かね、ホーテンス君」
訊《き》いたのは水戸だった。
「そのことだ。僕は、怪船ゼムリヤ号の身許を知ることが、この事件の解決の近道だと思ったので、早速《さっそく》本社へ指令して、ありとあらゆる船舶関係の刊行物を調べさせた。ところがゼムリヤ号の名はどこにも見当らないと報告があった。僕は失望した。しかし、同時に別の勇気が奮い起った。それはつまり、ゼムリヤ号がいよいよ怪船らしく見えてきたからだ。だが、それだけではどうにも出来ぬ。何としてもゼムリヤ号の正体を探し当てなければならぬ。この上はどうしたらいいだろうかと思い、このオルタの港を眺めていると、そこへ入港して来た一隻の汽船がある。それはソ連船レマン号だった。僕はその船を見た瞬間一種の霊感に触れた。そこで飛ぶようにして一隻のモーターボートを傭い、そのレマン号へ乗りつけたのだ。それから、船長に要件を申し入れた。船長のポーニフ氏は愕いていたね。しかし彼はゼムリヤ号なんて聞いたことがない名前だといった。それは嘘だとは思われない。僕はまた失望したが、それなれば、新着の船舶関係の刊行物を見せて下さいと頼んで、サロンで新聞や雑誌類を見せて貰った。ところが、その中に只《ただ》一冊、当のゼムリヤ号の記事を掲げている雑誌につきあたったんだ。その雑誌はヤクーツク造船学会誌の最近号たる六月号だ。その雑誌の一隅に、新鋭砕氷船ゼムリヤ号のことが小さい活字で紹介してあったのさ。もしこの雑誌を調べ洩《も》[#底本ルビは「もら」、22−下段−10]らしていたとしたら、ゼムリヤ号の正体は今以て不明だったろう。いや、実にきわどいところだったよ」
そういってホーテンスは大きな溜息をつき、ぐっと一ぱい酒をあおった。
「努力が酬いられたのだ。神は常に見て居給《いたも》う。そして正しき者へ幸運を垂れ給う」
水戸が誰にいうともなく呟《つぶや》いた。
「その雑誌の中に、今君がいったゼムリヤ号は六十パアセントの圧縮に耐えると記されていたのかね」
「そのとおりだよ、ドレゴ君。君もゼムリヤ号の特殊構造には興味を感じるだろう」
「全く、大いに感じる。第一、そういう凄い耐圧力を持たせるには普通の鋼材では駄目だね。何という材料かなあ」
「そのことは雑誌に少しも記されていない。だが我々は近き将来において、その材料のことや構造のことをはっきり知ることができるだろう。焼け落ちたとはいえ、その資料はヘルナー山頂に横たわり、今も我々の監視下にあるんだからね」
ホーテンスとドレゴは、新鋭砕氷船の特質につき大きな興味を沸かしているのだった。
「一体砕氷船というものは、そんなに強い耐圧構造を持っていなければならないものかね」
水戸が、疑問をなげかけた。
「さあ、それは強ければ強いほどいいだろうが、それにしても少し大袈裟《おおげさ》すぎるな。僕なら、そんな莫迦《ばか》げた耐圧力を持った砕氷船なんか作りやしないよ」
と、ドレゴが、寒帯住人らしい自信を持っていい切った。が、ホーテンスが、別の見解を陳《の》べた。
「だがねえ、仮にゼムリヤ号のような砕氷船が百隻揃って北氷洋や南氷洋に出動したと考えて見給え。そうなると極寒の海に俄然常春が訪れるじゃないか、漁業や交通やその他いろいろの事業に関して……」
「ほう、これは面白い想定だ。ううむ、そして実現性もある」
「だが、僕はそう思わないね。ゼムリヤ号があのような強い耐圧力を持っている理由はもっと外にあるような気がするよ」
「というと、どういう意味かね、ドレゴ君」
「それは……」といいかけたドレゴは、後の言葉を咽喉《のど》の奥にのみこんだ。そして彼は視線をホーテンスの顔から逸《そ》らせた。
ホーテンスは、ドレゴの意見を聞きたがった。が、ドレゴは、
「いや、もう少し慎重に考えてから、喋《しゃべ》ることにするよ」
と、いつになく尻込みをして、煙草の煙をやけにふかすのであった。水戸はちょっと心配になった。ドレゴのそういう態度が、折角今夜この招待に応じたホーテンスの気持をここで悪化させないかを虞《おそ》れたのである。だが、ホーテンスの明るい顔色は聊《いささ》かも変らなかったばかりか、彼は更にゼムリヤ号に関する未発表の調査事項までを、ドレゴと水戸の前にぶちまけたのである。
証拠の手斧
「話はまだその先があるんだよ、君たち」とホーテンスは煙草に火をつけ、「さっきから述べてきたゼムリヤ号の正体を僕が発見して本社へ報告したところそれから間もなくゼムリヤ号の行動についての愕《おどろ》くべき詳細なる報告に接した。いいかね」
とホーテンスは腕組みをして、二人の同業者の顔を見渡し、
「……事件の日から三週間前のことだが、ゼムリヤ号に相違ないと思われる汽船が、フィンランドの北岸ベチェンカ港外に現われたことが分ったのだ。ゼムリヤ号
前へ
次へ
全46ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング