してふしぎにも、ちゃんと立ち上れた。しかし、まだ少しふらふらする足を踏みしめて、あとを追いかけた。
 X大使は、階段をのぼっていく。私はその後を追いかけた。手を伸ばせば届くほどの距離でありながら、X大使は、すこしずつ私より先を歩いている。
 階段は、もうX大使の頭のところで、つかえている。私は、かなわぬまでも、ここでX大使を追いつめて、せめて足でも捕えて、曳《ひ》き摺《ず》りおろしたい考えだった。
 ところがX大使は、なおも悠々と、階段の上にのぼっていく。私は懸命に追いかけた。そして、ついに大使の足を捕えた。
 が、なんたる不思議! 私の手は、階段の上の防水|扉《ドア》にいやというほどぶっつかった。見れば、X大使の姿は、そこになかった。有るのは防水扉だけであった。
 といって、防水扉は、決して開いたわけではなかった。もし防水扉が開けば、海水が、どっと下におちてくるだろう。しかし、只の一滴の海水も階段の上から降ってこなかった。だから防水扉は絶対に開かなかったのだ。しかもX大使の体は消えてしまったのだ。恰《あたか》も大使の体は防水扉を透過《とうか》して、クロクロ島の外に出た――と、そうとしか考えられないのであった。
 怪また怪!
 私は、階段に取り縋《すが》ったまま、大戦慄《だいせんりつ》の末、全身にびっしょり汗をかいた。


   大戦慄《だいせんりつ》――夢かテレビジョンか


 私は、それから小一時間も、なにをする元気もなく、階段の下にうずくまっていた。
 おお、X大使!
 なんという恐ろしい人物にめぐりあったものだろう。これが太古であれば、天狗《てんぐ》さまに出会ったとでも記すところであろう。さすがの私も、すっかり頭の中が混乱してしまった。
 警鈴《けいれい》が、あまりに永いこと鳴り響くので、私はやっと正気《しょうき》づいたのであった。いや、全く、本当の話である。それほど、私はずいぶん永いこと放心の状態にあった。
(警鈴が鳴っているのに、オルガ姫は、なぜ出ないのであろう)
 そんなことを、いくどもくりかえし思っているうちに私は、正気にかえったのであった。
「そうだった。オルガ姫は、壊《こわ》れて、倒れていたっけ」
 私は、起き上って、元の室内へと、とってかえした。
 配電盤の前に、オルガ姫が前のとおりに倒れている。彼女の首は肩のところから離れて、私の机の下へ転がっている。
 私は、彼女の体を抱き起して、壁に凭《もた》せかけた。それからこんどは、首を拾いあげた。その首を彼女の肩のうえに嵌《は》めてやった。
 彼女は、死んだようになって、すこしも動かない。
 私は、オルガ姫の胸をあけた。
「ほう、こいつだな」
 真空管の一つが、消えていた。
 私は、新しい真空管を棚から下ろして、故障の真空管のあとに挿しこんだ。そして姫の胸を元どおりに閉じてやった。
 すると、姫は、いきなりぴょこんと立ち上ると、すぐさま、警鈴の鳴る配電盤の前へ走りよったのであった。――私の助手オルガ姫は、もう読者のお察しのとおり、これは本当の人間ではなくて、実は機械で組立てた人造人間であったのである。
 人造人間は、助手として、はなはだ好適《こうてき》であった。
 命令は、絶対にまちがいなくまもるし、食事をするわけではなく、人間らしいものぐさ[#「ものぐさ」に傍点]もなし、そして部分品をとりかえさえすれば、いくらでも使える。
 殊にオルガ姫の端麗《たんれい》さは、ちょっと人間界にも見あたらぬほどだ。私は有名なるミラノの美術館を一週間見て廻って、ようやくオルガ姫の原型《げんけい》を拾い出したのであった。それを私の理想とする婦人像であったのだ。
 オルガ姫を見ていると、私は母の懐《ふところ》に抱かれているような安心を覚える。
 そのオルガ姫は、配電盤のところに立って、しきりに録音された鋼鉄のワイヤを調べていたが、私の方に向き直り、
「警報信号が、しきりに入っているのですけれど、発信者の名前もなく、それに、本文もないのですが」
 オルガ姫は、報告だけをすると、また配電盤の方へ向いて忙しそうに手をうごかした。
「発信者の名前もなく、また本文もない……」
 私は、それはきっと逃亡中の久慈が、自分の安泰を知らせているのだと解釈したのであった。
 久慈は、このクロクロ島へ逃げこんでくるかも知れない。いや、どうもそういう気がする。
 もし、ここへ逃げこんでくるとすると、彼の到着は、早くも明日の朝になるであろう。
 私は、オルガ姫に命じて、なおもその警報信号に注意を払わせることとし、もしも、なにか本文らしいものを相手がうってきたら、すぐさま私に知らせろといいつけた。
 そうして置いて私は、X大使の闖入《ちんにゅう》以来、あまりに疲れたので、しばし長椅子に横たわって睡眠をとることにした。
 人間は不便だ。オルガ姫は、二十四時間働いていて、疲れることも知らなければ、睡眠をとる必要もないのだ。しかし私は、疲れもするし、食慾も起るし、また睡りもしなければならなかった。
 さて、睡ろうとはしたが、私の神経は、いやに昂《たかぶ》っていて、いつものように五分とたたないうちに睡りに入るなどということは不可能だった。私は、長椅子のうえにいくたびか苦しい寝がえりをうった。
 睡りかけると、急に心臓がどきどきし始める。そしてそれがきっかけのように、X大使の姿が目の前に浮かぶのだった。
(おい、どうだね、黒馬博士。わしのすばらしい透過《とうか》現象を見ただろうね。それから、君の脳細胞もまたオルガ姫の電気脳も、わしは、やっつけようと思えば、徹底的にやっつけられるのだが、それでは礼儀を失うと思ってあの程度に止めておいたのだよ。とにかく、気を付けなければいけない。これは、君への忠告だ。君たちは、自分の脳の働きについて、あまり自信がありすぎる。その辺をよく考えたまえ。地球の人間が、大宇宙で一番優秀な生物だと思っていると大まちがいだよ!)
 X大使が、はじめは夢の中にあらわれ、それからしばらくすると、だんだん夢ではなく、テレビジョン電話で話しかけられているような恰好になってきた。
 X大使は、あの超人的な力をもって、今もなお私の脳髄に、不思議な力を働かせているのではないか。私は胸元をしめつけられるような苦しさに襲われ、はっと目ざめて、長椅子からとび上った。――しかし、それは、やっぱり夢であった。
 おそるべきはX大使だ。彼は、私の強敵だ。そのとき私は、ふと或ることを思いついた。いつか、「地球お化け事件」のことについて、怪放送を行っていた疑問の人物があったが、あの人物こそ、このX大使と同一の人物なのではなかろうか。
 彼は、私に、奇妙な質問を発し、人類は、「地球に於ける資源不足を、どう解決するつもりか?」と迫ったが、彼は、なぜそんなことを、私に訊ねる必要があったのであろう。いよいよ勃発《ぼっぱつ》する形勢の、第三次世界大戦の舞台に、彼X大使は、いかなる重要な役割をもっているのであろうか。
 私の悩みは、大使の訪問以来急に二倍にも三倍にも増大していったのである。


   落下傘《らっかさん》見ゆ――果して同志の六名か


 黎明《れいめい》が来た。
 クロクロ島は、いつしか元のとおりに海面に浮かび上っていた。
 潮を含んだそよ風が、通風筒をとおり私の頸筋《くびすじ》を掠《かす》めていく。
 かん、かん。かん、かん。
 軍艦と同じように、時鐘が、冴々《さえざえ》と響きわたる。
(もう五時だ!)
