なかったであろう。ゼムリヤ号は、とにかく或る巨大な衝撃に耐えたばかりか、その巨力に跳ね飛ばされて実に七十|哩《マイル》を越える長距離を飛翔し、ヘルナー山に激突したのであるが、既に知られるとおり船形も殆んど崩れず、世界人の想像に絶する耐力を示した。しかしこの事件は、まだ真の答が出ていない。というわけは、わがゼムリヤ号に作用した巨大なる外力が毎平方|糎《センチ》に幾巨万|瓦《グラム》の圧力であったかについて詳細を知ることが出来ないために、われらの知らんと欲する答はまだ出ていないのだ。余はその巨大なる外力の数値を何とかして得たいと思って努力したが、それは不成功に終った。その不成功の原因の一つは、わが国に対する妥当でない猜疑心《さいぎしん》によるものである。しかし余の現在における希望は、もはやそういう問題をどうのこうのと論ずるにあらずして、われらはわれらの仕事に更に熱中することにある。具体的にいえば、更に強力なる耐圧船を建造することにある。われらの技術は、まだ世界人の知識にないほど進んでいるのだ。今日われらの売出そうとする砕氷船の如きは、もはやわれらがその技術を秘密の埒内《らちない》に停めて置かなければならないようなそんな特殊なものではなくなったのだ。われらは今後も続々とわれらの技術作品を公開する考えである。ただ一言したいのは、われらがわれらの考えで研究し設計し試作し実験するものに対して、世界人が常に理解ある態度を持つべきであるということだ。われらには、われらにとって特に興味のある問題、そして特に切実なる要求に基づく問題があるのだ。研究は自由に行わるべきであると思う。以上述べた余の信念により、貴君は余に協力されんことを切に希望する。わがヤクーツク造船所の販売代理権を極めて好条件で貴君の手に委ねることにつき、余は用意がある。しかして余はその交換条件として、次のことを貴殿に依嘱したい。それは外でもない。わがゼムリヤ号に働きかけたる巨大なる外力に関する出来るだけ詳細にして具体的なる報告を提供されたいということだ。これは余およびヤクーツク造船所が、さきに記したる答を算出したいためのものであり、それ以外に他意がない。貴君が、余のこの提案に承諾されることを切に希望する。余は貴君に十分信用せらるるの自信をもってこのあけすけな手紙を書いた。この提案が容れられないときは、余は貴君が余の如くあけすけになり得ない人物だと断定するであろう。終に、溌剌《はつらつ》たるエミリーによろしく伝言を頼む”――こういうんだがね、ロシア人らしい長い手紙だ」
 ドレゴは吐息と共に、片手で自分の頤《あご》をもんだ。
「あなたはお馬鹿さんよ。エミリーによろしく伝言を頼むのところだけを、あたしに読んで聞かせりゃいいじゃないの」
 エミリーの目が少し笑った。
「いや、全文読んだ上で、エミリーによろしくと来ないと、感じがでないからね。はっはっはっ……それはいいが、このケノフスキーの提案をどうしたもんだろうね」
「あたしに相談したって、何が分るものかね」
「うん。水戸がいれば早速彼の意見を徴するんだ、生憎《あいにく》水戸がいないから代りに水戸夫人の卵さんに伺ってみた次第だがね」
「あたしを馬鹿になさるのね、ドレゴさん」
 エミリーが小さい目でドレゴを睨《にら》んでみせた。が、その唇には微笑の影が浮いていた。
「真面目な話なんだよ。僕は困ってしまった。ケノフスキーに恨まれたって何とも思やしないが、しかし何だかこう胸を圧迫されるようなものが残りそうで、いやだね」
「取引をなさってはどうなの。いい条件らしいじゃありませんか」
「だって、こっちからだして提供するものはありゃしないからね。僕はワーナー調査団について大西洋まで行くには行ったが、そのまま引返して来たんだからね、或る婦人の策謀にうまうまのせられて……」
「まあ、ドレゴさん」
「要するに、僕はケノフスキーを満足させるほどの物を持っていないのだ。お気の毒さまだがねえ」
「新聞を片端から切抜いて送ったらどう」
「ケノフスキーを怒らせるばかりだ」
「だって、あなたのような方に、それ以上を求めるのは酷《こく》だわ」
「はいはい、よくご承知で……。水戸君とは違いましてね」
「あら、そんな意味でいったんじゃないわ。本当に無理なんですもの」
「まあいいや。少し考えることにしよう。それじゃエミリー夫人。また会うまで」
 ドレゴは口笛を吹きながら帰っていった。

  深夜の大西洋

 その翌日から、ドレゴは何と心を決めたものか、港へ出ては船主関係の人々を探し出しては、すばらしいヤクーツク造船所製の砕氷船を買わないかと、外交員商売を始めた。
「砕氷船なんか買ったって、使うことはありゃしないよ」
 と相手がいおうものなら、ドレゴは待ってましたという風に唇を甜
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