けのことで、効果はいっこうあがらなかった。
 そのかわり、自動車に、電池式の受信機と高声器をつんだ移動ラジオが、すこぶる活躍をして、避難民や、火事場で活動している市民たちへ、ニュースを送った。
 そのニュースの中に、市民たちの予想もしなかったものがまじっていた。
「――このたびの地震は、全国的であります。震源は、一カ所ではなく、同時に十数カ所にのぼるものと思われます。北の方から申し上げますと、まず帯広付近、青森県においては……」
 というわけで、地震は、まことにめずらしい話だが、全国的に、ほとんど同時に起ったのであった。
 そんな奇妙なことがあっていいだろうか。従来、震源地は一カ所にきまっていたようなものである。別のニュースは、それについて、一つの解説を与えていた。
「――中央気象台の発表によりますと、このたびの驚異的大地震は、わが国の七つの火山帯の総活動によるものでありまして、従来五十四を数えられた活火山は、いずれも一せいに噴火が増大しました。また従来百十一を数えられた休火山のうち、その三分の二に相当する七十四が、このたびあらためて噴火を始めました。中でも、富士火山帯の活動はものすごく、富士山自身もついに頂上付近より噴煙をはじめました。今後さらに活発になるものと思われます……」
 富士山が噴火をはじめたというのだ。
 なんという驚きであろう。市民たちは、それを聞くと、争って西の空を仰いだ。
 すると、ようやく暮色せまった西空が、火事のように赤く焼けているではないか。夕焼とはちがう。
「おお、あそこだ。富士山が燃えている」
 真赤な雲の裾から、左右に、富士山のゆるやかな傾斜が見えていた。山巓のところは、まさに異状があった。黒いような赤いような大きな雲の塊が、すこしずつ、むくむくと上にのびあがっていくのが見える。そして、ときどき、電気のようなものが、慄えながら見入っている人々の目を射た。
 富士山の噴火は、ついに事実となって、市民の目の前に現われたのである。
 余震は頻々として、襲来した。いや、余震ではなく、新しい噴火や爆発が、ますます強度の地震を呼び迎えたのであった。
 東京市民は、だんだんと事態の容易ならざることを悟るにいたった。ニュースは、ほんのわずかしか伝えられないが、この調子では、さだめし全国的に、たいへんな被害が生じていることであろう。
 火災、海嘯《つなみ》、山崩れ、食糧問題、治安問題などが、いたるところに起っているのであろう。日本全国が、今や恐るべき天災のために、刻々とくずされ、焼きつくされ、そして大洋の高潮に洗われていることであろう。
 救援は、誰がする?
 関東震災のときは、関西、東北、九州、北海道をはじめ、日本各地からの救援の手が、さしのべられた。しかしこんどの驚異的大震災は全国に拡がっているから、国内同士では、救いの手を伸ばしようがない。自分たちが、まず救われたいのであったから。
 関東震災のときは、外国からの救援があった。アメリカなどは、慰問品を軍艦につんで、急派してくれたものだ。
 アメリカは、今度も、そのような同情を寄せてくれるであろうか。
 アメリカに、それは望めないとしたら、ソ連はどうであろう。南米はどうであろう。また中華民国や、大南洋はどうであろうか。
 植松総監は、この緊急の事態に面して、はなはだ不本意ではあるが、外国からの救援に、焦けつくような望みをかけたのであった。
 ところが、だんだんと外電が入ってくるにおよんで、それはいっさい、望み得ないことが分ってきた。
 なぜであろうか?
