お目にかけよう。


   ものいう木


 ふたたび夏休みが来た。
 登山者は一日一日多くなった。
 三角岳の機械都市のことは、ほうぼうにまで鳴りひびいて、学生たちは、今年の夏はぜひそれを見学しようというので、足をこっちへ向ける者が多かった。
 山田《やまだ》君と君川《きみかわ》君という大学生が、やはり三角岳を志《こころざ》して登っていった。
 ところが二人は、あまりふざけちらして歩いていたので、とうとう道を踏みまちがえてしまった。太陽の輝《かがや》いている方向が、どうも自分たちの考えている方角と違っているのだった。あわてて地図をひろげて探したが、地図と現在の位置とが合わない。すっかり心細くなってしまった。太陽もだいぶん下へさがっている。へたをすれば、この山の中に野宿《のじゅく》しなくてはならない。
「困ったねえ、どこへ迷《まよ》いこんだのだろう」
 と、山田君がなげいた。
「もう研究所の塔が見えていいはずなんだが、さっぱり見えやしないよ。いったい、どっちへ行ったら三角岳の研究所へ出られるんだか、どうしたら知れるだろうね」
「さあ、分からないねえ」
 二人が困りきって、ともにしぶい顔になったとき、どこからか、人の声が聞こえた。
「もしもし、あなたがたは三角岳の研究所へいらっしゃるんですか」
 それは美しく澄《す》みきった若い女の声であった。二人は顔を見あわせた。
「だれかが、ぼくたちに話しかけたじゃないか。だれだろう。どこにいるんだろう」
「ぼくも声は聞いたが、あたりには、ぼくたち二人きりで、ほかにだれもいないじゃないか」
「じゃあ、気のせいかな。だれかに道を教えてもらいたいと思うものだから、村の人の声が聞こえたように思ったのかしらん」
「それにちがいない」
 すると、再びその美しい澄みきった女の声が聞こえた。
「もしもし、それなら、あなたがたは道をまちがえていらっしゃいます」
「ははア……」
 二人は顔を見あわせて、あたりをきょろきょろ。しかしやっぱり自分たち二人のほかに、何者の姿も見えない。目につくのは、すこしうしろの道ばたに、一本の大きな木が立っているだけであった。
「もしもし、あなたがたは、ここから道を八百メートルばかり引きかえすのです。すると地下壕《ちかごう》の中にはいります。そこであなたがたは、一階上にあがるのです。そして4と書いてある方向標《ほうこうひょう》を見つけ、その方向へどんどん歩いていらっしゃれば、まちがいなく、三角岳研究所の下へでます。お分かりですか」
「どうもありがとう」
 二人の大学生は、話の途中で、その声がうしろの立ち木の中から聞こえてくるのに気がついた。二人はその前まで行って、木を仰《あお》いで礼のことばをいった。ふしぎなことだった。
「失礼ですが、お嬢さんは、どこにいて、われわれを見ていられるのですか。お嬢さんの声が、この木にとりつけてある高声器《こうせいき》からでて来ることは分かっていますがね」
 と、山田君は、立ち木に話しかけた。彼の考えでは、遠くの場所に、そのお嬢さんが望遠鏡を持って、こっちを見ており、道に迷った人を見つけると、電話のスイッチを入れ、電話装置でわれわれに話しかけるのだと思った。
「私は、ここにいます。あなたが見ていらっしゃる一本の立ち木こそ、私の姿です」
 女の声は、そういった。しかしそんなばかばかしいことを、大学生たちは信じかねた。木が人間の声をだすなんて、おとぎばなしだ。
「ほほほ、私のいうことを、うそだと思っていらっしゃるのね。では、もっとはっきりお分かりになるように、私は動いておみせしますわ。あなたがた、どうぞこちらの方へ、道を引きかえしていらっしゃってください」
 そういう声とともに、その立ち木は枝をぐっと曲げた。それは人間が、腕をさしのばして道を教える恰好《かっこう》と同じに見えた。
「たははは」
「うふふふふ」
 二人の大学生は、その場に腰をぬかしてしまった。彼らは、山の中で、お化《ば》けの木に出あったと思ったからだ。この次は、二人ともこのお化けの木にたべられてしまうだろう。
「ほほほほ」と、お化けの木は、枝をゆるがして葉をさらさらとふるって笑った。
「ここは、三角岳のメトロポリスです。あなたがたは、ここへいらっしゃったら、世界第一の文化都市へ来たとお思いにならないといけません。私たち路傍《ろぼう》の立ち木にも、人間の脳髄と同じような考える器官もあれば、発声の器官もあるのです。これはみんな市長の谷博士がこしらえて、私たちにつけてくだすったのです」
 大学生はおどろいて、引きかえした。立ち木が人と同じような感覚を持っているなんて、そんなことがあっていいだろうか。もっとも谷博士の人工電臓《じんこうでんぞう》のことを知っている者なら、それがうそではないと思うだろ
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