地球を狙う者
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)汽船《ふね》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)東西南北から[#「東西南北から」は底本では「西南北から」]
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「火星に近づく」と報ぜられるとき、南洋の一孤島で惨殺された火星研究の老博士、その手になるメモには果して何が秘められていたか? これは世界最大の恐るべき戦慄だ!
父島を南に
「おいボーイ君。この汽船《ふね》は、ガソリンの切符をなくしでもしたのかね」
「え、ガソリンの切符ですって?」
ボーイは、酒壜をのせたアルミの盆をさげたまま、舷側にだらりともたれかかっている僕の顔を呆れたような目でみて、
「これはどうもおそれいりました。いくらなんでも、この汽船は円タクなどとはちがいまして、ガソリンなんぞ使いやいたしませんので……」
それを待っていましたとばかり、僕はいってやった。
「だって君、この汽船《ふね》はけさ九時に出港するんだという話だったが、ほら、もう十一時になるというのにいっこう出る気配がないじゃないか。だからもしやガソリン切符が……」
「おっとおっと、後はおっしゃいますな」とボーイはあいている片手の方で僕の口をふさぐような恰好をして、「いや、ごもっともでございますよ。出港が急に遅れましたのはちょっと訳がございましてな」
「どんな訳だい。僕は何も聞いていないぞ」
と、僕はどなりつけるようにいった。
「いやどうも。それは相済まぬことで。その訳といいますのが――」といったところでボーイは、急に言葉をとめ舷側越しに桟橋を指さし、「ああ、その訳なるものが、ただいまあれに現われました。ほら、いまブリッジをこちらにのぼってまいります」
と、ボーイは、なにやらにやにやといやらしい笑い顔をつくった。
「なに、ブリッジを――」と、僕は身体をくねらせて、ブリッジの方を見た。そして口の中で、おおと叫んだ。
父娘《おやこ》でもあろうか――と、始めはそうおもった。もう六十ぢかい太った老紳士の腕を、その横からピンク色の洋装のうつくしく身についた若い女が支えて、ブリッジをのぼってくる。
その老紳士は、どこかで見たおぼえのある顔だった。しかし、僕は、それを思いだすかわりに注意力を、その脇にいる若い女性の方にうばわれていた。
(すばらしい女だ)
東京湾を出てからこの方、銀座通りもない海上をこうして小笠原列島の南端にちかい父島までやって来たことだから、若い女なら一応誰でも美人に見えるはずであったが、そんな割引をしないでも、たしかにかの女は美しかった。
「誰だい、あの遅刻組は」
僕は、その女から眼をはなさないままでボーイにたずねた。
「あれが火星研究で有名な轟博士でいらっしゃいます。大隅さんはご存知ないんですか」
そういわれてみると、僕はすぐ合点がいった。そうだ、正しく東京近郊の日野に天文台を持っている轟博士だ。
「あのご両人以外の博士一行は、もうちゃんとこの汽船に乗っていらっしゃるんですよ。ところがけさ宿をお出かけのとき博士が急病になられて、乗船がこんなに遅れたというわけなんで」
「あの婦人は、轟博士の娘かね」
「さあどうですか。私はそこまで存じませんが、立ち入ったお話が、あの方はちょっと別嬪さんでいらっしゃいますな。えへへへ」
ボーイは、ふたたびいやらしい笑い方をして、甲板を向うへ歩いていった。
船内からは、博士を迎えるために、若い男が四、五人現われて、若い婦人にかわって博士を中へ抱えいれた。僕はちょっと、その男たちがうらやましかった。
しかし博士と例の美しい婦人とが、僕の船室の前をとおりこして、すぐその隣室へ入っていったときには、僕は思いがけない悦びに胸がわくわくおどりだしたことを告白しなければなるまい。もっとも、かの婦人は、僕の前を通るとき、いやにつんとすまして通りすぎはしたが。
