気を奪われていた。
「具体的にいって貰いたいですね。お手伝いのお末のことですか、それともあの土居三津子のことですか」
「それは申上げられません。今は何もいいたくないのです。しかしそのピストルは、決してわたくしが使ったものではございません。わたくしはこれまでにピストルというものに触ったこともなければ、ピストルで射撃したことも勿論ございません」
「そんなことは言訳にならないねえ。誰でも引金を引きさえすれば、弾丸は銃口から真直に飛びだすんだから……」と、検事は軽く一蹴して置いて、
「もう一つ伺うが、あなたの部屋を入ったすぐ右手の茶箪笥の上に花瓶が載っているが、花は活けてない。あの花瓶はいつから空になっているんですか」
 妙な質問に、家政婦は警戒の色を浮べながら、
「あのう、あの花活から花を捨てましたのは昨日の朝のことでございます。その花活がどうかいたしましたか」
「その中に、このピストルが隠してあったのですよ」
「まあ……」
「それについてどういう感想をお持ちですかな」
「何にもございません。全くわたくしの知らないことでございますから……」
「昨夜深更にこのピストルで主人を射殺しそれからこれをあなたの部屋の花瓶の中に隠した。なかなかいい隠し場所ですね。そういうことをなし得る立場にある人物は、極めて数が少いのですぞ。その当時この邸に居合わせたのは、実にあなたひとりである。そうでしょう。だからあなたは、もっとはっきり自分の立場を明らかにする必要がある。そう思いませんか」
 家政婦の顔から血の色がなくなった。しかし彼女は懸命になって叫んだ。
「わたくしがしたことではありません。それに唯わたくしひとりがこの家にいたように仰有いますが、外にも人が出入りしました。あの土居三津子という女のお客さまもそうですし、それから亀之介さまもそうでございました。わたくしだけじゃございません」
「それはそうですが、昨夜土居三津子はあなたの部屋へ入りはしなかったのでしょう。あなたは先に、それを証言している」
「それはそうですけれど……」
「亀之介氏はこの家の主人が殺されてから二三時間後に帰って来た。午前二時頃だったそうですね。あなたもそれを認めている。そうでしょう。」
「は、はい。ですけれど、旦那さまを殺したのはわたくしではありません……」
 家政婦は検事のために、遂に袋小路に追込まれてしまった感がある。彼女は滂沱たる涙を押えて、声を放って泣き出した。
 検事は当惑の顔で、家政婦を一時引下らせるように命じた。
 巡査に護られて家政婦の小林が、広間から出ていくと、帆村が何を思ったかその後を追って廊下へ出た。
 二三分経つと帆村は、元の広間へ戻って来た。そのとき広間では、誰も皆、煙草をぷかぷかふかして、すっかり緊張を解いていた。と、長谷戸検事が、帆村の方を振返っていった。
「今、本庁へそういって、土居三津子をここへ呼ぶように手配しました。土居がここへ来るまで、外にする仕事もないから、暫く取調べは中止します。解剖の方も、今やっているところでしょうから、この報告もずっと先のことになりましょうからねえ。あなたも、ちと散歩でもして来たらどうです」

   帆村の余興

 帆村は、検事に礼をいって、卓上に並んでいる茶呑茶碗を一つを[#「茶呑茶碗を一つを」はママ]取上げ、温い番茶を一口|啜《すす》った。
 一座は大寺警部を中心に、トマトの栽培方法について、話に花を咲かせている。
 そのとき帆村が、長谷戸検事に声をかけた。
「検事さん、この休憩時間に、僕にすこし訊問をやらせてくれませんか」
 帆村は今までにない積極的な申出をした。
「訊問を? 一体誰に訊問をするんですか」
「とりあえず二人あるんです。一人は亡くなった主人の弟の亀之介氏。そのあとが芝山宇平という爺さんですがね」
「亀之介と芝山の二人をね」検事はちょっと首をかしげたが、やがて肯いた。
「いいでしょう。許可します。しかしここで訊問をして下さい」
「はい、承知しました。じゃあ皆さんの御座興に、僕がちょっと余興をやらせてもらいます」
