辻中佐はじめ、アシビキ号の乗組員たちは、底しれぬ戦慄《せんりつ》の淵《ふち》へなげこまれた形であった。


   皿のような乗物


「おい、無電員。今の第五斥候隊の位置は、わかって居るか」
「はい。大体見当はついております」
「今の最後の無電をうってきたとき、方向探知器で、その電波の発射位置をたしかめて置いたか」
「は。それはとうとう間に合いませんでした。しかし、その十五分前に来た電波で方向がしらべてありますから、まずそれで間に合うと思います」
「その地点はどこか」
「ヨーヨーの峡谷《きょうこく》です。大砲岩から、北の方へ十キロばかりいったところです」
「ふん、ヨーヨー峡谷か」
 辻中佐は、地図の上に、ヨーヨー峡谷の所在をさがして、その上に赤い三角旗のついたピンをつき刺《さ》した。
「救援隊に出発を命令せよ、二ヶ隊を送るのだ。急がなければならないぞ」
 辻中佐は命令した。
 命令|一下《いっか》、幕僚は直ちにマイクをもって、艇外に待機中の予備隊二ヶ隊を救援隊として出発させた。
 いよいよこれは大きな戦闘になるであろう。棲《す》むことにさえ慣れない月世界の上において、地球人間よりは、ずっとすぐれた頭脳の持主であるといわれる火星人と闘うのであるから、これは一大覚悟を要することだった。
 艇員の顔は、曇る。同胞が今危難に苦しんでいるのだと思うと、胸がしめつけられるようであった。
 どうなるであろうか、この戦闘は。
 月世界の上の大乱闘の末、もしアシビキ号の乗組員が一人のこらず火星人のためにたおされてしまい、その上に噴行艇さえ奪われてしまうようなことがあったら、これは一大事である。それは大宇宙遠征隊のために一大事であるばかりか、ひいては地球人類のために一大事であった。なぜならば、火星人は、地球人類を見くびって、それからさき、どんなことをむこうからしかけてくるかわかったものではない。
 だから、ここでわが地球人類は、どんなことがあっても、火星人に負けてはならないのであった。いま辻中佐の頭の中には、とっさに、あれやこれやと策略が渦《うず》まいている。どの作戦をとりあげたら、火星人をうちまかすことができるであろうか。
 もっと、火星人の様子が知りたい。火星人がどんな風に出てくるのか、それを知りたい。それが分らないかぎり、こっちからうつべきよい手が考えられない。
「おい無電員、何か現場よりの報告は来ないか」
「はい。あれきりです。新しい報告はまだ一つも入りません」
「そうか。ふうむ」
 そういっているとき、無電配電盤に、ぱっぱっと、監視灯がついたり消えたりした。
「おや、第四斥候隊が、こっちを呼んでいるぞ。これはめずらしい」
「えっ、第四斥候隊それにまちがいがないか。今まで、何のしらせもなかった第四斥候隊か」
 艇長は、席を立って、無電員の傍へやってきた。だが無電員はそれにへんじをしなかった。彼はむちゅうになって、無電をうけて、その電文を紙の上に書いているのであった。ああ、それはまちがいなく第四斥候隊からの始めての報告だった。
 辻中佐は、いそがしそうにうごく無電員の手の間から、次のような電文を読みとった。
“第四斥候隊報告。わが隊は、すこし考えるところありて、火星人隊発見まで、電波を発射しないことを定めおけり。そのわけは、電波を発射せば、火星隊のために、かえってわが隊の所在をしらせることをおそれたるがためなり”
「なるほどなるほど」
 艇長はうなずいた。
 報告書は、なおその先があった。
“……わが隊は、アメ山より、対《むか》いのヒイラギ山のかげに火星人の乗物があるのを発見せり。火星人隊の総勢は約十名かとおもわれる。彼らの乗物は、その形、大きい皿の如く、その中央の出入口よりぞろぞろと現われるのを見たり。わが隊は、そのあとにて、アメ山を下りて、ひそかに火星人の乗物に近づけり。幸《さいわ》いに乗物には火星人の居る訳なし。しかも出入口は、明け放しになり居りたるゆえ、内部へ入りて見たり。その結果、われらは、風間、木曾の二少年を発見せり”
「ほう、二少年が見つかったそうじゃ」
“……さりながら、二少年は共に、人事不省《じんじふせい》のありさまにて発見せられたるゆえ、われらはおどろき、手当を加えつつあるも、いまだにそのききめなきはざんねんなり。われわれ二少年をこのまま連れ戻ろうとす。医療の用意をたのむ”
「ほう、二少年とも人事不省だそうだ。それをたすけて、第四斥候隊はこっちへ戻ってくるというが、うまくかえれるかどうか、わからない。すぐさま、第四斥候隊の方へも、救援隊を向けてやれ」
 辻中佐は、心配の中にも、第四斥候隊の無事だったことを知って、ほっと一息ついたのであった。


