ィッチ、ビスケット、チーズ、塩肉、野菜スープの缶詰、それから数種の飲物だった。ガロはいいつけられたものを地下物置から取出すと、大きな盆の上に山盛にして、ドレゴの部屋へ持って来た。
「若旦那さま。持参いたしました。これでよろしゅうございますか」
「うん、待てよ、忘れものがあってはたいへんだ」
 登山の身支度半ばのドレゴは、ガロの持っている盆のまわりをまわって必要品を調べる。ガロはドレゴの登山服に目を留め、
「若旦那さま、ヘルナー山にお登りかと存じますが、御承知のとおり只今の気候は登山によろしくございませんで……」
「爺や、危険を顧みている隙《ひま》はないのだよ。切迫した事情があるんだ。そしてそれは僕を一躍世界の寵児にしてくれるかもしれないのだ。お前が僕だったら、こんな千載一遇の機会をのがすかね」
「はい。それは……しかし一体あの雪崩《なだれ》の峰に如何たる幸運が隠されているのでございますか。爺やは合点が参りませぬ」
「お前だって、一目見れば分るよ。窓のところへ行ってヘルナーの峰を見てごらん。疑問はたちどころに氷解するだろう」
「何と仰《おお》せられます」
 爺やは窓のところへ歩みよったがそのときドレゴは、爺やに盆を下に置いてからそうするよう注意すべきだった。気のついたときは遅かった。霊峰へ目をやった爺やは、ああああっと長い叫び声を発すると、その場に卒倒してしまった。糧食の盆は大きな音と共に彼の手を放れて床の上に落ち、あたりへ大事なものを撒きちらし、転がせてしまった。
 ドレゴは漸くにして身支度を整えて、家の前に待っている自動車に乗込んだ。彼はハンドルを山とは反対の方へ切って、町の中を降り出した。こういうときには絶対に協力者が必要だ。一人では成功することが覚束《おぼつか》ない。ドレゴは、最も信用している有能な通信員の水戸を誘うことを忘れなかった。

  承前・登山事件

 さすがの水戸も、いきなり門口から飛び込んで来たドレゴから、あと十分間に登山の用意をして車の中に乗り込めと命令同様にいわれた時には、何のことやら訳が分らず、しばらくは友の顔を穴のあくほど眺めるだけであった。
「水戸、そうしてぼんやりしている一分間というものが、全世界にとって如何に尊い浪費であるか、今に分るだろう。さあ、すぐ仕度に取《と》り懸《かか》るんだ、早くしろ水戸」
「ドレゴよ。何故……」
「それは車の中で詳しく話をするよ。前代未聞の大事件発生だ」
「なに、前代未聞の大事件」
「そうだとも。そうしてわれわれは、一生涯の中に、二度とない機会を与えられているんだ。いや、君のように泰然と構えていては、その絶好の機会も掌の中からどんどん逃げ出しそうだ。早くせんか、この黄色い南瓜《かぼちゃ》の君よ」
「これは済まぬことをした。待っていてくれ、急いで支度をするから……」
 水戸は何事とも知らないが、やっと事態の重大性を呑み込めたと見え、それからは室内をこま鼠のようにくるくる走りまわって登山の支度に取り懸った。
「食糧はある。君の大切にしている君の国の酒の壜だけは忘れないように」
「おう、合点《がてん》だ」
 猶予時間《ゆうよじかん》を十分間まで使わないで水戸はドレゴの操縦する車の中へ乗りこんで、彼と肩を並べた。車は走りだした。こんどは猛烈な速度で、ヘルナーの登山道をどんどん飛ばした。何にも知らない漁師や農夫が、危くはねとばされそうになって、車のあとへ呪いの言葉を投げつけた。
「一体どうしたのか。前代未聞の大事件というのは……」
 水戸はドレゴの脇腹《わきばら》を小突《こづ》いた。
「おお、そのことだ。言葉で説明する前に、まず君の目で見て貰った方がいいだろう。ヘルナーの頂《いただき》に注意して見給え」
「なに、ヘルナーの峰を見ろというのか」
 水戸は、きっとなって、顔を風よけの硝子《ガラス》の方へ近づけると、首をねじ曲げてヘルナーの峰を探した。
「ここらの連中と来たら呑気《のんき》すぎるよ。僕が発見してからもうかれこれ三十分になるのに、誰も気がついていないのだから……」
「おう、あれか」と水戸の声は慄《ふる》えた。
「なるほど不思議だ。雪のあるヘルナーの峰が盛んにもえている……」
 そういった水戸の言葉を、今度は逆にドレゴが愕く番となった。
「なに、ヘルナーの峰が燃えているって。そんなはずはない」
「そんなはずはないといっても、確かに燃えているよ。炎々たる火焔が空を焦がしている」
「え、それは本当か」
 ドレゴはさっと顔色をかえて、車を停めた。そして扉をあけて下へ立った。
 おお、なるほどヘルナー山頂は火焔と煙に包まれていた。例の汽船の姿はその煙の中に殆んど没入していた。さっきまでは煙一筋もあがっていなかったのに、これはどうしたことであろうか。
 友はしきりに感歎の声を漏ら
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