 帆村の申出に、一座には顔をしかめる者もあったが、長谷戸検事はすぐ警官を手招きして、亀之介をここへ連れてくるように命じた。
 暫くすると、二階の居間を出た亀之介が、のっそりとこの広間へ入って来た。
「何の用ですか」
 機嫌はよろしくない。
「お聞きしたいことがある。そこへ掛けて下さい。この帆村が訊きます」
 検事は親切に帆村のために段取を整えてやった。亀之介は、椅子をこの前と同じく、窓の傍へ引張っていって腰を下ろした。そしてまだ先刻のままに窓枠のところに載っている灰皿へ、葉巻の灰を指先で叩いて落とした。しかし灰は、まだいくらも先についていなかった。
「簡単なことをお訊ねいたしますが」
 と帆村は丁重に口を切った。
「昨夜この邸へお戻りになったとき、玄関の扉を開けてあなたをお入れしたのは、家政婦さんだったそうですね」
「そのとおり」
「家政婦さんはどんな服装をしていましたでしょうか」
「はははは」と亀之介が突然笑った。
「醜態でしたよ。上に錆色のコートを着、裾から太い二本の脚がにゅっと出ていました。そして当人は気がつかないらしいが、後から赤い腰紐が、ぶらんとぶら下って床に垂れているんです」
 家政婦の寝呆け姿が目に見えるようであった。他の人々も、帆村の訊問に興味を持って耳を欹《そばだ》てる。喋り手はますます得意になって、
「よく見ればね、小林はコートの下に長襦袢を高くからげて、腰紐で結えていたんですよ。なぜそんなことをしているか。はははは、これが面白いんだ。僕はこの目でちゃんと見てやったですがね、小林の婆さん、年齢甲斐もなく、下に娘のような派手な長襦袢を着ているんですよ。しかもどうやら長襦袢の下はノー……いや、もう他人の話はその位にして置きましょう。恨まれるといやだから。はははは」
 聴き手たちは、もっとその上の話を聞きたそうな顔であった。帆村は、それをくそ真面目な顔で、一々肯いていたが、そこでいった。
「なるほど。それからあなたはどうしなすったんですか」
「それから? それから僕は二階へ上って自分の部屋へ入り、ぐっすり寝ましたね」
「ああ、ちょっと。その間になにか、なさったことはありませんか」
「その間にですか? ありませんね、何にも……」
「お忘れになっているんでしょうね、あなたは家政婦に冷い水を大きなコップに一杯持ってくるようにお命じになった」
「ああ、そんなことですか」と、亀之介は歯牙にもかけないような顔をしたが、しかし彼の語調に狼狽の響きがあった。「ひどく酔っていたもんで、咽喉がからからなんです。ですから小林に水を貰って呑んだように思います」
「腰紐がぶら下っていることや、なまめかしい長襦袢のことはよく覚えていらっしゃるのに、水を貰って呑んだことは記憶がぼんやりしているのですね」
「それは皮肉ですか、こっちは正直に話をしているのに……」
「いや、あまり気にしないで下さい。そして家政婦が水を大きなコップに入れてくるまで、どこで待っていましたか?」
「二階へ上る階段の下です」
「お待ちになっている間、そこからどこへも動かれなかったんですか、例えば小林の後を追いかけて勝手元へ行ってみるとか、或いは又、小林の部屋へ入ってみるとか、そんなことはなかったですか」
「失敬なことをいい給うな。僕が――この邸の主人の弟が、なんであんな婆さんの後を追うんです。僕は色情狂ではない…………」
「いや、よく分りました。これで伺いたいことはすみました。どうぞお引取り下さい」
 亀之介はなおもぷりぷり憤慨して、帆村を睨みつけていたが、やがて火の消えた葉巻煙草をぽんと絨毯の上に叩きつけると、すたすたと部屋を出ていった。監視の警官が、あわててその後を追いかけた。
「いかがです、余興の第一幕は……」帆村はにやりと笑って一座へ軽く会釈した。「もうすこし御辛抱を願って、第二幕を開くことにいたします。じゃあどうぞ、下男の芝山宇平をここへお連れ下さい」

   宇平の苦悶

「帆村君がつっつくと、あの家政婦はだんだん色っぽくなって来るじゃないか。あれと亀之介と、これまでに何かあったんじゃないか」
 長谷戸検事が大寺警部を見て笑った。
「まさか、そうじゃないでしょう。亀之介は女に不自由するような人じゃないですからね」
 警部は、首を振った。
「しかし、あの兄にしてこの弟あり、ではないかねえ」
「兄は三津子のような若い美人を相手にしています、弟だって三津子ぐらいのところならいいでしょうが、まさかあの大年増の尻を追うことはないでしょう」
「まあ、もうすこし帆村君の演出を拝見していよう」
「そんなことよりも、ピストルの方を早く片づけたいものですがねえ」
「だから、今土居三津子がここへ来るじゃないか」
 そこへ芝山宇平が巡査に連れられておずおずと入って来た。そして亀之介がさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。
「へえ、何の御用でがすか」
 ぺこんと頭を下げる。五十歳をちょっと過ぎたというが、五分ぐらいに刈った短い頭髪が、額の両側のところですこし薄くなっている。血色のいい顔、大きな体の持主だ。
「これは特別に君の耳に入れて置くんですがねえ」と帆村が手帳を拡げて、仔細あり気に芝山の顔を見た。
「実は、ピストルが見つかったんです、一発だけ撃ってあるピストルがねえ」
「はあ。わしはピストルは見たこともねえでがす」
「いや、君のことじゃない。……そのピストルが隠してあったところが、ちょっと問題なんだがねえ。はっきりいうと、それは家政婦の小林さんの部屋なんだ」
「えっ、……」
 明らかに芝山は衝動を受けた様子。
「小林さんの部屋を入って右手に二畳の間がある。そこに茶箪笥があって、その上に花活が載っている。花は活けてない。水も殆んど入っていない。その花活の中に問題のピストルが、銃口を下にして隠してあったんだ。いいですか」
「へえへえ」
 芝山の眼は落着を失った。
「さあ、そこであなたに特に知らせて置くわけだが、そのピストルは小林さんが使って主人を撃ち殺し、そのあとで自分の部屋の花活の中に隠した――という嫌疑が小林さんに懸っているんだ」
「それは人違いです。おトメさんはそんな大それたことをするような女じゃあない」
 芝山は躍気になって否定した。
「だが、小林さんには、その嫌疑を否定する証拠がないんだ。つまり、自分がそのピストルを使わなかったことを証明することが出来ないんだ。また自分がピストルをその夜花活に隠さなかったことも証明できない。小林さんは今、あっちの部屋で気が変になったようになっている」
「残酷だ。おトメさんは人殺しをするような女じゃないです。そんな調べは間違っている」
「だがねえ宇平さん。そうでないという証拠が出て来ないのだよ。或いは小林さんの不運かも知れないが、証拠がないことには、小林さんは殺人容疑者として引かれることになるがね」
「それじゃ天道さまというものがありませんよ。おトメさんが人殺しをしないということは、わしが証人に立ちます」
「どういうことをいって証人に立ちます」
「日頃からよく交際っているが、決してそんな大それたことをする女じゃないと――」
「それだけでは役に立たない。もっとはっきりと証拠をあなたが出さないと駄目ですよ。例えばね、小林さんが部屋を出ていった留守に、或る男が入って来て、そっと上にあがり、花活の中にピストルを入れて、それからまたそっと出て行った。それをあなたがちゃんと見ていた――という風な証言が要るんだ」
「ははァ……」
「或いは又、あの晩、この邸へ来て主人を訪ねた土居三津子という若い女の客が、主人に送られて玄関から出て行った時刻――それは多分正十一時頃らしいが、小林さんがそのすこし前から始まって午前零時半頃までのこの一時間半[#「一時間半」は底本では「一時半」]ばかりの
前へ 次へ
全16ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング