、私の惹《ひ》き起したポーランド女の殺害事件についてであった。
 元帥は、私たちの報告を、しずかにうなずきつつ、聞き入っていたが、
「まあ、その辺で、話の筋は分った。いずれにしろ、大東亜共栄圏を侵略しようという敵国の肚《はら》の中が、手にとるように分る。黒馬博士に、とつぜん帰国を願ったのも実はそのためじゃ」
 私は、元帥が、なにか思いちがいをしているのではないかと思った。
「元帥閣下、大東亜共栄圏を侵略しようとする外国があるにしても、只今すぐには、手が出ないのではありませんか」
「なぜじゃ、それは……」
「でも、只今、米連《べいれん》と欧弗同盟《おうふつどうめい》とは、第三次の戦争を起そうとしています。一方は北南アメリカ大陸に陣どり、他方はヨーロッパとアフリカの両大陸を武装し、これから喰うか喰われるかの大戦闘が始まるのではありませんか。ですから、只今、大東亜共栄圏に手を伸ばすにも、その余裕がない筈です。そうではありませんか」
「うん、われわれも、昨日《きのう》までは、そう思っていた。そう信じていたのじゃ。ところが、昨日《きのう》になって、おどろくべき真相が曝露したのじゃ」
 元帥は、沈痛な面持でいった。
「おどろくべき真相とは?」
 私は、過去においてこのように元帥が、顔色を悪くしたことを知らないので、内心非常に安らかでなかった。
「うむ、実におどろくにたえぬ真相じゃ」
 と、元帥は拳を固めて、卓子の上を、どんと叩いて、
「皆、聞け、よろしいか。始めて聞いたのでは、信じられないかもしれないが、米州連邦と欧弗同盟国とは、互いに戈《ほこ》を交えて、戦闘を開始するのではない。彼等は、協力して東西から、わが大東亜共栄圏を挟撃《きょうげき》しようというのである」
「まさか、そんなことが……」
 と、私は言下《げんか》に否定した。米連と欧弗同盟は、三十年来の敵同志だ。それが、急に手を握るなんて、あるものか。第一、双方とも、既に戦闘するつもりで、高度の大動員を行っているではないか。


   迫る大危機――敵は黒幕の主


 私は、思ったとおりを、元帥に対して、申し述べたのであった。
「米連と欧弗同盟とは、宿敵です。ここへ来て双方《そうほう》刃物をふり上げているのに、今更、どうして手を握れましょう」
 元帥は、唇をへの字に結んで、首を大きく、左右へ振った。
「わが判断には、絶対に誤りなしじゃ。それに、ここに信ずべき確証もある」
 といって、元帥は、卓子《テーブル》のうえの電文|綴《つづり》の上に、大きな手を置いた。
「どうも仕方がないのだ。狙われるだけの価値があるのじゃ。わが大東亜共栄圏は、三十年来の建設的努力が酬いられて、ついに今日世界の宝庫となるに至ったのだ」
 元帥の眉が、ぴくんと動く。
「米連と欧弗同盟とは、戦闘開始の一歩前に、このどんでんがえしの盟約を行ったのである。白人の外交は、いつの世にも、あまりに複雑怪奇である」
「すると、白色人種と有色人種との間に、歴史的な、そして宿命的な戦闘が始まるのですか」
 私は、そのように聞かずにはいられなかった。
 元帥は、私の鋭い質問に対しては、直接には応えず、
「白色人種だの有色人種だのという区別を考えることが、既におかしいのである。だが、白人の中には、或る利己的な謀略上、そういう考え方を宣伝する悪い奴がいるのだ。われ等有色人種の道義としては、全く想いもよらないことだが、白人の中には、有色人種を今のうちに叩いておかなければ、やがて有色人種のため、白色人種が奴隷になってしまう日が来ると、本気でそう信じている者がいる。そして、今、この誤れる思想が、燎原《りょうげん》の火の如く、白人の間にひろがっているのだ。だから、われわれの真の敵は、一般白人にあらずして、今回謀略上このような怪思想の宣伝を始めた黒幕の主こそ、われわれの真の敵である」
「なるほど。その黒幕の主こそ、正しくわれわれの大敵でありますな」
 ここに至って、私はようやく、鬼塚元帥のいうことに理解がいったのであった。
 ああ、とつぜん確認された意外な大敵! そは、一体何者であろうか。汎米連邦のワイベルト大統領か、或いは又、欧弗同盟のビスマーク将軍か、それとも、また別の怪人物であろうか。
「それで、博士、わが外交陣は、これより懸命の活躍をはじめ、戦争の勃発を、極力おさえるつもりであるが、しかし……」
 といって、鬼塚元帥は、しばらく目を瞑《めい》じ、
「……しかし、それが不成功に終った暁には、われわれは、大東亜共栄圏の自衛上、武器をとって立ち上らなければならないのだ。そして、世界史始まって以来の最大の死闘が、この地球上に展開されるであろう。そのへんの覚悟は、して置いて貰いたい」
「元帥閣下、よく分りました。貴官のお考えでは、戦闘はいつから始ま
前へ 次へ
全39ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング