めじゃ。あの輸送路が東西南北から[#「東西南北から」は底本では「西南北から」]集った交叉点においては、わが人類の頭では到底考えられないほどの巨大な力が集るのじゃ」
「そんなに巨大な原動力を、火星の生物はどういうことに使うのですか」
「そのことじゃ。その使い道が問題なのじゃ。わしの観測によれば、彼等は目下のところ輸送路の建設を完成してはいないようじゃ。輸送路の完成の暁には、それをどんなことのために使うのか、それはわしにも見当がついていない。ただこういうことはいえると思う」といって、そこで轟博士はちょっと深刻な顔をして、「あのような巨大な原動力の集中は、火星のなかでの生活だけに使うものとしては、とても桁はずれに多きすぎるということじゃ。わしの計算によると、火星の生物が一千年かかっても使いきれないほど巨大なる原動力が一瞬間にあの交叉点に集められる仕掛になっている。それを考えると訳はわからないながらも、背中がぞくぞくと寒くなるのじゃ」
そういった轟博士の顔色は、この暖気のなかに、まるで氷倉から出てきた人のように青ざめた。
不可解なる謎を秘めた火星の「運河」!
僕もなんだか博士につられて、背中がひやりとしてきた。「すると先生、火星の生物というのは、わが地球の人類よりはずっと知恵があるのですね」
「もちろんのことじゃ。だからわれわれ地球上の学問は、火星の生物の存在を無視して研究をすすめても無駄じゃ。君の専攻している地震学にも、火星の力を勘定にいれておかないと、とんだまちがった結論を生みだすことになろう」そういって博士は、額のうえににじみでた汗をハンカチーフで拭いながら、「いや、わしは思わず喋りすぎた。もうこのへんで口を噤むことにしよう。いずれ花陵島の観測の結果、こんどこそ人類のびっくりするようなものを見せることができるかもしれない。そのときはまた、興味ある話を君にも聞かせるよ」
それっきり博士は、もう喋らなくなってしまった。そして博士はお尻の下に敷いていた書類をとりだすと、海の方をむいてしきりに読みだした。
僕は、せっかくの話相手を失ったので、仕方なしに博士のとなりで、ぎらぎらする海上をながめながら、さっきからの妖《あや》しい火星の秘密を頭のなかで復習を始めた。だがそのうちにいつとなく睡気を催し、うとうとと仮睡《かりね》にはいったのであった。
どのくらい睡ったのかしらぬが、ふとなにかの物音で、僕は睡りからさめた。意識がはっきりしてくると、僕の隣で鞄の金具の音がしているのに気がついた。僕はなにげなく、その音のする方を見た。
轟博士が、後向きになって、しきりに鞄のなかを整理しているのが見えた。その多くは手垢で汚れきったような論文原稿らしい書類であった。なおも僕は、博士の手さきをみていると、そのうちに博士は鞄のなかに書類を一通り重ねあわせ、いったん鞄の蓋をやりかけたが、そのとき急に忘れていたことを思いだしたように、ポケットをさぐると、大型のピストルを一挺とりだし、右手にぐっと握った。
それをみて、僕は心臓の停まるほどおどろいた。なんだか今にもそのピストルの口が僕の方にきそうな気配を感じたのだ。
だがそれは杞憂におわった。博士はピストルを、書類の下にそっとさし入れると、鞄の蓋を閉じて、ぴーんと金具をかけた。僕はほっと胸をなでおろした。
孤島の怪事
汽船は、僕たちを花陵島におろすと、あわてくさったように、沖合を出ていった。
花陵島の荒涼たる風景は、僕の気持をさらにすさまじいものにさせねば置かなかったようだ。
それと反対に、あれから汽船のなかで、親しく口をきく仲となった麗人理学士志水サチ子の値打がさらにいっそう高くなったのを覚えた。
島で観測するようになってからは、いつもサチ子は、僕が夕刻観測挺を岸辺につけるころをみはからって、必ず浪打際まで出迎えにきてくれる。
それは、僕が島へ渡ってから一週間ほどのちのことだった。その日の夕刻、観測艇が海岸に近づくと、丘のかげからサチ子の軽快な洋装姿があらわれた。
「おかえりなさいまし、大隅さん」サチ子は、僕が艇をおりると、とびつくようにそばへよってきて、「きょうの観測はうまくゆきまして、浪があって。たいへんだったでしょう」
そういってサチ子が、日やけのした頬に微笑をうかべて寄ってくると、僕は一日中の労苦を一ぺんに忘れてしまうのだった。
「サチ子さん。よろこんでください。きょうは相当著しい海底地震を記録することができましたよ。まったく愕きましたね。この辺の海底には、ひっきりなしに小地震が起っているんです」
「まあ愕きましたわね。それで、その海底地震がなぜ起るかという結論が、もうおつきになったの」
「いや、どういたしまして。その方の結論は、わが研究所本部で総がかりで議論しているのですが、とけないのです。僕の力でとけるはずがありませんよ」
「大隅さんは火星の影響を考えてごらんになったことがありまして」
「えっ、火星の影響ですか。あははは、あなたも轟博士の一門でしたね。いや、火星と海底地震とは、まったく関係がありませんよ」といったものの、そのとき僕はふと妙な気持に襲われた。
「だが。待てよ、この海底地震の原因をいろいろと探してもわからないのだから、ひょっと火星の影響という問題を研究する必要があるのかもしれないなあ」
「ほほほほ。とうとう大隅さんが、うちの先生にかぶれてしまいなすったわ、ほほほほ」
サチ子はさもおかしそうに、声をたてて笑った。
「あははは。とうとう僕も火星の俘虜《とりこ》になってしまったようですね。しかしこのような絶海の孤島で、あなたがたのような火星の親類がたと暮していると、どうしてもそうなりますね。いや、火星の生物にまだ取って喰われないだけが見つけ物かもしれない」
僕は諧謔を弄したつもりだった。それに覆いかぶせて、サチ子がほほほほと笑いだすだろうと期待していたのに、その期待ははずれてサチ子の笑声はきかれなかった。
僕は目をあげてサチ子の方を見た。そのとき僕はおやと思った。サチ子が、どうしたわけか、急に顔色をかえ、唇をぶるぶるふるわせているのだ。
「サチ子さん、どうしたのです。どこか身体でもわるいんですか」
サチ子は、むやみに頭を左右にふって、それをうち消した。
「じゃ、ど、どうしたんです」
「しっ、――」
サチ子は、唇に人さし指をたてて、なにごともいうなという合図をした。僕はそれをみてうなずいたが、心の中は急に安からぬおもいにとざされた。
(あっちへ行きましょう[#「行きましょう」は底本では「行きまましょう」])
サチ子の目が、そういった。
僕たちは、肩をならべて、椰子の大樹がそびえる向こうの丘の方へ歩いていった。夕陽は西の水平線に落ちようとして、なおも執拗にぎらぎら輝いて、ただ広い丘陵を血のように赤く染めていた。
「一体どうしたんですか、サチ子さん」
僕はたまらなくなってサチ子によびかけた。
「あのね、とてもへんな恐いことなのよ」
と、彼女は用心ぶかく四周《あたり》をみまわして言葉を停めた。
「えっ。なにがそんなにへんで恐いのですか」
「あのね、あなたにだけお話するのよ。誰にもいっちゃいけないのよ、絶対に。うちの先生にもおっしゃらないでね」
「ええ、いいませんとも、あなたがいうなとおっしゃるのならね。一体どうしたというのです」
サチ子は、しはらく黙ったまま、砂地を歩いていたが、急に僕の腰にすがりついて、
「死骸が埋まっているところを見たのよ、大隅さん」
「なんです、死骸ですか」
僕は、ぎょっとした。しかしそのときの戦慄は、まだなにほどでもなかった。
「そして、その死骸は、どこに埋まっているんですか」
「あたしの泊っている小屋の、すぐうしろの砂原の中よ、椰子の木が三本、かたまって生えているところの根元なのよ」
「どうしたのかな。そこが塚かなんかで、土地の人が死人を埋葬したんじゃないですか」
「いえ、いえ、ちがうわ」とサチ子は、いよいよ僕の腕をかかえこみながら、「大隈さん、その死骸というのは、解剖したように、手だの足だのがバラバラになっているのよ」
「えっ、バラバラ死体ですか」
僕は、呼吸が停るほどおどろいた。
「そうよ、バラバラ死体なのよ。あたし、いやだわ。どうしましょう」
「どうするって――」僕にもどうしてよいかわからない。誰がそんなところにバラバラ死体を埋めたのか。
「あなたは、どうしてそれを先生に報告しないのですか。先生が調査して、片づけてくださるでしょうに」
「それがねえ、大隅さん」と彼女はたいへん困ったような態度で、「先生のご様子が、ちかごろなんとなくへんなのよ。だからあたし、そんなこと申し上げられやしないわ」
「ええっ、轟博士がへんなのですか。どうへんです」
と、聞きかえしたが、そのとき僕の脳裏に電光のようにひらめいたものがあった。それはいつぞや甲板上でみた博士所持のピストルのことだった。轟博士は、あの兇器で、誰かを殺《あや》めたのではなかろうか? 絶海の孤島上の殺人の動機は? それとも、それは僕のあまりに過ぎたる思い過ぎであろうか。
食人鬼
サチ子の話によると、二、三日来、あの落ちついた轟博士がなんとなくきょときょとしているそうである。そして急に物わすれをするようになった。気にしてみると、妙に舌がもつれたり、また時には、じつに不可解な目つきでサチ子をじっとみつめたりするそうである。
そういう話を聞いていると、轟博士に対する殺人の嫌疑がますます濃くなってくる。
「ねえサチ子さん。誰が殺されたんだか、それがわかりませんか」
「さあ」といって彼女は頭をふりながら、「あたし、死骸を一目みてびっくりしたものですから、そのままそこをはなれてしまったんですの。誰の死骸だか、そんなこと、わかりませんわ」
「ふーん」と僕は探偵きどりで呻った。そして本気でもって、これまで愛読したシャーロック・ホームズ探偵の活躍する小説の一つ一つを思いだして、その中からこの場の参考になるものはないかと首をひねった。
やがて僕は、サチ子をひきよせて訊いた。
「あのね、誰かちかごろ行方不明になった者はありませんか」
「行方不明になったものですか。さあ、そういうものは――」
とまで彼女はいったが、何に愕いたかそこで急にサチ子は、あっと叫んで、両眼を皿のようにひろげた。
「どうしました。サチ子さん。わかったら、いってください」
「ああ、どうしましょう」と、彼女は僕の胸にとりすがって喚《わめ》く。「マリアです、マリアが今日はどこへいったか姿を見せません。ああマリア。あの娘《こ》の死骸だったんです」
「マリアって、誰です」
「先生とあたしの身のまわりを世話している下婢の土人娘です。ああどうしましょう。あんな温和《おとな》しいいい娘《こ》が殺されるなんて、誰が殺したんでしょうか。あたしは、殺人者が死刑になっても許してやれないわ」
サチ子はマリアが殺されたものと信じきっている様子だ。
僕は愕きを一生けんめいにおさえつけつつ、胸の中に公式を組立てようとあせった。――轟博士がピストルで下婢マリアを射殺して、死骸をバラバラにしで裏に埋めた。はたしてそんなことがあり得るであろうか。その殺害の動機はどうであろうか。あの温和な博士が、殺人の罪を犯すとは、どうしてもうけとれない。あるいはそこには想像をゆるさないような意外な動機が秘められているかもしれないが、目下のところ、まだいっこうに分っていない。
後で考えると、このとき僕はまっすぐに死骸埋没の現場へいって、はたして何人が殺害されたのか調査をするのが一番よかったように思う。ところが僕はそこに気づかないで、博士の部屋を調べてみようと決心した。それは、轟博士が鞄のなかにしまいこんだピストルを探しだしたいためだった。もし博士が殺人をやったのなら、ピストルの弾丸《たま》が減っているとか、銃口のなかが煙硝でよごれているとか、なにかの証拠がのこっていることと思ったからである。
サチ子に、博士が小屋にいる
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