けだった。
 少女が逃げたことは、いよいよたしかであった。あのかぼそい身で、このように綱をほどき、それからあの秘密の出入り口の鍵をさがしだして、うまうまと逃げてしまったんだ。なんという、すばしこいやつだろう。
「ああ、そうか。あの娘の頭蓋の中に、警官の脳髄《のうずい》をいれたのが、こっちの手落ちだったな。よほど頭のきく警官らしい」
 それにちがいない。検察庁《けんさつちょう》の特別捜査隊にその人ありと聞こえた、名警部山形だったから。
 少女のからだを持った山形警部は、たいへんなかっこうで、研究所の外にのがれでた。それはやっと夜が明けはなれたばかりの時刻だった。研究所からすこしいったところで、彼は非常線をはっている警官を見つけて、その方へとんでいった。
 その警官は、夜明けとともに、眠気《ねむけ》におそわれ、すこしうつらうつらしているところだった。その鼻先へ、とつぜん裸の少女がとびだして来て、わッと抱きつかれたものだから、その警官は、きもをつぶして、その場に尻餅《しりもち》をついた。
「おお、足柄《あしがら》君。わしは山形警部だが、大至急そのへんの家から、服を借りて来て、わしに着せてくれ。風邪《かぜ》をひきそうだ。はァくしょん!」
 と、少女姿の山形警部は、相手が部下の足柄君であることをたしかめ、うれしくなって、急ぎの仕事を頼んだ。
 足柄警官の方は、抱きついた裸の娘が、しゃがれた男の声を出したので、ますますおどろいて、うしろへさがるばかり。山形警部は、ここで、足柄に逃げられてはたいへんと、ますます力を入れて抱きつく。足柄警官はいよいよあわてる。
 が、ようやく山形警部が、「君は、この寒い山の中で裸の娘をいつまでも裸でほうっておくのか。それは人道《じんどう》に反するじゃないか。早く服を探してやらないのか」と、人道主義をふりまわしたので、若き人道主義の足柄警官は、ようやくわれにかえって、すぐ前の農家《のうか》から借りてくることを約束した。
 こんなことがあって、ようやく山形警部は服にありついた。しかしそれは少女の服であった。その農家の、今は嫁入った娘が、小さいとき着ていた服であった。警部は男の服を借りてもらうつもりだったので、そのことを足柄警官にいった。すると足柄は、山形警部を見おろしてにが笑いをしながらいった。
「だって、大人の服は、あなたには大きすぎて、着ても歩けませんよ。ねえ、分かったでしょう、娘さん」
 このことばに、山形警部は、うむとうめいてかえすことばを知らなかった。


   うそかまことか


 足柄警官は、娘にさんざん手をやいて――彼は山形警部が少女姿になったことを、いくど聞いても信じない。――おりから、ちょうど交替《こうたい》の警官が来たのをさいわい、娘をつれ、出張中の捜査本部のある竹柴村《たけしばむら》へおりていった。
 知らせを聞いて、奥から氷室検事《ひむろけんじ》がとびだしてきた。この氷室検事は、X号を捜査《そうさ》する警官隊の隊長だった。
「やあ、氷室検事、私はこんななさけない姿になってしまいました。同情してください」
 みじかい少女服を着た女の子が、いきなり検事にとりすがって、顔に似合わぬ男の声を出したので、検事はびっくりして顔色をかえたが、さすがに隊長の任務の重いことを思いだして、落ちつきをすこしとりもどした。
「いいよ、いいよ。ぼくは君に深い同情をしている」
 でまかせなことを、氷室検事はのべた。
「えッ、同情していてくださいますか。ありがたいです。氷室検事。あなたのほかにはだれもわしを山形警部だと思ってくれないのです」
「えッ、なんだと」
 検事は、目をパチクリ。
 すると少女のうしろから、足柄警官がさかんに手まねでもって、「検事さん、この娘は気が変ですよ」と知らせている。
「ふーん、そうか……」
 山形の方は、検事がそういったのを、自分をみとめてくれたんだと思いちがいし、泣きつかんばかりに検事にすがりつく。
「わしには、さっぱりわけが分からんですが、きのうわしは研究所に近づいて塀《へい》の破れから中を監視《かんし》していますと、いきなり脳天《のうてん》をなぐりつけられたんです。気が遠くなりました。
 次に気がついてみると、わしは見たこともない部屋の中に、裸になって寝ていたのです。その部屋には器械がおそろしくたくさん並んでいました。わしはおどろいて起きあがりました。ところがそのときえらいことを発見してびっくり仰天《ぎょうてん》、ぼーッとなってしまいました。なぜといって、わしのからだはいつのまにか少女のからだになっていたんですからねえ……」
 と、山形警部は、今これをしんじてもらわねばとうてい救われる時は来ないものと考え、手まねもいれてくどくどと身のうえを説明したのだった。
 まわりに、これを聞いていた一同は、いよいよこれは気が変な娘だわい。とほうもない奇怪味《きかいみ》のあるでたらめをいうものだと、あきれてしまった。
 氷室検事だけは、心をすこしばかり動かした。この娘はたしかに変に見える。しかし彼女が娘らしくない、がらがら声でしゃべっているのを聞いていると、どこかに山形警部らしい話しかたのひびきもある。また、この娘のいっていることがらは、ほとんど信じられないほど奇怪であるけれど、辻《つじ》つまが合っている。気の変な娘が辻つまの合っている話をするわけはない。すると、この娘は気が変であるといえないことになりはしないか。この答えはすぐに出ない。氷室検事の心は重かった。
 そのとき戸山少年が、検事の前へ出て来て、
「検事さん。この女のひとがいっていることは、ほんとだと思いますよ。谷博士が、研究所の最地階《さいちかい》は一等重要なところで、だれもいれないことにしていると、ぼくに話したことがありましたが、この女の人のいうことは合っていますよ」
 戸山君をはじめ五少年は、捜査隊にしたがって、この竹柴村の本部に寝とまりしていたのである。さっきからのさわぎに、少年たちは寝台をけって起き、奇妙《きみょう》な少女を見物していたのであった。
「それは、たしかだろうね」
 検事は、するどい目つきで、戸山君を見つめた。
「たしかですとも、それから、今この女のひとが話したところによると、その研究所の最地階には、三人の人がいたことが分かります。その三人とは、この女の人と、例の死刑囚火辻に似た怪人、それからもう一人は、目に繃帯《ほうたい》をした谷博士だと、この人はいっているのです。ああ、谷博士は、怪人のために病院から連れだされ、研究所の最地階に幽閉《ゆうへい》され、どんなに苦しめられていることでしょうか。博士が責めころされないまえに、一刻《いっこく》も早く救いだしてください。もちろんぼくたちも一生けんめいお手つだいいたします」
「戸山君のいったとおりです。谷博士を早く助けてください」
 と、他の少年たちも検事の前に出て並んだ。


   月光の下に


 五人の少年たちが、熱心に谷博士を救いだすことを検事に頼んだので、氷室検事の決心はようやくきまった。
「よろしい。それでは今夜半を期して、研究所の最地階へ忍《しの》びこむことにしよう」
 検事は、部下を集めて、手配のことを相談した。
 このとき、気が変になった娘と思われていた少女姿の山形警部が、いろいろと研究所内の事情について、よい参考になることをしゃべった。ことに、最地階の出入り口の錠《じょう》のことと、それがその階上のどんなところへつづいているかということ、この二つはたいへん参考になった。
(なぜこの娘に山形警部のたましいがのりうつっているのか分からんが……)と警官たちの多くは、そう思った。
(しかしとにかく、今しゃべっているのは山形警部のたましいにちがいない)
 へんてこな気持だった。
 でも、会議が進むにつれ、みじかい少女服を着た娘の発言は重視《じゅうし》され、そして彼女はだんだん山形警部としてのあつかいをうけるようになった。
 会議が終ると、女体《じょたい》の山形警部は、食事をとってそのあと、ねむいねむいといって、寝床《ねどこ》をとってもらって、その中にもぐりこんだ。
 そのあとは、本部の中は、怪少女の話でもちきりだった。若い警官も年をとった警官も、それぞれにいろいろな想像をして、議論をたたかわした。だがはっきりした証拠《しょうこ》は、どこにもないのだ。なにしろ、山形警部は依然《いぜん》として行方不明である。山形警部の肉体は今どこにどうしているのか、それが今も発見されないままなのだ。それが分からない以上、なぜ山形警部のたましいが、あの少女にのりうつったのか、それは解けない謎《なぞ》だった。そして決行の夜が来た。
 研究所を見張っている警官隊からは、たえず報告が来る。目下、研究所の地上の各階では、機械人間《ロボット》が働いている。彼らは、研究所の動力や暖房《だんぼう》のことをまちがいなく管理していた。また、機械人間製造の方でも、たくさんの機械人間が働いていた。しかし生産された機械人間は、このところ売れゆきがよくないので、倉庫にたまる一方であった。夕方になると、製造工場はお休みとなる。あとは研究所の日常の生活を担当している機械人間だけが、用のあるときだけ働いている。研究所の灯火《とうか》は、夜のふけるにつれ、不用な部屋の分は一つ一つ消されていき、だんだんさびしさを増すのであった。夜中になって、東の山端《やまはし》から、片われ月がぬっと顔を出した。それを合図にして、氷室検事がひきいる捜査隊は、研究所をめがけて、じりじりと忍びよった。この隊には、五少年も加わっていたし、それからまた、女体の山形警部も、警官に取りまかれて厳重《げんじゅう》に保護されながら、ついてきていた。

 ある一つの窓の警報器が故障になっていて、そこをあけてはいれば、研究所をまもっているくろがねの怪物どもを立ちさわがせることなく、忍びいれるという調べがついていた。
 一行は、この窓にとりついた。すみきった月光がじゃまではあったが、警報器がならないかぎり、まず心配なしである。氷室検事は外に見張員《みはりいん》をのこすと、残りの者をひきつれて窓から中へすべりこんだ。
 そこは一階だった。玄関と奥の中間のところにある窓だった。
 それから先の案内は、女体の山形警部にまさる者はなかった。
 警部は先に立ち、そのうしろに護衛の警官が三人つづいた。もしもこの怪女がへんな行動をしそうだったら、ただちにとりおさえる手はずになっていた。が、女体の山形警部はわるびれず、奥へすすんだ。そして秘密の出入り口を教えた。
 ところがここに困難がひかえているものと予想された。というのは、最地階から山形警部が出てくるときには、この秘密の出入り口の鍵は内がわにあったから、探しだしてすぐ使うことができた。しかし今警官隊は、外がわからはいろうとしている。錠前《じょうまえ》も鍵も向こうがわにあるのだ。どうしたら、錠前や鍵に手がとどくだろうか。それを心配しながら、検事の命令で、警官の一人が、力いっぱい戸をおした。
「あッ、開いた」
 意外にも、戸は苦もなく開いた。錠がかかっていなかったのである。警官たちはよろこんだ。検事もよろこんだが、反射的に、(これは用心しなければいけない。相手はわなをしかけて待っているのかもしれない)と思った。
 一同は、全身の注意力を目と耳にあつめ、足音をしのんで、最地階へはいっていった。警官の手ににぎられたピストルは、じっとりとつめたい汗にうるおっていた。だんだんと奥へ進む。
 女体の山形警部が、いよいよどんづまりの場所へ来たことを手まねでしらせた。そして彼女は、声をしのんでいった。
「この扉をひらけば実験室だ。そこに博士は椅子にしばられ、怪人はおそろしい顔をして、器械をあやつっているんだ。扉をやぶったら、どっと一せいにとびこむのだ。一度にかかれば、なんとか怪人をとりおさえることができるかもしれん」
 警部は、やっぱり怪人の力をおそれていることが分かった。そこで彼女はうしろへさげられた。
 運命を決する死の
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