 理由は、日本内地と同じことであった。というのは、それらのどの国々においても、空前の大地震が起こり、新しい火山の活動となり、日本と同様に、極度の混乱をきわめているという事情が判明したのであった。
 地球は、陸といわず海といわず、その全面より、大噴火を始めたのであった。有史以来の大異変が襲来したのであった。


     志々度博士の訂正

 崩壊しつくした警視庁跡に、大きな天幕が、いくつも張られてあった。
 植松総監は、その天幕の一つの下で、壊れたコンクリートの塊の上に腰をかけ、そこに集まった四名の人物の顔を、ずーっと見まわした。
「この前も、お集まりをねがったが、また例の北見博士の件ですがな、ぜひご意見をおきかせねがいたい」
 この一カ月の苦闘が、総監の頬を、げっそりと削ってしまった。
 その前に、やはりコンクリートの塊に腰を下ろしている四名の人物も、この前とはちがって、別人のように、顔色もわるく、眼《まなこ》ばかり大きい。
 この四人は、一人は、警視庁の精神病部長の馬詰博士、他の一人は、警務部長の多島警視、もう一人は、総監と同郷の帝大理学部教授の青倉博士、残りの一人は、気象台技師の志々度博士であった。
 この前、総監の信頼するこの四名の権威者は、北見博士の取調べに、肩書を秘して立ち合ったのであった。彼らは、例の地震に遭って、危いところで、それぞれの生命を拾ったが、そのとき総監に答申したものは何であったかというと、
「北見博士は、精神病者だと認める。第五氷河期が近く襲来するという博士の説は、ぜんぜん根拠がない。いったい、氷河期の原因として考えられることは、四つある。第一は、地球軌道楕円率の変化があって起る場合。第二は、地軸の移動によって起る場合、第三は、太陽熱の変化によって起る場合。それから第四は、地殻の変動によって起る場合。さて、現在の状況を、この四つの原因にひきくらべてみるのに、第一乃至第三は、いずれも明らかに、現在の状況にあてはまらない。ただ第四の地殻の変動なるものが、わずかに現在の場合と関係があるらしく思われるが、しかしこの第四の場合は、学界でも、あまり人気のない学説である。というのは、地殻の変動によって地球が冷え、それで氷河期が起るものならば、有史以来これまでに四回の氷河期があったが、いずれの場合も、地球はいったん氷河に蔽われながらも、いつか氷が融けて、今日と同じく、地球の大部分は氷がなくなっている。もし、本当に地球が冷えたものだとすると、前の四回の氷河期ののち、氷が融けた[#「融けた」は底本では「触けた」]ことが、ふしぎである。まあ、そんなわけで、地殻の変動のために氷河期が来るという学説は、すこしおかしいところがある。要するに、自分たちの考えでは、現在活発なる活動をつづけている世界的噴火が、今後勢いを減ずることなく、このまま、百年も二百年もつづくのでなければ、氷河期は決してやってこないであろうと思う」
 これが、四人の権威者から得た結論の綜合であった。
 それを聞いたとき、総監は、なるほどと感心し、そして安堵したのであった。このうえは、北見老博士を精神病者として、どこかの病院に収容すれば、それでこの問題は解決するであろう。もちろん氷河期は、決して来るまいと、そのときは考えたのであった。
 ところが、それからこっちへ、一カ月の日が流れ、その間、総監は帝都の治安に文字どおり寝食を忘れて努力していたが、昨日、思いがけなく、総監は、北見博士の娘であるという北見氷子女史の訪問をうけたのである。
 氷子女史は、ハンドバッグの中から、一枚の用箋を出して、これが父からの用事であるといって、さし出した。
 総監がうけとってみると、それは全部片カナで書いてある電文であった。その大意は、
「総監閣下よ。余は、最近の地球異変が、いよいよ近く第五氷河期の招来を予告するものなるを信ずる次第なり。仍《よ》りて余は、わが日本民族の一部を救済せんとの目的をもって、ひそかにその事業を進行中なり。されども資金枯渇のため、思うにまかせず。あと一万人の日本人を収容する資金として、金二千万円を至急愚娘氷子にまで交付されたし。なお、その他のことにつきては、絶対に質問したまうことなかれ。北見生」
 というのであった。
 総監は、この文面を読んで、愕き、かつ呆れた。二千万円の無心状であった。一万人の日本人を救うというのは結構だとしても、その使い方もわからないのに、二千万円を支出するのはちょっと不可能なことである。総監は、北見博士の使者だという婦人に対し、即座に断ろうかとも考えたが、いやとにかくこういう重大時期に際し、自分一存で事を行うは危いと考え、氷子女史に向う五日間の猶予を乞うたのであった。そうしておいて、総監は、今日、四人の権威者に、また一堂に集まってもらったのである。
「まあ、こういう次第だが、送金するかどうかということはともかく、その後氷河期が来るか来ないのか、何か新しい予想でも立ちましたかな」
 総監は、そういって、一同の顔を見わたしたのであった。
 すると、青倉教授は、即座に、
「私の考えは、いっこうに変更なしです」
 と断言した。精神病部長の馬詰博士は、
「こんなことをいってくるようでは、北見さんは、いよいよ精神病者ですよ」
 と、これも北見博士に不利な証言をした。
 中央気象台の志々度博士は、考え込んだまま、口を開こうとはしない。多島警視も唇を噛んで黙っている。
「あとのお二人の意見も聞かせてもらいたいものですね。まず、志々度博士のお考えを」
 催促されて、志々度博士は、前回とはちがって、深刻な表情で、
「実は、そのことについて、私は迷っているのです。というのは、前回においては、私は氷河期が来るという北見博士の説を一蹴しましたが、最近になって、少し気になることを発見して、迷っています」
「ほう、気になる発見というと……」
「それは、世界各地からの気温報告を統計によって調べてみますと、例年同期に比して、平均七度の降下を示しています」
「なるほど」
「ところが、われわれは、それほどの気温降下を感じていないのです。これは噴火等などのため地殻の温度が上がり、従ってそれほど気温降下のあるのを感じていないのであります。気温はかなり下っています。しかも平均七度というのは、世界全体を通じての観測結果なのですから、たとえば、日本だけとか、支那大陸だけとかいうのではなく、世界の平均気温が寒冷になっているというのですから、これはちょっと注意すべきことではないかと思うのです」
「しかし志々度君。その気温が七度下っているというのは、一時的現象ではないのかね。つまり太陽の黒点が急に増えたとか、そこへもってきて、噴火の煙で、太陽が遮られて、気温が下るとか……」
「そうです。私は、その噴火の噴出物が空を蔽って、気温が降下しているという説には賛成なんですが、今、青倉先生は、これを目して一時的現象といわれましたが、私は、これが相当長くつづくのではないかと心配する者です。従って、気温は、さらに低下していくのではないか」
「そんなことはないだろう。噴火は局部的だ。そして、噴出物の灰は、今もどんどん落下して、地上に堆積しつつある。だから、今後それほど顕著な気温降下はないと思う。それに地殻の変動によって、大地の温度がうんと上昇しているから、まるで炬燵《こたつ》をかかえているようなもので、地表は春の如しさ。心配はあるまい」
 青倉教授は、楽観説を持している。
 総監は、首をひねって、志々度博士の方を盗み見た。
「私は、青倉先生ほど、これを楽観的には考えられないのです。噴出物は、相当おびただしい量にのぼっています。空中へ舞い上ったものが、なかなか下へ落ちてこないようです。つまり、空中には火山灰の量が日増しにふえてくるように思います。確実な計算はできませんが、この調子でいくと、やがては、全世界の空が、暗曇程度に蔽いつくされるのではないでしょうか。すると太陽の輻射熱は、少くとも五、六十パーセントを失うようになる。悪くすれば、八十パーセント以上を失うかもしれない。それが毎日続いたとすると、これは一大事ではないかと思う。この前、北見老博士の説を、私は一笑に附しましたが、この頃になって、私は、老博士の説が、ある程度事実に近いと思うようになったのです」
「いや、それは、思いすぎだ」
 青倉教授は、あくまで志々度博士の説を否定したのだった。


     老博士の怪行動


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