人影は、嘗《かつ》て私が見たことのある彼《か》の奇怪なる服装をしたX大使の姿となり果てたのであった。高圧潜水服に全身を包んだような、大使の不思議なる姿!
「どうだ、わしの姿が見えるだろう」
「舞台の上の大魔術というところだ。入場料をとっているなら、拍手を送りたいところだが、そんな手で、私はごま化されないぞ。これは、君の本当の体ではなくて、幻影にすぎないのだ」
「幻影? 可哀いそうな人間よ。これでも、幻影か」
 X大使は、とつぜん私の方に近づき、私が身をかわそうとするのを先まわりして、やっと、かけごえをして、私の腕を掴んだ。
「うむ、痛い! 骨が、折れる……」
 X大使の握力は、まるで万力機械《まんりききかい》のように、強かった。幻影ではないX大使であった。私は歯を喰いしばって、疼痛《とうつう》にたえた。
「ははは、それ見たことか」
 X大使は、憫笑《びんしょう》すると、やっと手を放した。
「だが、黒馬博士。わしの真意は、君を殺すことではない。いや、それよりも、正直なところ、わしは君と友好的に協力し合いたいのだ。どうだ、承知しないか」
 突然、X大使の言葉は、妥協的になった。
 だが、私は油断しなかった。
「身勝手なことを、いってはいかん。私をこんな目にあわせて置きながら、友好的協力もなにも、あったものじゃない」
 私は、すかさず抗議をしてやった。
「まあ、そういうな。今、君が遭っている異変は、魔術でもなんでもない。わしは君に、わしの偉力を、ちょっぴり見せたかったのだ。――だが、今君は、わしに対して感情を害しているようだ。わしは、これ以上無理に君を圧迫しまい。私は自ら一時退却する。しかし、この際、君に一言のこして置くから、忘れないでいてもらいたい」
 と、X大使は、改まった調子で、
「今後、君たち大東亜共栄圏の民族は、更に大きな危険に曝《さら》されることになるだろう。そのとき、救援が欲しかったら、わしに求めるがいい。わしは、ちょっとした交換条件をもって、君たちを全面的に援助するだろう。どうか、それを忘れないで……」
 そういったかと思うと、X大使の姿は、俄《にわ》かに、アーク灯のごとく輝きだした。いや、大使の姿だけではない。私の身のまわりの暗黒世界が、一時に眩《まぶ》しく輝きだした。私はあっと叫んでその場にひれ伏した。そして知覚を失ってしまったのである。


   確認された侵入――三角暗礁へ船をつけろ


 再度、私が吾れに戻ったときには、なんという不思議か、私は元の快速潜水艇の中に横たわっていた。
「深度、百五十!」
 オルガ姫の声だ。
 私は夢を見ていたのか。
「おい、オルガ姫。クロクロ島の所在は、どうした」
「はい。まだ、見当りません」
 いつの間にか、スイッチが切りかえられて、操縦その他は、オルガ姫が担当していることが分った。
 夢を見ていたのであろうか。本当に、あれは夢だったか。
 そのとき私は、右掌《みぎて》を、しっかり握っているのに気がついた。
「なんだろう?」
 私は掌を開いた。中から出てきたのは、一枚の折り畳んだ紙片であった。
 私は、その紙片を開いてみた。
「おお、これは……」
 私は、愕然《がくぜん》とした。
「友好的に協力を相談したし。X大使」
 簡単だが、ちゃんと文章が認《したた》めてあった。いつ、誰が、私の掌の中に、この紙片を握らせたのであろうか。しかしこんなものがあれば、さっきからのX大使との押し問答は、夢だとは思われなかった。
 私は、改めて、惑わざるを得なかった。
「オルガ姫、われわれがクロクロ島のあった場所に戻りついてから、只今までの間に、なにか異変はなかったか」
 私はそういう質問を発して、姫の返事やいかにと、胸をとどろかせた。
「自記計器のグラフを見ますと、三分間ばかり、はげしい擾乱《じょうらん》状態にあったことが、記録されています」
「なに擾乱状態が……」
 私は、手を伸ばして、自記計器の一つである自記湿度計の中から、グラフの巻紙を引張り出した。なるほど、つい今しがた、三分間に亘って、湿度曲線がはげしく振震《しんしん》していた。
 湿度が、こんなに上下にはげしく震動するなんて、常識上、そんなことが起るはずはなかった。これは、異変と名づけるほかに、説明のしようがない。たしかに、今しがた三分間の異変があったということが、グラフによって確認されたわけである。
「ふーん、やっぱりX大使は、本当にここへやって来たんだな」
 X大使の来訪《らいほう》は、今や疑う余地がなかった。私には、その会見の時間が、三分間どころか、もっともっと永いものに感ぜられたのであった。私の感じでは、すくなくとも三十分はかかったように思う。
 大使の来訪は確認されたが、その他の奇異な現象については、今のところ、私はそれを解
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