、喜助は述べてみたい理窟もないではなかったが、言い出したが最後、今度は肋骨の一本ぐらいは折られそうな一同の権幕に恐れをなして、唯下唇をブルブルふるわせるばかりで、すごすごと退場しなければならなかった。
喜助は、重い足をひきずるようにして、叔父の家の二階へ、帰って行った。
三
二階の薄汚い彼の居間に入ると、彼は、耐《こら》えとおして来た悲しさと口惜しさとを一時に爆発させて、側《かたわ》らの硝子戸がビリビリ鳴り出したように思われるほど、大声を挙げて、泣いて泣いて泣きまくった。この室こそ彼にとって独占の天下であった。そこには誰も入ってくるものがなかった。叔父や叔母たちには彼の泣き声が耳に入らぬではなかったが、明日にさし迫った大熊老人の葬儀に供えるための、大青竹の花筒を急造したり、山のように到着した榊や花を店前に下ろしたり、それに続いて、その大花筒に花をさしわけたりする仕事のために、一分とその場を離れることができなかった。従って二階へ上って喜助を慰問してやることは、当分のうち全く不可能であるといってよい。喜助は、いよいよ落着いて泣きつづけた。
だが、その快よい悲歎の泪を、ときどきチクリと止める何物かが夾雑《きょうざつ》していることに、喜助は気付かないわけにゆかなかった。それは何といいあらわすべきであろうか。早く言うなれば大熊老人の死に纏る莫然たる疑惑であった。
老人は何故こう脆《もろ》くも死んでしまったのであろうか。
親族達は、老人が死ぬと直ちに一致協力して、別に何の特権もないことが判って居る喜助を邸外に抛《ほう》り出したのであろうか。
更に、これは大秘密であるけれど、大熊老人は生前に於て、ひそかに喜助の手を借りて毒薬|亜砒酸《あひさん》を常用していたが、それは多分、抗毒性の体質をつくりだすことにあったのであろうが、それは実際、老人にとってどんな役目を演じていたのであろうか。又、そのすくなくない亜砒酸常用の体質が、今度の死亡原因に、どのような関係があるのであろうか。
そんなことを、いろいろ綴り合わせて考えてゆくと、若しやという疑惑が、なんだか本当にそうあったらしく思われて来るのであった。親族連中が一致団結して事に当っているのもおかしいと言えば言えないこともないし、死亡診断書を書いたN博士だって、何か動機があれば、インチキ証明書を書かぬとは言えないだろうし、そう言えば、老人がこのたび死病にとりつかれたのに、主治医としてN博士とその助手が二人ほど診《み》に来たばかりで、百万長者の生命を治療するのには、たいへん貧弱すぎたと考えられる。
(わかった、彼等一団の親戚たちは、一致協力して、あるまいことか大熊老人の毒殺を企てて、それが不幸にも見事に成功してしまったのだ。きっと、そうに違いない。自分を直ぐに室外につまみだしたのも、単に喜助という少年を嫌ったのではなくて、実は自分が薬学についての専門家であることに恐怖を感じて、排斥したものに相違ない)
喜助は、大きな泣き声を、いつの間にか、やさしい泣き逆吃《じゃくり》に代えて、こんな想像をめぐらしていたのであった。彼は大きく肯くと、突然|颯爽《さっそう》と畳の上に立ち上った。と思ったら、直ぐにペタンと、元の薄汚れに汚れた座蒲団の上へ、崩れるように坐りこんでしまった。
(讐打《かたきう》ちをしても、何になる。死んだおじいさんが、生き返るわけじゃ無いし……)
喜助の心は、どこまでも弱く、そして悧巧《りこう》であった。死んだ老人を甦らせる手のないのに、何をやっても駄目であるに違いなかった。殊に彼は薬学家として、毒物に対する肯定と尊敬とを持っていた。毒物にやられて呼吸中枢が止り、循環器官が停《とま》ると、もう一切のものは破壊へむかって展開するにきまっていると、原書で習った生理学の知識を思いうかべて、アーメンと小さい声で言った。彼が探偵小説の読者ではなかったことを、深く遺憾としなければならない。
その後に来るものは、無間地獄のような悲歎と寂寥《せきりょう》とであった。喜助にはもう何事を望む気持もなかった。誰を待つことも考えられなかった。後半が脱落している書物の、その最後の一行を読みおわったような感じだった。そうなった上は、彼の行くべき道は、誰しもが選ぶたった一つ残されたその道――自殺ということであった。
喜助は自殺しようと決心した。
喜助にとって、自殺することは、障子に手をかけてガラリと開くのと、その容易さに於て余り大差がなく感ぜられた。自殺して、天国の門口で、(おお、とうとうお前も来て呉れたか)と云って老人の胸に抱かれることがどんなにか楽しみであった。彼は堅くそれが出来ることを信じていたのだった。喜助はここで、死ぬ時間のことを考えた。なるべく早く死にたい。老人の葬式が
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング