、全く有り得べからざる奇蹟が海上において起ったのである。
見よ、戦艦オレンジ号は、とつぜん艦首を水面から持ち上げた。赤いペンキで塗った膨《ふく》れあがったバルジが、海面から現われた。そして、なおも艦首は高く引き上げられていく。甲板では、大騒ぎが始まった。
もう四十五度ほど傾いた甲板を、水兵達は滑りおちまいとして、懸命に舷索や煙突にぶら下っている。恐怖と狼狽《ろうばい》のあまり、海中へとびこむ水兵もいる。そのうちに、艦尾できらりと光ったものがある。それは推進機であった。推進機は、空中で空まわりをしている。戦艦オレンジ号は遂に宙に吊り上げられてしまったのだ。それがX大使の怪力によることは、私によく分っていた。
提督は、驚きのあまり、両眼を大きく見開き、そして大きな息をはいて、窓にしがみついていた。
「わかった。もう、わかった。停められい、黒馬博士!」
しかしX大使は、なおも意地悪くいった。
“これからが、見物なんだ。まだ愕くのは早い。よく見ているがいい”
戦艦オレンジ号は、見えない糸によって宙吊りになってるようであったが、このとき、とつぜん戦艦オレンジ号の艦体が、真中のところから、切断されてしまった。つまり前部煙突のところから後が、切断されて、無くなったのであった。尤《もっと》も、その切断された半分が、海上へ墜落していくところは見えなかったが……。
「あっ、もう、よしてくれ。もう、わかった。お、黒馬博士。これ以上、艦隊のうえに、怪力をふるうのは許してくれ」
“今さら狼狽するのは見苦しいぞ。なぜ初めから、わが申し入れに応じないのか”
そういっているうちに、戦艦オレンジ号の艦隊の半分も見えなくなった。戦艦一隻が、一、二分の間に見えなくなってしまったのである。……
室内では、警報ベルがしきりに鳴っている。そして入口の扉は、破れんばかりに、うち叩かれている。怪事は、果然《かぜん》、米連主力艦隊を大恐慌《だいきょうこう》の中に抛《な》げこんでしまった。
恫喝《どうかつ》代行――人間でなければ彼は何者ぞ?
“ピース提督、改めて聞こう。欧弗同盟軍に対し砲門を開くかどうか”
X大使の、膝づめの談判だった。
「うむ。黒馬博士が、もうこれ以上、わが艦隊に害を加えないと約束されるなら、余は、欧弗同盟軍を攻撃するであろう」
“約束とは、何だ。約束とは、対等の位置の
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