ざいます。なんなら家内にお聞き下されば、よく知れますで……」
「君の住所はどこだっけな」
 芝山は市ヶ谷合羽坂の傍にある住所をいった。
「それから、ここの主人が死んでいるのに一番早く気がついた者は君だってね」
 芝山は、黙って首を二三度縦にうち振った。
「どうして気がついたか、話してみなさい」
「ええ、ええとそれは……今朝参りまして、庭に出ました。すると旦那様の御居間に電灯が点いています上に、窓の硝子戸《ガラスど》が、一応閉っちゃいますが、いつものように掛金がかかって居りません。つまり硝子戸が平仮名のくの字なりに外へはみ出して居りました。これはふしぎなことでございます。旦那様は戸締を厳重においいつけなさる方で、後にも先にもそんな不要慎な戸の閉め方をなさる方ではありませんでな、わしはたいへんふしぎに思いました」
「なるほど、それで……」
「それでわしは家へ入って、小林さんに、何だか旦那様の御居間の様子が変だぞやと申しましてな、騒ぎだしたようなわけでございます。御居間の戸を開けるのはどうかと思いましたので、一応庭に脚立梯子を立てまして、硝子窓越しに覗いてみました。わしは腰が抜けるほどびっくりしましたよ。なぜって旦那様が首のうしろを真赤にして死んでいらっしゃるんですからなあ、いや、そのときわしは身体が慄えだして、脚立の上から地面へとび下りたものでございますよ」
「それからどうした」
「そこでわしと小林さんは、家へ入ってお手伝いのお末さんも呼び、どうしようかと相談しました。その結果、二階にお休みになっている旦那様の弟御さま――亀之介さまのことでございます――弟御さまを先ずお起ししにかかったんですが、はあどうも、弟御さまは御返事はなさるが一向起きておいでがない。そして段々時間も経ちますので、わしらは困っちまいましてな、そこでとうとう三人で戸にぶつかって錠をこわして中へ入ってみましたんで。あとはごらんになったあの通りでございます」
 語り終った芝山は、汗をかいていた。
「主人の死んだことについて、何か心当りはないかね。なんでも正直に申立てるように。誰に遠慮することもいらんから、どんなことでもいってみたまえ」
「はあ」芝山はしばしうなだれていたが「さあ、わしは通勤者じゃで、お邸の夜の出来事にはさっぱり見当がつきませんので……」
「土居三津子という若い婦人を見たことがないかね」
「今朝見ましてございますが、それが初めてでな、前には見たことがございません」
「あの娘が主人を殺した犯人だとは思わないか」
「存じません。全く存じません」
「亀之介という人は怪しいとは思わないか。なんかそれに関して知らないか」
「存じませんです。何にも存じません」
「じゃあ家政婦の小林はどうだ」
「おトメさん? おトメさんは大丈夫です。そんなことの出来るような女じゃありません」
「君はどうだ。犯人じゃないか」
「と、とんでもない……」
「お手伝いのお末というのは怪しくないか」
「あれは真面目な感心な娘で、これも間違いございません」
「亀之介と小林との間に、何か睨み合うような事情があるのを知っているか」
「ええっ、何と仰有る……」と芝山は顔を固くして聞きかえしたが、「そんなことは、ないと思いますよ。とにかくわしの存じませんことで……」と答えたが、なぜかその返答には不透明なものが交っているように思われた。
「いや、ご苦労。そのへんで結構。まあ引取って、あっちで休んでいるように」
 検事はそういって芝山宇平を退らせた。
 さてそのあとに、お手伝いのお末が警官につき添われて、検事たちの前に現れた。
 お末は年齢からいえば二十二歳という娘ざかりであったが、しかし一同の前に現われたお末なる女は予想に反して、もっと年をとった、そして黄色く乾涸びたような貧弱な暗い女性だった。痩せた顔は花王石鹸の商標のように反りかえっていて、とびだしたような大きな目の上には、厚いレンズの近視鏡をかけていた。
 だが、検事たちの前に立ったお末の態度はすこしもおどおどしたところがなく、むしろ検事達の方が圧倒されるくらいのものであった。
 型の通りの訊問があった後、昨夜のお末の動静を訊ねたところ、
「夕刻の六時にお暇を頂きまして、それから河田町にございますミヤコ缶詰工場へ出勤いたしました。そこで私は九時まで勤めました。仕事は缶詰の衛生度の抜き試験でございます。九時十五分頃工場を出まして、電車で新宿に出、それから旭町のアパートへ帰りました。昨夜は疲れて居りましたので、いつもの勉強はやめて、入浴して十時半に寝ました。それから今朝は六時すこし廻ったころに、この邸へ着きましてございます」
 そういい終えるとお末は丁寧にお辞儀をした。
 検事たちは愕いた。この女は昼間はこの邸で働きをし、夜は夜で工場で働いているとは、なんとよく働く女だろう。一体何故そんなに働かねばならないのか――。
 ちょうどそのときだった。この部屋へつかつかと足早に入って来た者があった。部長刑事の佐々という三十男で、主任大寺警部の腕の一本といわれる腕利きだった。
「お話中ですが……」と彼は断った後、大寺警部の前へ白い布に包んだものを出して拡げてみせた。それは一挺のピストルだった。
「ピストル? どこにあった? 一件のか……」
 と警部は昂奮して早口に訊いた。
「そうらしいです。一発発射しています。このピストルを見付けたのは、家政婦の部屋の中です」
「なに家政婦の部屋の中に、このピストルが……」
 期せずして大寺警部と長谷戸検事の視線とがぴったりと抱き合った。
 そのうしろでは、さっきまで睡むそうな顔をして欠伸を噛み殺していた帆村荘六が、今は別人のようなしっかりした表情になって、室内の誰からも一時忘れられているお手伝いのお末の、しなびた顔にじっと見入っていた――。

   花活《はないけ》の中

 ピストルの発見は、検察官一同を総立ち同様にまで昂奮せしめる力があった。
 中にも、最も衝動を受けたのは主任警部の大寺だった。彼は、この事件の犯人を、今本庁に引いていって拘置してある土居三津子だと、自分の心の中には確信していた。只いささか満足するには欠けることは、三津子が旗田鶴彌を射撃するに使ったピストルが発見されないことであった。ところが今やそのピストルらしいものが、同じ惨劇の旗田邸の屋根の下に於て発見せられた。が、その場所がどうも気に入らない。家政婦小林の部屋の中に発見されたからである。
「一体このピストルは、どこに在ったのかね」
 と長谷戸検事は、ピストルの発見者の佐々部長刑事に尋ねた。
「それは家政婦の部屋を入ったすぐ右手に茶箪笥がありまして、その上に口の広い磁器の花瓶が載っていますが、その中に隠してあったのです」
 佐々は手真似もして、それを証明した。
「花が活けてある花瓶かね」
「いえ、花は挿してありません」
「じゃあ空かね」
「はい。今ここへ持って参りましょう」
「いや、こっちから行くよ」
 検事は腰を上げた。
 そのときお末を監視していた巡査がお末はこのままにして置くのか、元の部屋へ帰らせていいのかを検事に尋ねた。
「ああ、元の部屋へ行って貰おう。やっぱり外出は厳禁だよ」
 検事はそう言い置いて、家政婦の部屋へ行った。小林の部屋は一階の右の奥で、勝手より手前であった。狭い廊下を入ると、左側に入口があって、一坪の板の間があり、扉がこれへ開く。その奥は、床が高くなっていて、障子を開くと六畳の間と二畳の間があり、二畳の間は、一坪の板の間の右隣となっている。また六畳の間には二間の押入がある。問題の花瓶は、その二畳の間に置いてある茶箪笥の上に載っていたが、なるほど花は活かっていない。
 検事の外、二三名が上へ上る。後からついて来た帆村は、花瓶の方にはあまりに興味がないらしく見え、その代り広い二間の押入の襖をあけてみる。
 中は、きちんと片づいていた。赤い友禅模様の夜具が、この部屋の主には少し不釣合なほど艶《なまめ》かしい。帆村の手が伸びて、下段の端に置かれてある小型の茶箪笥の扉を開いた。するとその中には徳利や猪口が入っていた外に、清酒の一升壜が半分ほどの酒を残しているのが収ってあった。ついでに帆村の手が、その隣りの、臙脂色の塗箱の引出の一つ一つに掛けられた。帆村の記憶にはっきり残ったのは、袋入りの秘戯画と、沢山の上質のみす紙とであった。
「おい帆村君。これを見なくてもいいのかね」
 長谷戸検事の声に、帆村は押入の襖を閉めてから検事の傍へ行った。
「この花瓶なんだが、底に深さ一|糎《センチ》ばかりの水が残っていた。ピストルは、銃口を下にして入っていたそうだ。ところがピストルの銃口を虫眼鏡でよく調べたが、錆《さび》はまだ全然発生していない。だからこのピストルが花瓶の中へ隠されたのはこの一両日のことだということが推察される。それだけのことなんだが……」
「どうもありがとうございました」
 と、帆村は丁重に礼をいった。
 検事は真面目な顔で肯いた。それから主任警部の大寺にいった。
「このピストルをすぐ鑑識の人に調べて貰って呉れたまえ。指紋と、弾丸にどんな条跡を与えるか写真に撮ることを、すぐに頼む。十五分もあれば分るだろう。その間われわれはちょっと休憩をしようじゃないか。お茶は呑めないだろうからね」

   袋小路

 休憩時間が過ぎると、几帳面な検事は、早速取調べの続行を宣した。
「ピストルの指紋はどうだったね」
 検事の声に、鑑識課員が立って来て、
「指紋は一つもついていません。手袋をはめて使ったんでしょうね」
 と応えた。
「ああ、そうか」
 検事は格別失望の色も見せなかった。そして鑑識課員から、ピストルの条跡の拡大写真を二三枚うけとった。
「このピストルは誰のものかね。それから調べて行きたい。まず家政婦の小林をここへ……」
 検事の命令で、小林トメは襟元を合わせながら広間へ入って来た。そして設けの椅子の上に、はちきれるようなお臀を据えた。彼女の目は、わざと検事がすぐ目の前の卓上に置いたピストルに注がれて、一瞬はっと胸をすくめたが、間もなく元に戻った。
「このピストルに見覚えはないですか」
 と、検事の訊問が始まった。
「いいえ、存じません」
 家政婦の声音は、尋常であった。
「亡くなったこの家の主人の所有物ではないのかね」
「旦那さまがピストルをお持ちになっていたかどうか、わたくしは存じません」
「そうか。それならそれとして……」と検事は鋭い瞳を家政婦の面につけた上で「このピストルは君の居間にあったのを見付けたんだがねえ」
「ええッ、このピストルがわたくしの部屋に?」
 と、家政婦の顔色はさっと変った。
「一発だけ発射してあるんですよ。そして発射してから間もない。それが君の部屋に隠してあった。どういうわけですかね、説明をして貰いたい」
 検事はじりじりと家政婦に肉迫する。
「そのピストルは、わたくしの部屋のどこに隠してあったんでしょうか。全くわたくしの知らないことなんです。そんなことがあれば、誰か……誰かがわたくしに罪をなすりつけるためにそのような恐ろしいことを――」
「他人の陰謀だというんですね。それならそれは一体誰です。誰だと思いますか」
「……はい」家政婦の目は混乱した。
「それは申上げられません」
「言えない。何故言えないのですか」
「…………」
「死んだ主人の弟の亀之介氏ですか」
 検事は、先に亀之介が家政婦を誹謗したことを思出したから、このように訊いてみた。
「いいえ、亀之介さまの事ではございません」
 と、家政婦は言下に否定した。検事は困惑を感じた。すると家政婦がつけ加えた。
「このお邸に出入りしている人達は、何かというと、わたくしを利用して悪いことをなさるのです。この年齢になるのに、こんなお邸に家政婦として温和しく朽ちて行くわたくしを、なんだって御自分の野心に利用したり、悪いことのはきだめにしたりなさるんでしょう。ああ、もっと早くそれが分っていたら、わたくしはこんなお邸へ家政婦などとして入るのじゃなかったんです」
 家政
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