は沖合に碇泊し、港内へは入らなかったが、傭船を以て給水を受けた。そして三時間後には愴惶《そうこう》として抜錨《ばつびょう》し北極海へ取って返した。どうだ、面白い話ではないか」
「ふうん。一つの有力なる手懸《てがか》りだ」
「ところがさ、ゼムリヤ号の消息は、それっきり知られていないのだ。つまり事件の発生した日までの三週間に亙る行動は全く不明なんだ。そこでこういう説が行われている。ゼムリヤ号は、或る予期せざる椿事《ちんじ》のため、或る巨大なる力を受けて北極海から天空に吹きあげられ、そして遂にこのアイスランドのヘルナー山頂へ墜落したのだろう。勿論この推定は漠《ばく》たるもので、何等確実なる証拠がないが、常識からいって、そう考えられるという程度に過ぎないが……」
「僕はそうは思わない」ドレゴが途中で口を挿んだ。
「ゼムリヤ号が北極海からこのアイスランドへ飛来したという説は、全く事実に反するものだ」
「なに、事実に反するって。それは面白い。君は早速それについて説明をしてくれるだろうね」
今度はホーテンスが聴き手に廻る。
「ああ、是非聴いて貰いたいね。つまりこうなんだ。僕の結論を先にいえば、ゼ号は南方からこの島へ飛来したのだと思う。いいかね、南方からだ。君のいうように北方からではない。そしてそれには歴然たる証拠がある」
「ほう、全く正反対の説だ。で、その歴然たる証拠とはどんな事だ。そしてその証拠はどこにあるのかね」
「その歴然たる証拠物件は、何を隠そう、実は吾輩の寝室にあるんだよ。はっはっはっ」
ドレゴはそういい切って呵々大笑《かかたいしょう》した。
「なに、君の寝室に……」
ホーテンスは目を丸くした。
「そうなんだ。事件の当夜、あの事件の発見に先立つこと数時間前、水戸も知っているとおり僕はあの夜泥酔していて漸《ようや》く自分の寝台に登ったわけだが、忽《たちま》ち深い眠りに落込んだ。ところがその深い眠りを突然覚ますような事件が起ったんだ。ガーンとでかい物音が眠りを破った。それは寝室の北側の壁のあたりから発したように思った。僕はその物音に一旦目を覚ましたものの、音は一度きりだったので、又眠ってしまった。そして夜が明けた。僕はふとぼんやりした記憶に呼び戻されて、目を北側の壁へやったところが、愕《おどろ》いたね、そのときは……。なぜってそこに懸けてあった額縁が上下に真二つに割れ、壁にはその上半分だけが残ってぶら下っているんだ。それから僕は目を壁伝いに下に移した。床の上に、額縁の破片と一緒に、見慣れない手斧が落ちていた。その手斧は柄の一部が折れていたが、その上には明らかに、ゼムリヤ号の船名が彫りつけてあった。聞いているかね」
「聞いているとも。実に素晴らしい話だ。先を続けてくれたまえ」
ホーテンスも前へ乗り出して来た。
「それから僕は、この手斧がどこから部屋の中へ飛込んだかを確かめようと思ったさ。それは苦もなく分った。何故って、寝台の南側の窓のカーテンが一個所大きく、引き裂かれていたではないか。疑いもなくゼ号の手斧は南の窓から飛込んでカーテンを裂き、それから北側の壁の額縁にぶつかったんだ」
「なるほど、なるほど……」
「その手斧は、飛びつつあったゼ号からこぼれ落ちたものに相違ない。然《しか》らば、この手斧の運動方向とゼ号の飛行方向とは同一でなければならない。そうだね。するとゼ号は空中を、いやもっと精密にいうなれば、我家の真上を南から北へ飛び過ぎたものと断定して差支《さしつか》えない。さあどうだ、これが吾輩の握っている確かな証拠さ」
ドレゴが語り終ると、ホーテンスは昂奮のあまり椅子からとびあがると口笛を吹いた。
「ほう、素晴らしい。頗《すこぶ》る重大なる手懸りだ。すると砕氷船ゼムリヤ号は事件直前において大西洋を航行中だったんだ。そうなるとゼ号は一体そんなところで、何をやっていたのかということになる。ゼムリヤ号の行動こそ、いよいよ出でて奇々怪々じゃないか」
と、ホーテンスは盛んに手をふりながら叫んだことである。水戸は椅子の中に深く身体を沈めて、じっと考えこんでいる。
怪力の追求
二人の若い記者の小晩餐があった翌日、ホーテンスはドレゴの邸宅を訪ね、彼の寝室の南のカーテンの裂けているところや壊れて真二つになった額縁や、そういう暴行を演じたゼムリヤ号の手斧などを見せて貰い、ドレゴの主張する南方飛来説が十分根拠のある訳を再確認したのであった。
「君の寝室は重大なる手懸りとして大切に保存せらるべきだ」と、ホーテンスは言葉を強めて云った。
「君の寝室はこの事件に関して僕の立てていた推定を根底から引繰り返してしまった。ゼ号は北極海からではなく大西洋方面から飛来したという事実を中心として、更に多くの資料を集めないことには、この怪事件は到底解決で
前へ
次へ
全46ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング