かいないかをたずねたところ、博士は先刻《さっき》、身仕度をととのえて、町の方へでかけていったということである。今のうちならば、たしかに博士は留守だということがわかった。
これ幸いと、僕は小屋に忍びこむことにした。そしてサチ子は、僕の調べがおわって、博士の行いに何かの結論がつくまでは、小屋にかえらないで、同僚のところへ行っているようにとすすめた。サチ子はもちろん僕のいうことに同意したので、僕は再会を約束して、彼女とわかれた。
図らずも、僕は探偵をまねて、冒険を始めることとなった。小屋に近づくと、あたりはもうすっかり夕闇に小ぐらくなっているというのに、中には灯一つついていなかった。博士はいよいよ不在であることにきまった。僕はまんまと、窓をまたいで、屋内にしのびこむことができた。森閑とした屋内を、床をふみしめ、一歩一歩博士の部屋にちかづいたが、そのときの気持は、あまりいいものではなかった。たとい博士は不在でも、屋内には僕の予期しなかったような人殺しの怪物がかくれていて、いまにもわーっと飛びついてきそうな気がしてならなかった。
たしかに僕は、一種異様な妖気が屋内にたれこめているのを感じないわけにいかなかった。
だが、僕は案外楽々と、博士の部屋にはいることができた。室内は十坪ほどの広さであったが、隅々には、いろいろな器械をいれた函が雑然と並んでいた。またテーブルのうえには参考書やノートなどが、うず高く積まれてあった。壁には、博士のヘルメット帽子がかかっている。
僕の狙う鞄は、なかなか見つからなかった。もしや博士がそれをもって外出したのではないかと一時失望をしたが、それでも方々を探しまわっているうちに、荷ときをした一つの大きな空函《あきばこ》のうしろに、例の鞄がかくされているのを発見した。
僕は胸をおどらせながら、いそいで鞄をひっぱりだすと、卓上において開いた。鍵はかかっていなかった。
鞄のなかには、例のとおり書類が重なりあってつめこんであった。その下から、僕の見覚えのあるピストルを、とうとうひっばりだした。
早速僕は、ピストルを折って、弾丸《たま》をしらべてみた。
「おや、弾丸《たま》は一つも減っていない」
僕の予想は裏切られた。銃口を手提電燈の光に照らしてみたが、中は綺麗であった。
「おかしいぞ。ピストルは最近一発も発射されていない!」
僕は失望を感じながらも、一方では博士が殺人嫌疑から遠ざかったことを悦ばずにはいられなかった。
しかし事件は、迷宮入りだ。これではいけないと思って、僕は改めて博士の鞄の中を入念に調べだした。
すると鞄の一番底から、一冊の手帖が出てきた。その手帖は、表紙が破れていた。そしてその上に「死後のためのメモ」と、走り書がしてあった。
死後のためのメモ
死後のためのメモ?
死後とは、なにごとであろう。博士はすでに死を決していて、なにか遺言めいたものがここに誌《しる》されているのであろうか。僕の好奇心は、その頂点に達した。
僕は、いそいでページをくった。
ちょっと判読しがたいほどたいへん乱れた文字が書きつらねてあった。僕はそのページの表に、手提電燈をさしつけながら、むさぼるように読みだした。そこには、こんなことが書いてあった。
「死後のためのメモ。――火星の生物は、すでに地球人類にたいして、戦いを挑んでいるのだ。彼等の先遣部隊は、すでに地球に達しているのではあるまいか。ちかごろ花陵島付近の海底において頻々たる小地震が感じられるそうであるが、これこそ火星の先遣隊の乗物が到着して、地殻に衝突するときに発する震動ではあるまいか。由来火星の生物は、わが人類のごとく動物の進化したものとはちがい、高等植物系統の生物であるからして、残忍無比で、敵としては非常に警戒を要する。加うるに、火星の生物は、体躯が矮小で、知能は高く、強大なる原動力を支配し、すでに地球上の地形風俗文化さえも調査ずみであり、実に恐るべき生物である。しいて、弱気をあげるならば、火星の気圧は地球のそれに比べてはなはだ低いので、おそらく彼等の体躯の脆弱さは、とても地球上の生存に適しないであろう。これはあたかも、人間が数百貫の大石の下で、これを支え得ないのと同じようなものである。ただし火星の生物が、あらかじめそれに対抗するほどの耐圧構造物を用意し、その中にはいって到来すれば別の話になるが……」
僕は、あまりに大きい感動のため、ここでしばらくページから目をはなさないではいられなかった。なんという恐ろしい手記であろう。まさかと思っていた火星の生物が、もうすでにこの地球上に来ているのではあるまいかなどという手記にいたっては、戦慄以外のなにものでもない。本当に、火星の生物はこの地球上に来ているのかもしれない。花陵島付近の異常なる海底地震に注意せよということであるが、ひょっとすると火星の尖鋭部隊は、ロケットのようなものに乗ってどこかその辺の海底はもぐりこんでいるのではあるまいか。
博士の手記は、まだ続いていた。僕はその先を読もうと、ふたたびページのうえに目をおとした。そのときだった。小屋の入口に、どたどたと跫音が入りみだれて近づいた。がちゃがちゃと鍵をまわす音がする。さあたいへん、博士が帰ってきたらしい。
僕はびっくりして手帖を閉じた。扉の開く音がする。もうこれまでと思った僕は、手帖を例の鞄の中に入れるなり、鞄を小脇にかかえたまま、いそいで室外に出た。そしてまだ明けっぱなしの窓から、小屋の外にとびだしたのであった。
博士の部屋に、ぱっと明りがついた。
僕は、すばやく窓下によって、室内をうかがった。そこには轟博士とサチ子の二人の姿があった。サチ子はなぜここへ帰ってきたのであろうか。
そのときいったんついた明りが、また消えてしまった。
「あら、先生。なぜ明りをお消しになりますの」そういったのはサチ子の声だ。彼女の声は明らかに慄えをおびていた。
それに対して、博士らしい声音《こわね》で、何かいうのが聞えたが、いやに皺枯れた声で、何をいっているのか言葉の意味が一向に聞きとれなかった。
そのうちに、室内から絹を裂くような悲鳴が聞えた。
「あれえ、先生。な、なにをなさるんです」
それにつづいて、器物のこわれる音。はげしい格闘がはじまった。
僕はもう夢中だった。小屋の入口からとびこむと、博士の部屋にかけつけた。
「あれえ、人殺し。助けてえ、あれえ、大隅さん」
サチ子は魂切るような悲鳴をあげている。
僕は扉を蹴破った。そして電燈のスイッチをひねった。室内はぱっと明るくなった。
「博士、恥をお知りなさい」サチ子を部屋の隅におしつけている博士の背中に、僕は力一ぱい叫んだ。
博士は、ぎょっとしてこちらを向いた。そして獣のように吠えた。
博士はサチ子を放してこっちへ向きなおった。同時に、花罎が僕の方へとんできた。ラジオ受信機がふってきた。大きなテーブルがぶーんととんできた。それがすむと、何十貫もあるモートルが木箱かなんぞのように楽々ととんできた。
僕はあっと叫んで体をかわした。めりめりとはげしい音がして、モートルが壁をぶちぬいた。おそろしい怪力である。これが六十老人の持つ腕力であろうかと僕は胆を潰した。
恐ろしい予感
博士は、仕損じたりと思ったのか、こんどは望遠鏡の鉄製の架台《かけだい》を手にもって、ぶんぶんふりまわしながら僕に迫ってきた。
「あっ、あぶない」
もうこれまでだと、僕は思った。この怪力におい迫られては、こっちの生命がない。僕はいつの間にか右手に、鞄の中にあった博士のピストルを握りしめていた。僕は、とうとう引金をひいた。轟然と銃声一発! 博士の身体がふらりと横に傾くと、その場にどーんと仆れてしまった。
「大隅さん、よく来てくだすったのね」
サチ子がとびついてきた。僕は息が切れて口もきけない。
「もうすこしのところで、博士に締め殺されるところでしたわ」
「ぼ、僕は、博士を撃ってしまった!」
「いいわ。だって正当防衛ですもの」
