大使館の始末機関
――金博士シリーズ・7――
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)豆戦車《まめせんしゃ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)只今|仕度《したく》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)かくしゃく[#「かくしゃく」に傍点]
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     1


 ずいぶんいい気持で、兵器発明王の金博士は、豆戦車《まめせんしゃ》の中に睡った。
 睡眠剤《すいみんざい》の覚《さ》め際《ぎわ》は、縁側《えんがわ》から足をすとんと踏み外《はず》すが如く、極《きわ》めてすとん的なるものであって、金博士は鼾《いびき》を途中でぴたりと停めたかと思うと、もう次の瞬間には、
「さて、この大使館では朝飯《あさめし》にどんな御馳走を出しよるかな」
 と、寝言《ねごと》ではない独《ひと》り言をいった。
 博士が、年齢の割にかくしゃく[#「かくしゃく」に傍点]たる原因は、一つは博士の旺盛《おうせい》なる食慾にあるといっていい。
 目の前に押釦《おしボタン》が並んでいた。
 押釦というものは便利なもので、それを指で押すだけで、大概《たいがい》の用は足りてしまう。以前、博士のところへ、新兵器の技術を盗みに来た某国《ぼうこく》のスパイは、博士のところにあった押釦ばかり百種も集めて、どろんを極めたそうである。
 閑話休題《さて》、博士が、その押釦の一つを押すと、豆戦車の蓋がぽっかり明いた。博士はその穴から首を出して左右を見廻した。
「やあやあ、この豆戦車を明けようと思って、ずいぶん騒いだらしいぞ」
 この豆戦車は、某国大使館の一室に、えんこしているのであった。部屋の寝台《しんだい》は、片隅に押しつけられ、床には棒をさし込んで、ぐいぐい引張ったらしい痕《あと》もあり、スパンナーやネジ廻《まわ》しや、アセチレン瓦斯《ガス》の焼切道具《やききりどうぐ》などが散らばっていた。
「この大使館にも、余計な御せっかいをやる奴が居ると見える。これだから、旅に出ると、一刻《いっこく》も気が許せないて」
 そういいながらも、博士は別に愕《おどろ》いた様子でもなく、豆戦車からのっそりと外に出た。それからまた、もう一度豆戦車の中をのぞきこむようにして、押釦《おしボタン》の一つをぷつんと押した。すると、がちゃがちゃと金属の擦《す》れ合《あ》う賑《にぎや》かな音がしたかと思うと、その豆戦車はばらばらになり、やがてそのこまごました部分品や鋼鉄《こうてつ》がひとりでに集ってきて、三つのトランクと変ってしまった。重宝《ちょうほう》な機械もあったものである。
 博士は、そのトランクを、部屋の隅に重ねて積み上げた。
 それから、もみ手をしながら、扉を開けて、階下《した》へ下りていった。
 博士はずんずん食堂へ入っていった。
「おい、飯を喰わしてくれんか」
 食堂の衝立《ついたて》の蔭から、瞳の青い、体《からだ》の大きい給仕《きゅうじ》がとびだしてきたが、博士を見ると、直立不動の姿勢をとって、
「あ、王水険《おうすいけん》先生のお客さまでいらっしゃいましたね。では、只今|仕度《したく》をいたしますから、しばらくお待ちを……」
 といって、周章《あわ》てて衝立のかげに引込《ひっこ》んだ。
 金博士は、ぶうと鼻を鳴らして、窓ぎわに出た。広い庭園は、今は黄いろくなった芝生《しばふ》で蔽《おお》われ、ところどころに亭《あずまや》みたいなものがあるかと思うと、それに並んでタンクのようなものがあったり、なにか曰《いわ》くのありそうな庭園であった。
「どうも半端《はんぱ》な庭園じゃな。それにしても、王老師は、どうしていられるのか。おいおいボーイ君、王老師はまだこの大使館へ出勤せられないのか」
 金博士が、がなりつけるようにいうと、ひょっくり衝立からとびだしてきた給仕頭《きゅうじがしら》が、
「は。王老師は、当館にお泊り中でございますが、まだお目ざめになりませんので……」
「まだ目がおさめにならぬ。はて、年寄のくせにずいぶん寝坊でいらっしゃるな」
「はい。今までこんなことはなかったのでございますが、ふしぎなことで……。只今、医師が参りまして、診察をして居ります」
「診察? 老師は、睡りながら病気に罹《かか》られたのかね。ずいぶん御器用《ごきよう》じゃ」
「いや、そうじゃございません。あまり睡りすぎるというので、一同心配のあまり、医師をよびましてございます。それに醤買石《しょうかいせき》先生も、同様一昨日の夜以来、睡り込んでいられますので……」
「なんじゃ、醤買石?」
 博士の眼がぎょろぎょろと動いた。
「ははあ、読めたぞ。おい、王先生のところへ案内頼むぞ」
「は。ではこっちへどうぞ」
 金博士は、給仕頭の案内で、王老師の部屋を訪れた。
 博士はその部屋に入ったが、すぐ出て来た。そして元の食堂に戻って来た。
 このとき卓子《テーブル》の上には、白いクロスが伸べられ、その上には金色のフォークやナイフが並び、卓子《テーブル》の用意が出来ていた。
 博士は、ナプキンを胸にさし込みながら、食事の催促《さいそく》をした。
 給仕が、燻製《くんせい》の鮭《さけ》を、金《きん》の盆にのせて持ってきた。
「おや、わしの好きな燻製が朝から出て来るぞ。これは頼《たの》もしい。彼奴《きゃつ》らの目の覚めないうちに、腹一杯喰っておくことにしよう」
 博士の機嫌《きげん》は、斜《なな》めならず、フォークとナイフとを使いながら、何かしきりに呟《つぶや》いている様子が、たいへん楽しそうに見えた。
 そこへ給仕頭が、次の料理を搬《はこ》んできた。金博士は、その給仕頭をとらまえて、
「おい、あんちゃん。わしが王先生と醤買石の寝室を覗《のぞ》きにいったことは、内緒にしておいてくれ。これはわしの志《こころざし》ぢゃ」
 そういって博士は、ポケットから取り出した一つかみの金貨を呆《あき》れ顔の、給仕頭の掌《て》にのせてやった。


     2


 人を咒《のろ》うことについて趣味のある醤買石《しょうかいせき》と、彼にうまく担《かつ》がれているとは知らぬ王老師《おうろうし》とは、医師の手当《てあて》の甲斐《かい》あって間もなく前後して、目を覚ました。
「人払いだ」
 醤は、目が覚《さ》めるや、大声を発した。
 居候《いそうろう》なりとはいえ、今を時めくABCDS株式国家のC支店長の号令である。それに愕《おどろ》いて医師は診察鞄をそこに忘れて立ち上ると、部屋附のボーイは、出かかった嚏《くさめ》を途中で停めて部屋を出た。
「ああ、王老師。どこへ行かれる」
「人払いじゃ」
「ああ、王老師はここに居て頂《いただ》かねばなりません。そうでないと、話が出来ません」
「するとわしは人の部類に入らない訳じゃな。やれやれ情けない」
 老師は、無理やりにお臀《しり》に刺された睡眠解下剤《すいみんかいげざい》の注射のあとがまだ痛むので、すこし不機嫌であった。
「なに用じゃ、醤どの」
 老師は、腰がだるくて仕方がないが、立ったままでものをいう。
「何よりもまず、余が依存《いぞん》いたすことは、老師の手腕と、この某国大使館における始末機関の偉力《いりょく》とですぞ。昨夜は失敗しましたが、今日は十分に駆使《くし》して、金博士を綺麗に始末していただきたい。大丈夫でしょうな」
「商売熱心なるその言葉、恐れ入ったぞ。今日こそは、始末機関をフルに働かして、邪弟《じゃてい》金の奴を片づけてしまうであろう」
「いや、その御言葉で、余は安堵《あんど》しました。さあ、後は十分おくつろぎ下さい。ボーイを呼びましょう」
 醤は、ベッドの上に半身をねじって、枕許《まくらもと》の押釦《おしボタン》を押した。すると枕許のスタンドが、ふっと消えた。
「おや、これはボーイを呼ぶ押釦じゃなかったか」
 醤は、しまったという表情で、今度は壁からぶら下っている釦を押した。すると、とたんにがらがらというしたたかな雑音が聞え、続いてアナウンサー鶯嬢《おうじょう》の声で、
「……今日十六日の天気予報を申上げます。今日は一日中晴天が続きましょうから、空襲警報に御注意下さい。明日はまた天気は下《くだ》り模様《もよう》となり――」
 醤は、ふうッと猫のような叫び声を出して、部屋の隅のラジオ受信機のところまでいってスイッチを切った。
 王老師は、あきれたような顔で、
「ああ、アナウンサー鶯嬢も、どうかしているな。今日は十五日であるのを、十六日といいまちがえた。近頃の若い者は、熱心が足りない」
「老師、今日は十六日ですよ。余の腹心の部下からの報告があったから、まちがいなしですわ」
「そんなことはない。醤どのは、算術を忘れてしまわれたか。十四日の次は十五日であるが、決して十六日ではない」
「いや、老師、私たちは、一日|余計《よけい》に睡ったのですよ。部下の報告から推《お》して考えると、金博士を睡らせる睡眠瓦斯《すいみんガス》が、余と老師とにも作用した結果です」
「そんなことはない」
「いや、そうです。われわれ二人は、金博士が睡ったかどうかをみるために、うっかり金博士の部屋に入ったではありませんか、あのときあの部屋に残っていた睡眠瓦斯を、われわれが吸いこんだのです。そして足かけ二日間に亘りばかばかしく睡りこんだ……」
「ああ、そうか。いや、それにしても四十幾時間も睡るわけがない。わしの調合《ちょうごう》によれば、せいぜい前後十時間ぐらいは睡るように薬の濃度《のうど》を決めたつもりじゃったが……」
「しかし結果は、このとおり四十二時間も効《き》いたのです。ねえ、王老師、失礼ながら老師は、学問的にすこしく疲れていられるのではありませんか。もしそうだとすると、これからあの金博士の奴を、この某大使館の始末機関で始末していただこうと余は大いに期待しているわけですが、それが甚《はなは》だ覚束《おぼつか》ないことになりますなあ。老師、大丈夫ですかなあ」
 醤買石は、心細そうにいう。
「濃度をまちがえるような耄碌《もうろく》はしないつもりじゃが、はて、どこでまちがったかな」
 王老師は、しきりに首をひねったり、山羊髯《やぎひげ》をしごいてみたが、一向その不思議は解《と》けなかった。


     3


「おかげさまで、十分睡眠をとることが出来まして、長旅の疲れもすっかり癒《なお》りましたわい。いや、老師のおかげです」
 食卓に向い合って、金博士が、王水険老師《おうすいけんろうし》を恭々《うやうや》しく拝《はい》しながらいった。それは老師にとって、いささか皮肉にも響く言葉であった。
「いや、お互《たが》いの年齢《とし》となっては、疲れを除くには睡眠にかぎるようじゃ。すなわち、いよいよ年齢をとれば、大量の睡眠が必要となり、すなわち永遠の眠りにつくというわけじゃ」
「御教訓、ありがたいことでございます」
 老師は照れかくしに、つまらん講義を始める。
「ところで、この酒を一杯|献《けん》じよう。これはこの地方で申す火酒《ウォッカ》の一種であって、特別|醸造《じょうぞう》になるもの、すこぶる美味《びみ》じゃ。飲むときは、銀製の深い盃《さかずき》で呑めといわれている。ではなみなみとついで、乾盃といこう」
 二つの銀の盃に、その火酒《ウォッカ》はなみなみとつがれた。盃の縁《ふち》は、りーんといい音をたてて鳴った。
「チェリオ!」
「はあ、ペスト!」
 金博士は、変な言葉でうけて、盃の酒を、一息に口の中に流しこんだ。
 老師も盃を傾けて口の傍《そば》に持っていった。しかし師は酒を呑んだわけではない。老師の拇指《おやゆび》が、その盃についている突起《とっき》をちょいと押した。すると、盃の底に穴があいて、酒はこの穴を通して盃の台の中にちょろちょろと流れ込んでしまった。とんだ仕掛のあるインチキ盃だった。
「どうじゃ、美酒《びしゅ》じゃろうが、もう一杯、いこう」
「さいですか。どうもすみませんねえ」
 金博士は、またも盃になみなみ注《つ》いでもらって、老師と共に乾盃をくりか
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