らぬが、ふとなにかの物音で、僕は睡りからさめた。意識がはっきりしてくると、僕の隣で鞄の金具の音がしているのに気がついた。僕はなにげなく、その音のする方を見た。
轟博士が、後向きになって、しきりに鞄のなかを整理しているのが見えた。その多くは手垢で汚れきったような論文原稿らしい書類であった。なおも僕は、博士の手さきをみていると、そのうちに博士は鞄のなかに書類を一通り重ねあわせ、いったん鞄の蓋をやりかけたが、そのとき急に忘れていたことを思いだしたように、ポケットをさぐると、大型のピストルを一挺とりだし、右手にぐっと握った。
それをみて、僕は心臓の停まるほどおどろいた。なんだか今にもそのピストルの口が僕の方にきそうな気配を感じたのだ。
だがそれは杞憂におわった。博士はピストルを、書類の下にそっとさし入れると、鞄の蓋を閉じて、ぴーんと金具をかけた。僕はほっと胸をなでおろした。
孤島の怪事
汽船は、僕たちを花陵島におろすと、あわてくさったように、沖合を出ていった。
花陵島の荒涼たる風景は、僕の気持をさらにすさまじいものにさせねば置かなかったようだ。
それと反対に、あれから汽船のなかで、親しく口をきく仲となった麗人理学士志水サチ子の値打がさらにいっそう高くなったのを覚えた。
島で観測するようになってからは、いつもサチ子は、僕が夕刻観測挺を岸辺につけるころをみはからって、必ず浪打際まで出迎えにきてくれる。
それは、僕が島へ渡ってから一週間ほどのちのことだった。その日の夕刻、観測艇が海岸に近づくと、丘のかげからサチ子の軽快な洋装姿があらわれた。
「おかえりなさいまし、大隅さん」サチ子は、僕が艇をおりると、とびつくようにそばへよってきて、「きょうの観測はうまくゆきまして、浪があって。たいへんだったでしょう」
そういってサチ子が、日やけのした頬に微笑をうかべて寄ってくると、僕は一日中の労苦を一ぺんに忘れてしまうのだった。
「サチ子さん。よろこんでください。きょうは相当著しい海底地震を記録することができましたよ。まったく愕きましたね。この辺の海底には、ひっきりなしに小地震が起っているんです」
「まあ愕きましたわね。それで、その海底地震がなぜ起るかという結論が、もうおつきになったの」
「いや、どういたしまして。その方の結論は、わが研究所本部で総がかりで議論しているのですが、とけないのです。僕の力でとけるはずがありませんよ」
「大隅さんは火星の影響を考えてごらんになったことがありまして」
「えっ、火星の影響ですか。あははは、あなたも轟博士の一門でしたね。いや、火星と海底地震とは、まったく関係がありませんよ」といったものの、そのとき僕はふと妙な気持に襲われた。
「だが。待てよ、この海底地震の原因をいろいろと探してもわからないのだから、ひょっと火星の影響という問題を研究する必要があるのかもしれないなあ」
「ほほほほ。とうとう大隅さんが、うちの先生にかぶれてしまいなすったわ、ほほほほ」
サチ子はさもおかしそうに、声をたてて笑った。
「あははは。とうとう僕も火星の俘虜《とりこ》になってしまったようですね。しかしこのような絶海の孤島で、あなたがたのような火星の親類がたと暮していると、どうしてもそうなりますね。いや、火星の生物にまだ取って喰われないだけが見つけ物かもしれない」
僕は諧謔を弄したつもりだった。それに覆いかぶせて、サチ子がほほほほと笑いだすだろうと期待していたのに、その期待ははずれてサチ子の笑声はきかれなかった。
僕は目をあげてサチ子の方を見た。そのとき僕はおやと思った。サチ子が、どうしたわけか、急に顔色をかえ、唇をぶるぶるふるわせているのだ。
「サチ子さん、どうしたのです。どこか身体でもわるいんですか」
サチ子は、むやみに頭を左右にふって、それをうち消した。
「じゃ、ど、どうしたんです」
「しっ、――」
サチ子は、唇に人さし指をたてて、なにごともいうなという合図をした。僕はそれをみてうなずいたが、心の中は急に安からぬおもいにとざされた。
(あっちへ行きましょう[#「行きましょう」は底本では「行きまましょう」])
サチ子の目が、そういった。
僕たちは、肩をならべて、椰子の大樹がそびえる向こうの丘の方へ歩いていった。夕陽は西の水平線に落ちようとして、なおも執拗にぎらぎら輝いて、ただ広い丘陵を血のように赤く染めていた。
「一体どうしたんですか、サチ子さん」
僕はたまらなくなってサチ子によびかけた。
「あのね、とてもへんな恐いことなのよ」
と、彼女は用心ぶかく四周《あたり》をみまわして言葉を停めた。
「えっ。なにがそんなにへんで恐いのですか」
「あのね、あなたにだけお話するのよ。誰にもいっちゃいけないのよ、絶対
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