していた。そして滅多に興奮しない彼が日頃にもなく顔を赤く染めて、激しい間投詞[#「間投詞」は底本では「感投詞」、14−上段−1]を口にした。
「これが僕の知っていることすべてだよ。後は、すっかり君の知識と同一さ」
 ドレゴは言葉の終りをそう結んだ。
 しかし正確にいうと、彼のこの言葉は完全だとはいい切れなかった。なぜならば彼はもう一つ水戸に語るべき事柄を忘れたのであった。尤《もっと》もそのときドレゴ自身が、その事柄をすっかり忘却していたのだから、彼を責める訳にも行かないだろう。それは、昨夜ドレゴが熟睡中、彼の寝室における異様な物音によって目覚めたという一事であった。この事柄こそ、事件判定の有力なる手懸りの一つであるわけだが、ドレゴはそれから程経つまでこの重要な事項を忘れていたのである。
 現場は惨憺[#「惨憺」は底本では「惨怛」、14−上段−15]たるものであった、荒涼目をそむけたいものがあった。
 巨船は人を莫迦《ばか》にしたように山頂に横たわり、そしてあいかわらず燃えさかっていた。
 町中の人が、皆戸外に立って、燃えさかる山頂を恐怖の面持で見守っていた。今や事件は、この町中にすっかり知れ亙ったのである。

  到着

 ドレゴと水戸が、やっぱり一番乗りだった。ヘルナー山に登るには相当の用意が必要だったので、誰でも直ぐ駆けあがるというわけに行かなかった。
 また自動車をこんなに速く山麓へ飛ばす芸も、この呑気《のんき》な町の人々には真似の出来ることではなかった。
 それでも両人が現場に辿りつくまでには、かなりの時間がかかった。両人は全力をあげて能率的に互いを助け合ったつもりだったが、現場についたのは、もう夕刻であった。
 その長い忍耐苦難の連続の道程に、ドレゴは彼の事件発見の顛末の一切を水戸に語って聞かせたのであった。そしてドレゴと水戸の両人は、船体から約二十|米《メートル》以内に近づくことを許されなかった。もしそれを犯そうとすると、熱気のために気が遠くなるばかりであった。
「残念だなあ。一番乗りはしたけれど……」
 とドレゴは口惜しそうな声を出した。
「まあ我慢するさ。それより早いところ第一報を出そうではないか」
 水戸はそういって、リュックの中から携帯用の超短波送受信機を取出して組立始めた。ドレゴはぎょッとした。そうだ、自分は非常に大きい不用意をやってのけたのであった。新聞記者でありながら、この山頂からの通信をどうするかを考えなかったのだ。いつもの調子で町から容易に通信が出来るように思っていた。そこへ行くと水戸は咄嗟《とっさ》[#「咄嗟」は底本では「咄差」、15−上段−7]の場合にも用意周到だ。やっぱり、よかった。協力者として水戸を誘ってよかったのだ。もしドレゴ自身ひとりで出懸けて来ようものなら、通信機を持たぬ彼は今頃|地団太《じだんだ》踏んで口惜涙《くやしなみだ》に暮れていたことであろう。
「あの汽船の名前だけでも知りたいものだ。ドレゴ君、見て来てくれないか」
 水戸は通信機の組立の手を休めないで、そういった。
「よし、見て来よう」
「それからこの事件の名称だ。ドレゴ君は名誉あるこの事件の発見者だから、君がいい名称を択ぶんだよ」
「うん、すばらしい名称を考え出すよ」
 ドレゴは、すっかり機嫌を直して、燃える巨船の船尾の方へ駆け出して行った。
 煙が、意地悪く船尾の方へなびいているので、そこについているはずの船名は、そのままで読みとれなかった。これには困ってしまった。
 が、彼はこのままで引下がることは出来なかった。何かよい工夫はないかと、頭脳を絞ってみたが、不図《ふと》思付いて、彼はすこし後退すると雪塊を掘っては岩陰へ搬《はこ》んだ。そしてかなり溜った上で、今度はそれを掴《つか》んで矢つぎ早に船尾を蔽う煙に向って投げつけた。
 これは思い懸けなくいい方法だった。煙はこの雪礫《ゆきつぶて》に遭って、動揺を始め、或る箇所では薄れた。それに力を得て、ドレゴは更にその方法をつづけ、そして遂に朧《おぼろ》なる船名を判定することに成功したのであった。
 ゼムリヤ号。
 これがこの怪しき巨船の名であった。一体どこの国の船であろうか。それを知りたいと思って、なおもしばらく雪礫で煙を払ってみたが、それは成功しなかった。船腹には国籍の文字もなく、船旗も信号旗も悉く焼け落ちていたからである。
 それからこの事件の名称だ。
 ドレゴは、水戸の待っている場所まで戻る間に、この事件のためにすばらしい名称を思付くことを祈念した。そしてその結果、不図《ふと》一つの驚異的な名称を思付いたのである。
「巨船ゼムリヤ号発狂事件」
 この名称では少々奇抜すぎるかなと思った。しかし後々になってこの事件の内容がだんだん明白になるにつれ、最初にドレゴが考えたこの奇抜
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