 オルガ姫が、つかつかと近づいて、手提鞄を卓子《テーブル》のうえに置いた。
「これが昨夜中に蒐《あつ》まった録音です」
 人造人間との会話は、何を聞いても、こっちからは返事をする必要のないことであった。返事をしなくても人造人間は、私を高慢ちきな奴だと腹も立てず、また返事をしてやっても、悦《よろこ》ぶわけではない。私はただ必要なる命令だけを喋ればよかった。
 私は、録音器の入った鞄をもって、階段をのぼっていった。
 島の上に出ると、朝やけの空のもと、静かな海にはうねりもなかった。
 昨夜、この辺に、執拗《しつよう》な索敵《さくてき》行動をくりかえした汎米連邦の艦隊は、影も見えなかった。空と海と、そしてクロクロ島だ。原始時代の昔にかえったような、まことに単純な世界の中の一刻であった。戦争もない、資源問題もない。只有るのは、今もいったように、空と海と、そしてクロクロ島だけであった。
 私は、古ぼけた籐椅子《とういす》に、背をもたせかけた。それから、肘掛《ひじかけ》の裏をさぐって、釦《ボタン》を指先でさぐった。番号の4という釦を押すと、足許の岩がバネ仕掛けの蓋のように、ぽんと開いた。そして下から、西洋の郵便箱のような形をした録音発声器がせりあがってきた。
 私は発声器の後部をひらいて、鞄の中に入れてきた録音ワイヤを投げこんだ。ワイヤの一端を、スプールの一方の穴に止め、そして、蓋を閉じると、発声器は自然に録音を再発声しはじめた。
“――欧弗同盟《おうふつどうめい》側は、一切の戦闘準備を終了した。召集された兵員の数は、二千五百万、地下鉄道網《ちかてつどうもう》は、これらの兵員を配置につけるため、大多忙を極めている”
 これは汎米連邦のワシントン放送であった。
 ちょっと途切れてから、また次の録音が声にかわった。
“――ワイベルト大統領は、戦費の第一次支出として、千九百億|弗《ドル》の支出案に署名をした”
“――欧弗同盟の元首ビスマーク将軍は、昨夜、会議からの帰途、ヒトラー街において、七名の兇漢《きょうかん》に襲撃され、電磁弾《でんじだん》をなげつけられて将軍は重傷を負った。犯人は、その場で逮捕せられたが、彼等は将軍の民族強圧に反対するアラビア人であった。今後、同国内におけるこの種の示威運動は、活溌になるであろうと識者は見ている”
“――汎米連邦における敵国スパイの跳梁《ちょうりょう》は、いよいよ甚《はなは》だしきものがあり、殊に昨日は、ワシントン市と南米方面とは互いに連絡をもつスパイの通信が受信せられ、警備隊は、これの検挙に出動した。ワシントン市におけるスパイの巣窟《そうくつ》はついに壊滅《かいめつ》し、スパイの大半は捕縛《ほばく》せられ、その一部は、自殺または逃走した。南米方面のスパイに対しては、厳重な包囲陣が敷かれて居り、彼等の検挙はもはや時間の問題である”
 こうした録音は、いずれも汎米連邦側のものばかりであった。
 これに対して、欧弗同盟側では、殆んど、何にも放送していないのが、甚だ奇妙な対照をなしていた。
 只一つ、最後に欧弗同盟側の簡単な放送があった。
“――元首ビスマーク将軍は、今、寝所に入ったばかりである。元首は一昨日以来、ベルリンにおいて閲兵《えっぺい》と議会への臨席とで寸暇もなく活動している。因《ちな》みに、ベルリン市には、数年前から一人のアラビア人もいない”
 この放送は、明らかに、ワシントン特電がデマ放送であることを指摘し、反駁《はんばく》しているものであった。その外《ほか》のことについては、ベルリン特電は、なにもいっていないし、欧弗同盟のいずこの地点よりも、一つの放送さえなかった。それは、非常にりっぱに統制が保たれているというか、或いは開戦にあたって、作戦の機密を洩《もら》させまいと努力しているのだというか、とにかく林の如く静かであることが、汎米連邦側にはすこぶる気味のわるいものであった。
 汎米連邦と欧弗同盟国との戦闘は、あと数日を出でないで、開始されるであろうと思われた。
「落下傘が六個、下りてきます! 頭上、千五百メートル付近を、下降中!」
 とつぜん、オルガ姫の声であった。
 私は、空を仰いだ。
 ああ、見える見える。灰色の爆弾のようなものが、ぐんぐん下におちてくる。もっとスピードが速ければ、爆弾と間違えたかもしれない。
 落下傘は、主傘《しゅさん》を開いていない。小さい副傘を、ぽつんぽつんと、開きながら、まだ相当のスピードで落ちてくるのが分った。
 主傘がぱっと、開いたのは、高度二百
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