僕は博士の仆れているそばへよって、ひざまずいた。博士の身体をゆすぶったが、博士は、人形のように伸びたきりだ。胸許にぽつんと弾丸の入った穴があいている。博士は死んでしまったのだ。
「僕は、博士を殺してしまった」
「ほんとに死んでしまったのかしら」
「胸を撃ちぬいたのですから、もう駄目でしょう」
そういって僕はうなだれた。
「あら、大隅さん。博士の胸がひっこんできますわ。なぜでしょうか」
「えっ、博士の胸が――」僕はおどろいて、博士の胸をみた。なるほど博士の白いチョッキがすこしずつ下にさがってゆく。僕はへんなことだとおもいながら、博士の胸をおさえてみた。すると、思いがけなく、博士の弾丸傷のところから、草色のどろどろした粘液がぴゅうととびだしてきた。僕たちはあっといって、博士のそばからとびのいた。
「へんなことがあるものですね」
「どうしたのでしょう。もっとよく調べてごらんなすったら」
僕はサチ子にいわれて、こんどは落ちついて、博士の死骸をふたたび検査した。僕は博士のチョッキを脱がせた。すると、本当とは信じられないほどの不思議なことを発見した。チョッキの下から現われた博士の身体は、硬い金属のようなものを昆虫の腹部のように重ねあわしてつくってあって、ピストルの弾丸が、あたりの継ぎ目を滅茶々々にこわしてあった。その下には、例の草色の粘液がじくじくと泡をふいていた。
「これはおどろいた。博士は人間じゃなかったんですよ」
「まあ。どうしたってわけでしょうね」サチ子は真ッ青になって、僕にすがりついた。このとき僕は、博士の手帖をおもいだした。
「サチ子さん。ひょっとすると、これは火星の生物かもしれませんよ」
「ええっ、火星の生物ですって」
「しかし、火星の生物が、轟博士に化けていたとはどういうわけだろう」
この恐ろしい疑問は、僕がふたたび手帖をひろげて、先刻《さっき》の手記のつづきをよんだ結果、解けた。
その手記には、こんなことが書いてあった。
「――火星の生物は、高等植物の進化したもので、火星上の動物を支配し、その肉を好む。ちょうど、わが地球とは反対である」
また、こんなことも書いてあった。
「――火星の生物が、地球へ攻めてくるときには、まず最初われら人間と同形をした耐圧外被をかぶってやってくるであろう。それは人間にちかづいたとき、相手から警戒せられないためだ。これは想像だけではない。現に自分は昨夜、居室の窓外から妙な奴がこっちをうかがっているのを見かけた。そやつは、奇怪にも余と同じ顔をしていたのには、ぞっとした。もしあれが火星の生物だとしたら、余は生命の危険を感じる。なぜなら、そやつは人間界の情報をあつめるため怪しまれることなくわれらの同胞に近づく手段として、いつ余と入れかわらないともかぎらないからである。だが今さら余が騒いでもなにになろう。火星の生物に手向かうことは不可能だ。ただ余は、ここに『死後のメモ』を書きのこして、万一の場合の参考にする」
尊い博士の手記であった。それが手にはいらなければ、サチ子も僕も、どうなったかわからない。
火星の生物が、なぜ高等植物の進化したものであるか分らないが、植物であることは、偽博士の身体の中からでてきた草色のどろどろの粘液が、それを証明していると思う。それを疑う人は、そこから一本の草をとってきて、どんな汁が出て来るかねじってみるがいい。
火星の生物は、サチ子を喰べようとしたのであった。その前に、彼はまず轟博士を喰い、その次に下婢のマリアを喰べたのだ。博士の小屋の裏手にある三本椰子の下、サチ子がみつけたバラバラ死体の埋めてあった所を掘り返してみると、その中から、果然老いた男と若い女と都合二体の骨格や、喰いかけの手足などがでてきたことによっても知れる。
この事件がかたづいて、僕とサチ子の仲は、急速に近づいた。しかし片づかないものは、地球にだんだん近づいてくる火星のことであった。われわれ二人は、博士の遺志をついでこの花陵島
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