とはない」
「ふうむ、それもそうだな」とドレゴは、ようやく気を取直した。
「無線機の用意はすっかり出来ているよ。さあ、今こそ君は光栄ある報道者として、この驚天動地の怪事件の第一報を、最も十分なる表現をもって全世界に放送するのだ。ハリ、原稿を書くがいい」
「うむ。よし。書くぞ」
 ドレゴは、紙を出して、その上に鉛筆を走らせ始めた。彼の額には血管が太く怒漲《どちょう》し、そして彼の唇は絶えずぶるぶると痙攣していた。
「第一報は、簡潔なのがいいぞ。しかし驚天地異の大報道であることについて遺憾《いかん》なく表現すべきだ」
 水戸は傍から友誼《ゆうぎ》に篤《あつ》い忠言を送った。ドレゴは、無言で肯《うなず》いた。
「これでどうだい」
 ドレゴは紙片を水戸の方へ差出した。彼の声は明るく、そして大興奮に震えていた。
「やっ、これは書いたね。“汽船ゼムリヤ号は突然発狂した。何月何日の深夜、この汽船は発狂の極、アイスランド島ヘルナー山頂に坐礁した。そして目下火災を起し、炎々たる焔に包まれ、記者はあらゆる努力をしたが、船体から十メートル以内に近づくことが出来ない。この前代未聞の怪事件は、本記者の如く、自らの目をもって見た者でなければ到底信じられないであろう。このゼムリヤ号発狂の謎を、解き得る者が果たしてこの世界に一人でもいるであろうかと、疑わしく思う。もちろん本記者も決してその一人でないと、敢えて断言する。それほどこの事件は常識を超越しているのだ。だが本記者は、同業水戸記者の協力を得て、これより最大の努力を払って本事件の実相を掘りあて、刻々報道したいと思う”なるほど、これは上出来だ」
「ほめるのは後にして、大いにこき下ろして貰おう」
 ドレゴは、洟《はな》をすすった。
「そうだなあ。敢えて、こき下ろすとすれば、この記事は長すぎる。前半だけで沢山だ。それに……」
「それに?」
「ねえ、ハリ。君は“ゼムリヤ号発狂事件”という名称が大いに気に入っているのだと思う。いや、全くのところ、僕も君の鋭い感覚と、そして大胆なるこの表現とに萬腔《まんこう》の敬意を表するものだ。しかし、欲をいうならば、この驚天動地の大怪奇事件を“ゼムリヤ号発狂事件”という名称で呼ぶには小さすぎると思うんだ」
「ほう。そのわけは……」
「つまり、ゼムリヤ号が発狂してこんな山頂にとびあがった――というよりも、もっとスケールの
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