えているという顔でドレゴの前へ立った。
「浴槽を用意して貰おう」
「はい。もう用意ができておりますでございます」
「ふん。――何か変わったことはないか、早く僕に報告しなければならない性質のもので……」
「はい、ございます、昨日午後四時より始まりまして、サンノム家のエミリー嬢が坊ちゃま……おほん、若旦那様に至急の御用があるとかで六回もお見えになりましてございます」
「困ったねえ、あの女には」
「……」
「今朝は、まだ来ないか」
「はい、まだお見えになりませんよ」
「やれやれ、早いところ風呂へ入って、ずらかるかな」
 ドレゴが、大理石の浴槽につかってとろんとしているとき、ガロ爺やがやって来て、エミリーの来訪を伝えた。
「まだお目ざめではないと申し上げては置きましたが……」
「いや会おう……昨日僕は頓馬だった、たとえエミリーがどう思っていようと、僕はゼムリヤ号事件の名誉ある発見者として、その最新情報を集め、その核心へ、突進しなければならないのだ」
 ドレゴかひとりごとをいっているとき、浴槽の入り口が開いて女の首が中を覗《のぞ》き込《こ》んだ。

  商人ケノフスキー

「あっ、エミリー……」
 浴槽の中で、裸のドレゴは硬くなって叫んだ。傍に立っていたガロ爺やは、電気に懸ったようにその場にとびあがり、浴室の入口へ走った。
「こ、困りますね。広間でお待ち願うよう申上げたつもりでございますに……」
「一秒を争うことなんです。ドレゴさんにすぐお目にかからねばなりません」
 牝牛のように身体の大きなエミリーは戸口に立ちはだかる枯木のようなガロ爺やをぐんぐん押し戻して、浴槽の傍まで入ってきた。
「エミリー。お願いだからあと二分間、部屋の外で待っていておくれ」と、さすがの心臓男ドレゴも、エミリーの剣幕《けんまく》におそれをなして、赤ん坊のように悲鳴をあげた。
「ところがたいへんなのよ。ケノフスキーが飛行機で行っちまうんです」
「ケノフスキー?」
「そうなの。うちに下宿しているケノフスキーです。ゼムリヤ号に関しては、あの人が一番謎を知っているんです。そしてそれに関する取引も、あの人だけが握っているんです」
 ドレゴは浴槽の中で、石鹸の泡をかきたてることも忘れて、「へえっ」とおどろいてしまった。ケノフスキーが水戸と同じくサンノム老人の下宿にいることは勿論知っていた。彼はソ連の商人として知ら
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