船は、僕の知らないうちに、波を蹴ってうごきだしていた。
いよいよこれから父島の二見港をあとにして、目的地たる花陵島へといそぐのであった。
花陵島! そこは僕の赴任地なのだ。
僕――理学士大隅圭造は、花陵島にある地震観測所へ、いま赴任の途にあるのだ。その観測所では、飯島君という僕の先輩が、海底地震の観測に従事していたが、さきごろ不幸にも急死した。観測は一日もゆるがせにできないことなので、僕が急いで派遣されることになったのだ。
花陵島は、およそその名前とは反対に、実に荒涼たる小さな島だという。僕は、そこへ同僚の誰もが行きしぶって恩師がたいへん困っているのに同情したのと、それからもう一つは、若気の無鉄砲とによって、自ら赴任の役を買って出たのであった。しかし、汽船《ふね》が父島まで行きつく以前において、すでに僕は東京へかえって銀座を散歩してみたい気持に襲われ、そこからこっち、ずっと元気をなくしていたが、いまこうした父島でもって、あの婦人のおかげでおもいがけなく元気を恢復しようとは予想していなかった。
多分あの人達も、この様子では、花陵島へ上陸するのではあるまいか。そう思うと、僕はなんだか極楽行の宝船にのりこんだような気がしてきてならなかった。ところが、これがとんだ感ちがいで、実はそのとき僕は、世にも恐ろしい目にあうための地獄行の運命船にのりこんでいたのだとは、ずっと後になってやっと分ったことである。
涼風ふく甲板
「おお、君は加瀬谷教授の門下かね」
その翌朝のことであったが、涼しい甲板の藤椅子に並んで、轟博士が精力家らしい大きい声でいったことである。すでに、自己紹介をすませていた。
「加瀬谷は、僕と同じ中学の出で――もっともわしが四年も上級だったが――よく知っているよ。そのころからわしは火星の研究をやっていたが、あいつは小さいくせに、いつも悪口ばかりいってね。『轟さんのように火星ばかりをのぞいていると、いまに火星の人間にさらわれてしまうぞ』などと、憎まれ口を叩いたものじゃ。あっはっはっ」
僕は、太平洋のまんなかで波にゆられながら、恩師の少年時代のうわさを聞こうとは、夢にもおもっていなかった。
「先生は、こんどもやっぱり火星研究のご旅行なんですか」
「なんじゃ、妙なことを聞く男じゃ」
「いや、ちがいましたら、おゆるしください」
「あっはっはっ。なにがちがうどころか。およそわしは、火星以外のことで旅行をしたり、金をつかったりすることは絶対にないのじゃ。君は知らんのか。この五月十八日に、火星はいちばん地球に近づくのじゃ。だから、それを期して、いろいろ興味ある観測をせんけりゃならん。そうでもなきゃ、花陵島なんて、あんな辺鄙なところへ金と時間とをかけて行きゃせぬわい」
「ああ、先生ご一行はやっぱり、僕と同じように花陵島へいらっしゃるんですか」悦びのあまり僕はおもわず大きな声でいったので、博士は眼鏡の奥で、ぎょろりと両眼をうごかした。
「お話中で、おそれいりますが――」
彼女の声だ。僕はどきりとした。なんといういい香水か、彼女の身体から発散するのが、僕の内臓をかきたてる。
「うん、なんじゃ志水」
「さっき持ってこいとおっしゃったのは、この鞄でございましょうか」
「ああ、それそれ。そこへおいておけ。その椅子のうえに――」
「はあ、ではここに」
彼女は僕に会釈して船室へひきかえした。僕は、うしろから追いかけていって連れもどしたい衝動にかられた。
「いまのお方は、先生のご令嬢でいらっしゃいましょうか」
僕は、おもいきって、重大な質問の矢をはなった。
「誰? あああの女かね。あれはわしの助手をやっとる志水理学士じゃ」
助手なのか。志水理学士――なるほど、そういえば新聞などに時々博士と名前が並んでいる記憶があった。
轟博士は、僕の心のなかの動揺などにはいっこう無頓着に、
「おい君。君は地震を研究するにしても、あまり加瀬谷の学説などを鵜のみにしていちゃとてもえらい学者になれんぞ。当の加瀬谷にしてもそうじゃ。昔からせっかくわしが注意をあたえているのに、その注意を用いないからして、いまだに平々凡々たる学者でいる」
