術といった方がいいかもしれないが……。
 X大使は、恐らく、世界最高の学者ではないかと思う。真にすぐれた学者が、自分の究めた科学力をひっさげて、自分の意志のままに、世の中を闊歩しはじめたら、これは手がつけられないだろう。
 X大使は、正にそれだ。
 汎米連邦の国力よりも、欧弗同盟の兵力よりも、X大使の意志こそ、この際、最も恐るべきものである――と、私は信じたことであった。
 行こう、X大使とともに。そして、しばらくX大使の魔術ではない魔術を静観しよう。
「では、X大使。私を、米連艦隊の旗艦へつれていって呉れたまえ」
「よろしい。向うへいったら、君が訊《き》きたいと思うことを訊いてよろしい。しかし、わしの代りに、一つ二つ訊いてもらいたいことが出来るかもしれない。そのときは、ぬかりなく、やってくれたまえ。むろん相手には、悟られぬようにな」
 X大使は、妙な注文をつけた。私は承知した。
「さあ、それでは……」
 と、X大使がいったかと思うと、私は、急に目まいがした……。と、またX大使の声だ。
「おい、しっかりしろ。旗艦ユーダ号の司令長官室だ。今、ピース提督が、ひとりで、この部屋へ戻ってくる。しっかりやれ!」


   司令長官室――透明人間


 さして広くはないけれど、どこかの宮殿の模型のような、飾りたてた部屋である。
 正面にはどっしりした事務机があって、そのうえには書類がひろげ放しになっている。その前には会議|卓子《テーブル》があって、周囲《まわり》には、やわらかそうな皮製の椅子が、十ほど並んでいる。壁には、複雑なパネル型の通信機が、取りつけてあるすばらしい司令長官室だ。
 私は、長官ピース提督の椅子に腰をおろして、彼がこの部屋に戻ってくるのを待つことにした。そしてそのついでに、長官の机上に散らばっている書類を、片っ端から拾い読みをしていった。
 その書類の多くは電報だった。
 それを読むと、米連艦隊は、いま日本を最後の目標として、南方から肉迫せんとしているところだし、他方欧弗同盟は、アジア大陸の日本を北及西から攻撃せんとしており、大東亜共栄圏はもちろんのこと、日本は南北から挟撃されようとしていることがはっきり分った。
(ひどいことをしやがる。有色人種の犠牲において、白人たちがいいことをしようというのだろう)
 私は、そう思わないではいられなかった。これは私だけのひがみでないと思う。
 そんなことを考えているとき、入口ががちゃりと鳴って扉《ドア》があいた。銃剣をもった衛兵が、扉をひらいたのだ。
(おお、司令長官ピース提督だな)
 私は提督をおどかすつもりで、あえて提督の椅子から立とうともせず、その廻転椅子をぎいぎいいわせていた。
 扉をしめた提督は、ふと気がついたらしく、後をふりかえった。無髯《むぜん》の提督の顔は、不審そうに歪んでいた。そして彼は、呟いた。
「はあて、なにが、ぎいぎい鳴っているのだろうか」
 そういって、提督の眼は、たしかに私の方にそそがれていた。
「はあて、あそこに、廻転椅子が、ひとりでぐるぐる廻っているが、どうしたことじゃろうか。たしかに、あの椅子が、ぎいぎいと音を立てているが……」
 さすがに提督であった。おどろいてはいるが、大きなこえも出さなかった。
 だが、そのとき、私は、
(おや、へんだな。提督は、へんなことをいったぞ)
 と、不審にぶつかった。――提督は、廻転椅子が廻っているといったが、廻転椅子は見えて、私は見えないのであろうか、そんなことがあろうと思われない。
(ひょっとすると、提督は、わざと私が見えないような風を装っているのではなかろうか。つまり、提督は、私に弱味を見せないために……)
 私の方は、いざとなったらX大使が助けに出てくれると思うから、気がつよい。――そこで私は、椅子から立ち上って、提督の方へ近づいた。
 すると提督は、安心したような表情になって、
「おお、椅子は、ぴたりと停っている。余は、なにか思いちがいをしたらしい」
 提督には、本当に私の姿が見えないようである。そうなると私は、反《かえ》ってどきどきしてきた。私は、ことさら足音たかく、提督のまわりをどんどんと歩いてみた。
 俄然《がぜん》、この効目はあった。
「ややややッ、足音だ。誰かの足音だ。息づかいも聞える。はてな、これはへんだ」
 提督は、非常に愕いた様子であった。そして入口の扉の方へいこうとするから、私はそれをさせてはならぬと思い、
「ピース提督、おさわぎあると、貴官の生命《いのち》を頂戴いたしますぞ」
「ええッ! 誰だ、そういう声の主は……」
「温和《おとな》しく、貴官の椅子に腰をおろされたい。ちと伺いたい話があるのだ」
「おお、声だけは聞える。息づかいも、聞える。しかるに姿は見えない。君は、何者だ。姿を現わせ!」
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