坊は非常に無念であった。
 すると、そのとき別の人がつかつかと出てきて、ピストルを持つ人の手をおさえた。ピストルを持っていた人は怒《おこ》ったらしい。二人が争うのを見ていた残りの人も、結局ピストルをうとうとした人をおし止めた。
「なんだ! 生命《いのち》は助かったのか」
 丁坊は弱味を見せまいとしたが、さすがに嬉しかった。
 しかしはたして、それは嬉しがることであったろうか。いや、丁坊は知らないけれど、彼の一命を助けた人というのは、この氷上の怪人団の智恵袋《ちえぶくろ》といわれている人物であって、やがてこの丁坊を、死よりも、もっとつらい仕事に使おうとしているとは、神ならぬ身の丁坊は知るよしもなかった。
 やがて中国人チンセイがよばれた。
 チンセイは丁坊の張番を命ぜられたのだ。十四五人の怪人は、もう用がすんだという顔つきで、大空魔艦の格納庫の方へすたすたと歩いていった。
「チンセイさん。僕のことを、あの人たちはどういってたの?」
 と、丁坊はチンセイに話しかけた。
「うむ、何にも知らん」
 チンセイはかぶりを振った。知っていても喋ると叱《しか》られるのが、こわいという気もちらしかった。
「ねえ、チンセイさん、云っておくれよ。僕はどうせこんな風に捕虜になっていて、逃げようにもなんにも出来ない身体なんだよ。すこしぐらい、僕の知りたいと思っていることを教えてくれたっていいじゃないか」
 丁坊は、ここを先途《せんど》と、チンセイの心をうごかすことにつとめた。
 チンセイはもともとお人よしであるらしく、丁坊の言葉《ことば》にだんだん動かされてきた。
「じゃあ、話をしてやるが、黙っているんだぞ。こういうわけなんだ――」
 チンセイは、怪人たちに気取《けど》られぬよう、そっぽを向いて早口で語りだした。はたして彼はどんなことを口にして、丁坊の心をおどろかそうとするか?


   空魔艦の秘密


「おい丁坊、ほんとをいうと、おれは空魔艦『足の骨』のコックなんだ。料理をこしらえたり、菓子をつくったりするあのコックだ。おれは、お前と同じように、攫《さら》われてきたんだ。それはおれが杭州《こうしゅう》で釣をしているときだったよ。突然袋を頭から被せられてかつがれていったのだ。あれからもう三年になる。早いものだ」
 そういってチンセイは、ふかい溜息《ためいき》をした。
「チンセイさん。僕のことを早く話しておくれよう」
「おう、そうだったな」
 とチンセイはわれにかえり、
「なんでもお前は、この空魔艦の秘密を見たそうじゃないか。空魔艦がとんでいるところを見たんだろう。そういってたぜ」
「嘘だよ。空魔艦なんか、僕の村にいたときは見なかった。ただ林の中で、成層圏《せいそうけん》の測定につかった風船や器械が落ちているのを発見しただけのことだ」
「それ見ろ。そいつが困るんだ。おれは三年前、この仲間に入ったから、多少は知っているんだが、この空魔艦の一つの仕事は、あの高い成層圏を測量し、そして世界中のどの国よりも早く、成層圏を自由に飛ぼうと考えているらしい」
「なぜ成層圏なんて高い空のことを知りたがっているのかい」
「それはつまり――つまり何だろう、成層圏を飛行機でとぶと、たいへん早く飛行が出来るのだ。たとえば今、太平洋横断にはアメリカのクリッパー機にのってもすくなくとも三日間はかかる、ところが成層圏までとびあがって飛行すれば、せいぜい六時間ぐらいで飛べるんだ。ただし空魔艦ならもっと早く飛べるよ」
「へえ! 空魔艦も成層圏をとぶのかい」
「そうさ、第一あのふしぎな恰好を見ても分るじゃないか」
 丁坊はチンセイの物語に、たいへん心がひかれた。
「――だがね、僕が林の中で成層圏探険の風船がおちているのを見ていたぐらいで、さらうのは、おかしいじゃないか」
「そうじゃないよ。空魔艦が、そういうものを日本の国の上で測量しているのが知れては困るというんだ。だからお前をさらってきたんだ」
「へえ、一体、空魔艦は、どこの国の飛行機なのかね」
「うふん、また訊《き》いたね。いくど訊いても同じことだ。空魔艦は、世界のどこの国の飛行機でもないんだ。それ以上は、今は云えない。しかし気をつけたがいい、お前は逃げないかぎり日本へは帰れないだろう。あの人たちはお前を逃がさんつもりらしいぞ」
「ええッ、日本へかえさないって」
 そういっているところへ、格納庫の中で手入れをしていた空魔艦が、出発のためにしずしずと巨体を氷上にあらわした。そして例の十四五人の怪人たちが、チンセイと丁坊の待っている方をむいて駈けてきた。


   僚機《りょうき》「手《て》の皮《かわ》」


 空魔艦「足の骨」は、出発の位置についた。
 この巨機の窓という窓からは、いろいろな顔がのぞいている。しかしどれもこれも防毒面を被《かぶ》っているので、下から見ると、異様なお化けが巨人飛行機にのっているとしか見えなかった。
「さあ、はやく乗った!」
 十四五人の怪人たちは、手まねをして、チンセイに、機の中に入るように命じた。この十四五人の怪人は何者であろうか。これこそ実は、この空魔艦の主脳部の人たちであったのである。
 チンセイが乗ると、怪人は丁坊のそばによってきて、かるがると両方からぶらさげた。そして、よいこらと空魔艦のなかに積みこんだのであった。
 どこへ空魔艦は行くのか。
 爆音が高くひびくと、空魔艦は氷上に滑走《かっそう》をはじめた。ぴんと張った両翼は、どう見ても巨大ないきもののように思えてならない。そのうちに空魔艦はふわりと空中に浮いた。
 チンセイは丁坊のそばにいる。
「チンセイさん。もう一つの空魔艦は、ついてこないのかい」
「いや、一緒に来るはずだよ。ほらほら、いま滑走をやっているよ」
 丁坊は身体の自由がきかないから、外が見えない。
「もう一つの空魔艦は、なんという名前なの」
「ああ、あれかい、あれは『手の皮』というんだ」
「へえ、変な名前だね。これが『足の骨』で、もう一つのが『手の皮』かい」
「足の骨」と「手の皮」の二機は、ぐんぐん高度をあげて、北の方にとんでゆく。
「チンセイさん」
 と、また丁坊がよびかけた。
「なんだい、丁坊。ちと黙っていろよ」
「だってチンセイさん。僕はこうして、いつまでたっても毛皮の袋の中に入れられたっきりだぜ。いやになっちまうなあ。チンセイさんから頼んで、僕を袋から出してくれないか。僕はもう逃げやしないよ。日本へ帰ることもあきらめている。だけれど、こんな窮屈《きゅうくつ》な袋の中にいれられているのはいやだ。出して呉《く》れればコックのことだって、ボーイの役目だってなんなりとするよ」
 丁坊は熱心さを顔にあらわして、チンセイに頼んだ。
「そうだなあ」とチンセイはようやく本気になって、
「じゃあ一つ、機長の『笑《わら》い熊《ぐま》』さんに聞いてみてやろう」
「『笑い熊』だって?」
「ああそうだよ。それが機長の名前なんだよ。じゃおとなしくして、しばらく待っておれ、いいか」
 チンセイは背広のポケットに両手を入れたまま立ちあがった。


   難破船《なんぱせん》


 丁坊は、チンセイの帰ってくる足音を、いまかいまかと待ちつづけた。チンセイはうまく話をしてくれたかしら?「笑い熊」機長は、丁坊を自由にしてくれるかしら。
 どやどやと、入りみだれた足音が近づいてきた。チンセイ一人ではなさそうだ。ではうまく行ったのかと思っていると、扉がガチャリと明いた。
 真先に入ってきたのは、例の防毒面の怪人で、一番えらそうな人物――これこそ機長の「笑い熊」であると知られた。
 そのうしろからチンセイや、主脳部《しゅのうぶ》の怪人たちがつづいた。
 チンセイは「笑い熊」のうしろからとびだしてきて、丁坊のそばにすりよった。
「おい丁坊。機長さんに話をしたところ、お前を自由にするまえに、一つ試験をするといっているぜ。その代り、この試験に及第すれば、この空魔艦の一員にとりたててやるというのだ。しっかりやれ」
 丁坊は、うなずいた。試験もよかろう。とにかく早く自由にしてもらわねば、どうすることも出来やしない。
「笑い熊」が手をあげて合図すると怪人たちは太い針金でもって、丁坊の身体をぐるぐると捲《ま》いてしまった。
 どうするのかと思っていると、「笑い熊」がチンセイをよんで、なにごとかを命令した。
 それを聞いていたチンセイは、窓のそとをのぞいて、さっと顔色をかえた。そして丁坊のそばによって、気の毒そうな声でいった。
「丁坊、いまから試験が始まるそうだ。これからお前は、地上におろされるのだ。そしてそれから先、どんな目に遭おうとも、黙って我慢していて、後にわれわれが迎えに行くまで待っているのだ、いいか」
 地上におろされる?
 どういう風におろされるのだ。彼の身体は、いま針金でぐるぐる巻《ま》きにされている。なんだか一向わからない。
「笑い熊」が、またさっと手をあげた。
 すると怪人たちは、いきなり毛皮の袋に入った丁坊をだきあげて、窓の外に出した。
「呀《あ》ッ、――」
 目がくらくらした。はるかに何百メートル下の氷原が、きらきら光っている。
 丁坊の身体は、そろそろと下る。
 針金がだんだんのばされるのだ。針金一本が丁坊の生命の綱だ。
 おそろしい宙釣《ちゅうづ》りとなった。ぱたぱたと板のように硬い風が、丁坊の頬《ほほ》をなぐる。そして身体はゴム毬《まり》のようにゆれる。いまは遉《さすが》の丁坊も生きた心持がない。
 一体どうするのか。このまま下すのだろうか。どこへ下して、なにをさせようというのか。
 このとき丁坊は、すこしずつ近づく下界を見た。いま空魔艦は、だんだん高度を下げながら一つところをぐるぐる廻って飛んでいるようだ。
「おお、あれは何だ」
 そのとき丁坊の眼に入ったものはなんであったか?
「船だ、船だ!」
 それは船であった。氷原の真只中《まっただなか》に、氷にとざされて傾いている巨船であった。
 ああ北極の難破船《なんぱせん》! あれが着陸地らしい。
 なぜ丁坊は、そんなところへ、ただ一人で下ろされるのか!
 いよいよ奇怪な空魔艦の行動であった。


   吊《つ》り綱《づな》


 空魔艦の上から、一本の綱でもって宙につりさげられた丁坊は、気が気ではない。
 丁坊の身体こそは温い毛皮で手も足も出ないように包まれているけれど、顔はむきだしになっていて、氷のような風がびゅうびゅうと頬《ほっ》ぺたをうつ。顔一面がこわばってしまって、すっかり感じがなくなり、まるで他人《ひと》の顔のような気がするのであった。
 下はまっしろに凍《こお》りついた氷原《ひょうげん》である。
ものの形らしいのは、氷上の難破船一つであった。
「あれはどこの国の船だろうかなあ」
 もちろん檣《マスト》には、どこの国の船だかを語る旗もあがっていず、太い帆げたも、たるんだ帆綱《ほづな》もまるで綿でつつんだように氷柱《つらら》がついている。
 丁坊をつりさげた綱は風にあおられて、いまにもぷつりと切れそうだ。切れたが最後《さいご》、いのちがない。なにしろ氷上までは少なくとも七八百メートルはあるだろう。綱が切れれば、身体は弾丸のように落ちていって、かたい氷にぶつかり、紙のように潰《つぶ》れてしまうであろう。
 迫《せま》ってくるこわさに、ともすれば丁坊の気は遠くなりそうだ。目まいがする。頭はずきんずきんと痛む。
「これはとても生命はないらしい。空魔艦の乗組員はひどいやつだ」
 丁坊は、曲らない首をしいて曲げて、上を見た。空魔艦は悠々と上空をとんでいる。
「おや、また綱をくりだしているぞ」
 丁坊が出てきた窓のところから四五人のマスクをした顔がのぞいている。そしてにゅっと出た手が、しきりに綱を下へおろしている。
「いくら綱をおろしたって、とても氷の上にはいかないのに」
 そう思っているうちに、丁坊の身体は急に猛烈なスピードでどっと落下をはじめた。
「あッ、綱が切れたんだ」
 丁坊は愕《おどろ》きのため息がつまった。目を開こうと思ってもしば
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