轟博士は、いいたいことをずばりといって平気な顔をしている。師の悪口をいわれて、僕は内心おだやかではなかった。
「いまおっしゃいました加瀬谷先生へのご注意というのは、いったいどんなことですか」
「それかね。それは――」といいかけて博士は言葉を切った。「君も加瀬谷の門下だから、わしが話してやっても多分分るまい。わしはこのごろ気がかわって、従来とはちがって無駄なことは喋らないことにした。そのかわり、実際の物をつかまえて、さあこのとおりだ、よく見ろ――というふうにやることに変更した」
「では、こんどのご旅行も、火星の運河などを写真にとって、実際私たちにみせてくださるためなんですか」
「火星の運河? あっはっはっ火星の運河などがあってたまるものか。火星に運河があるというのは、火星の表面に見える黒い筋を運河だと思っているのだろうが、それは大まちがいだ。船みたいなもので交通しなければならぬような、そんな未開な火星ではない。地球上の常識で、運河説を得々と述べる者は、身のほど知らぬ大馬鹿者だというよりほかない」
轟博士の語気は、老人と思われぬほどつよかった。
「では、運河みたいなあの黒い筋は、いったいなんですか」
と僕は聞かないではいられなかった。
「さあ。あの黒い筋がなんであるか、それをわしが説明しても、君はやっぱり信用しないだろう。さっきいったように、わしは当分喋ることはやめて、そのかわりに実際的なものを地球の人々の目の前にもっていって、ほら、これが火星の文化だよ。さあ、これでも信じないかねといってやりたいのだ」
火星の文化! 船みたいなもので交通しなければならぬほどの未開な火星ではない! 轟博士の言葉の奥には、わが地球人類にとっておだやかならぬ秘密の実在があるらしく感じられるのであった。
はたして博士は、何事を知っているのであろうか?
火星の秘密
かわり者の轟博士が、火星の秘密をあえて喋ろうとしない態度をみせると、僕は逆に、なんとしてもそれを聞きださずには我慢ができなかった。しかもそれを聞く機会は、この場において外にないような気さえした。
「ねえ、轟先生。さっき先生がおっしゃったことに、私ども地震学者も火星のことを考えに入れてやらねばまちがいが起るといったような意味が感じられましたが、それにまちがいはありませんですか」
僕は、すこし思う仔細があって、わざと搦んだもののいい方をした。
「わしのいうことに、絶対まちがいはない。加瀬谷は、それを信じなかった。あいつは見かけ以上の愚者じゃ」
「でも先生、私にも信じられませんね。わが地球の海底地震が、なぜ火星と関係をもつのでしょう。火星と関係をもつならば、地球にもっと近い月と関係をもちそうなものではありませんか」
「ばかをいっちゃァいかん、月には、生物が棲んでいるかい。問題にならん」
「じゃあ火星には生物が棲んでいるのですか」
僕はここぞと切りこんだ。
博士は、うーむと呻った。手応えがあったのだ。僕の胸は早鐘のようにおどる。
「いかにも、火星には生物が棲んでいる。生物が棲んでいるから文化もあるんじゃ。では一つだけ君に話をしよう。さっき君がいいだした火星の運河といわれる黒い筋の話だが、わしの研究によると、あれは原動力輸送路だ。これに似たものをわれわれ地球上に求めると、送電線とかガス鉄管とかいったものがそれにあたる。だが火星では、電気やガスを原動力としてはいない。そんなものよりも幾億倍も大きな或る力を原動力としている。どうだ、わかるかな」
轟博士は、奇想天外なことをいう。電気やガスなどの幾億倍も強大な原動力などというものがこの宇宙に存在しうるのであろうか。僕はあまり意外で、返事をしかねていると博士はまた口を開いた。
「あの原動力輸送路が、網状をなしているのは、なぜだとおもうか。あれは原動力を、必要によっていつでも一つところへ集めるた
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