に絶対信頼を置いたればこそです。然《しか》るに況《いわ》んやそれ……」
「当館の始末機関は絶対に信頼し得るものじゃったのじゃ、すくなくとも昨日までのところは……。しかしあの金博士に限り効目《ききめ》がないので呆《あき》れている。察するところ、金博士のあの素晴らしい食慾が、一切を阻《はば》んでいるのかもしれん」
「食慾なんかに関係があるもんですか。あの毒酒にしても毒蛇にしても、インチキじゃないかな」
「そんなことはない。あの毒酒では、過去において千七百十九名の者が斃《たお》れ、毒蛇では百九十三名が斃れ、いずれも百パーセントの成功を見たのじゃ。殊《こと》にあの毒蛇に咬《か》まれた者のあのものすごい苦しみ方に至っては……」
「それは余も一度見たことがありますが、実に顔を背《そむ》けずにはいられなかったです。その毒蛇と今日の毒蛇と、毒性は同じものですかね」
「毒性に至っては、今日のやつは、特別激しいものを選んだのだ。しかも今日のやつは、非常に獰猛《どうもう》で、人を見たら弾丸のように飛んでいって咬みつくという攻撃精神に燃え立っている攻撃隊員というところを五匹ばかり選《え》り抜《ぬ》いたので、それで相手が斃れないという法はないのじゃ。不思議という外《ほか》ない」
「ですが、わが部下の話では、その突撃隊の毒蛇が、金博士の腕と足とにきりきりと巻きついたのを双眼鏡でもって確《たしか》めたというとるですが、博士は別に痛そうな顔もせず、銅像のように厳然《げんぜん》と立っていたそうですぞ。本当に突撃隊ですかなあ」
「すぐとんでいってきりきり巻きつくところから見ても、それが突撃隊員だということが分る。その毒蛇が人語《じんご》を喋《しゃべ》ることが出来れば、もっと詳《くわ》しいことが分るのじゃが……」
 話の最中に、醤の部下が、庭の方からあわただしく食堂の中にとびこんできた。
「委員長。たいへんです。金博士が、只今これへ現れます」
「え、こっちへ金博士が……」
「あ、あの足音がそうです」
 ずしんずしんといやに底ひびきのする足音が聞える。醤は、泡《あわ》をくっているうちに、逃げ場を失い、またもや卓子《テーブル》の下にごそごそと匐《は》い込んだ。
 卓子のシーツの裾《すそ》が、まだゆらゆら揺《ゆ》れている最中《さいちゅう》に、金博士がぬっと入って来た。どうしたわけか、金博士は、頭の上から肩のへんにひどく泥を被《かぶ》っていた。
「やあ、金どのか。一杯どうじゃ」
 王老師も、ちょっとおどろいて、前にあった盃をとって差し出した。
「いや、酒はもうたくさんですわい」
 と金博士が、落付いた声でいった。
 うむと呻《うな》った老師は、のみかけの酒を食道《しょくどう》の代りに気管《きかん》の方へ送って、はげしく咳《せ》き込んだ。
「いや、老師先生。ここの酒は、あまり感心しませんなあ」
「そ、そんなはずは……ごほん、ごほん」
「どうも、感心できませんや、砒素《ひそ》の入っている合成酒《ごうせいしゅ》はねえ。口あたりはいいが、呑《の》むと胃袋の内壁《ないへき》に銀鏡《ぎんきょう》で出来て、いつまでももたれていけません」
「ま、真逆《まさか》ね」
「本当ですよ。気持がわるくなって、庭園を歩いていましたが、ふしぎなことにぶつかりました」
「ふしぎなことって、それは耳よりな、どうしたのかね」
「この庭園には、冬だというのに、蛇が出てくるんですよ」
「ああ一件の……いや、二メートルの蛇か」
「二メートルもありませんでしたが、頤《あご》のふくれた猛毒をもった蛇です。トニメレスルス・エレガンスに似ていますが、それよりもすこし長くて九十五センチぐらいありました」
「それはたいへん。君に咬《か》みつかなかったか」
「すこしは咬みついたらしいですが、私は感じがにぶいのでねえ。ですが、脚だの腕だのにきりきり巻きついて歩くのに邪魔をしますので、癪《しゃく》にさわって、補えて来ました。ほらこれです」
 金博士は、ぬっと右手をさしだした。その手には、例の蛇が四五匹、ぶらりと下っていた。
「うわッ」
 王老師は、おどろいて、椅子に腰かけたまま、うんと呻《うな》って目をまわした。
「ああ、老師は蛇はお嫌《きら》いでしたか。これは失礼。では取り捨てましょう」
 と、博士は手にしていた蛇を、卓子《テーブル》の下へ、そっと捨てた。
 すると、卓子の下で、
「きゃッ」
 と、只ならぬ悲鳴が聞えたと思ったら、卓子が華々《はなばな》しく持ち上り、中から一人の真青《まっさお》な皮膚をもった人間がとびだしたかと思うと、衝立《ついたて》をぶっ倒して、料理場へ逃げこんでしまった。それこそ余人《よじん》ならず醤買石だったことは、今ここに改めて申すまでもなかろう。


     5


「王老師。あんな手ぬるいことでは、
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