   我、飛びつつあり


「それにしても、第五斥候隊の方はどうなったかな」
 辻中佐は、第四斥候隊の方と連絡が取れ、風間、木曾の二少年が発見されたことがわかると又今度は火星人と大乱闘をやっているに違いない第五斥候隊のことが心配になって来た。
「おい、救援隊は出発したか」
 幕僚をふりかえった。
「はい、すでに第五斥候隊へ、救援隊は二ヶ隊出発し急行中であります。第四斥候隊への救援隊は只今間もなく出発いたします」
「ふむ、そうか。――おい無電員、第四斥候隊を呼出して命令を伝えるんだ。いいか、第四斥候隊はその皿のような形をした火星人の乗物を確保していろ、敵に渡してはならん。それからただちに救援隊を向けるということも伝えてやれ」
「はッ」
 無電員は、すぐさま第四斥候隊を呼出して、連絡をとりはじめた。ところがところが第四斥候隊からは受信の応答があったかと思うと、そのまま、又ぱったりと連絡が切れてしまった。もういくら呼んでも、うんともすんともいって来ないのである。
 無電員は真ッ赤な顔をして送信器に取りついていたが、やがて、弱ったような顔をして幕僚の方をふりかえった。
「どうも困りました。第四斥候隊とは又連絡が切れてしまいました」
「ふむ、何か起ったかな」
「何、また返事をせんのか、ふーん、すると火星人が自分たちの乗物のところに帰ってきたのかも知れんな」
 艇長がうなずいた。そして眉をしかめた。それは、こういうことを考えたからである。つまり火星人たちが第五斥候隊を撃破してしまって、悠々と自分たちの乗物のところに帰って来て見ると、其処《そこ》にはまだ第四斥候隊が頑張っていた。しかも第四斥候隊は、たった今、辻艇長からその火星人の乗物を渡してはいかん、という命令を受けたばかりなので、ここで又、大乱闘がはじまってしまったのではあるまいか――。それで無電連絡が切れてしまったのではあるまいか――。
「うーん」
 部下思いの辻艇長は、眼の前にひろげられた月面図の上に腕を組むと、しきりにうなっていた。第五斥候隊は、救援隊が到着する前に全滅してしまったのかも知れない。その上、風間、木曾の二少年を発見した第四斥候隊も、たった今出発した救援隊の到着するまで、うまく相手を防いでいるかどうか疑問である。何しろ相手は、得体《えたい》の知れない火星人なのだ。
「困ったことになったぞ……」
 辻中佐は、この馴《な》れない月世界の上で奮闘している部下のことを、しきりに心配していた。が、この時第四斥候隊の方には、辻艇長が心配していた以上のことが起こっていたのだった。
 それは、間もなく第四斥候隊報告として、この司令室の無電機に飛込んで来た。受信している無電員が、先《ま》ずびっくり仰天《ぎょうてん》するような報告だった。
“第四斥候隊報告。わが隊は、目下月世界を離れて飛びつつあり……”
「えッ」
 無電を受けている無電員が、思わず「えッ」といってしまった。これはなにかの間違いではないか、と思った。しかし、たしかに第四斥候隊からは、そう無電がはいって来るのだ。
 無電員のびっくりした声に、幕僚と艇長とが「どうかしたのか……」というようにのぞきに来た。そして、無電員の肩越しに一生懸命に鉛筆をはしらせている受信器の上の文句を読んで、艇長と幕僚も又、おやっというように顔を見合わせてしまったのだった。
“……わが隊は、目下月世界を離れて飛びつつあり……”
 この不思議な報告にはまだあとが続いていた。


   斥候隊の報告

“わが隊は大なる皿の如き、彼らの乗物を確保しありたりところ、突然火星人の来襲せんとするを発見せるをもって、ただちにこの乗物の内部に入り、すべての出入口を厳重に閉ざしたり。これは外に出て火星人を撃退せんとせば、風間、木曾の二少年に若《も》しものことが起らずとは保証出来ざるためなり。幸い、両少年とも息をふきかえしたるも、未《いま》だに自由に活動出来ざる状態にあり……”
「うーむ、風間も木曾も、いい具合に息をふきかえしたらしいな」
 艇長は、にっこりして幕僚の方を一寸《ちょっと》見たが、すぐ又、電文の方に眼を移した。なかなか、長い報告だった。
“……しかるにこの乗物の出入口を全部閉ざすや否《いな》や、忽然《こつぜん》として空中に浮動するを発見せり。早速ガラス製と思われる窓より、離れゆく月面上を見るに、本乗物の飛行を知って火星人らは痛く驚愕狼狽《きょうがくろうばい》の模様なり、考うるに、本乗物を失っては彼らは既に火星に帰ることが不可能となったためと思わる。これによって見るに、本乗物はわが隊を乗せて、一路火星に飛行するものの如し”
 そこでこの奇怪な目にあっている第四斥候隊からの報告が切れた。
 すると、すぐ続いて、今度は第五斥候隊からの無電がはいって来た。
「お、第五斥候隊からの報告だよ、うむ、うむ、無事だったと見えるな」
 艇長は、ひとりでつぶやいて、ひとりで頷《うなず》いた。そしてすぐ又、いそがしく鉛筆をはしらせている無電員の手もとを見つめていた。
“第五斥候隊報告。わが隊の携帯用無電機眼がけて拳をふりあげて来った怪物団は、その甲虫の如き頑丈なる身体つきにも拘《かか》わらず、力ははなはだ弱きことを発見せり。
彼らはわれわれの強力無双なるに驚愕せらるものの如し……”
「ふーむ――」
 辻中佐は、その報告を読んで、にやりとした。この第五斥候隊が、自分で自分たちのことを強力無双などと大変な力持ちのようにいっているのには、わけがあった。つまり、ここは月世界なのだから、地球に比べて重力は六分の一しかないのである。地球上で十キロのものしか持ち上げられない者も、この月世界に来れば、実に六十キロの大岩石を悠々と持ち上げてしまうことになるのだ。地球上の六倍の力もちになってしまうのである。だから、第五斥候隊となっている艇員たちは、誰も彼も、二百キロぐらいの大岩石を、平気で投げ飛ばすほどの力持ちばかりが揃《そろ》っていることになるわけである。
 それでは、襲撃して来た怪物の方でびっくりするのも無理ではない。
 勝ちほこった第五斥候隊からの報告は、まだ続く。
“……かくして怪物団の彼らも閉口したかに思わるる時、はるかに救援隊の二ヶ隊の近づきつつあるを知ったため、最早《もはや》戦闘にはかなわぬと見たるか一斉に退却を開始せり。思うに、風間、木曾の二艇夫の行方不明は、この怪物団の仕業かと疑われるをもって、わが隊は到着せる救援隊と共に、時を移さず目下これを追跡中なり”
「なあるほど」
 幕僚がうなずいて、辻艇長の方を見ると、
「火星人は、力はあまり強くないと見えますな」
「ふむ、火星は地球によく似とるが、重力は地球に比べて三分の一ほどだからな、火星人たちが月に来れば、だいぶ重力が減ったので急に力持ちになったように思っとったんじゃろうが、しかし地球人が月に来たことを思えば問題にならんよ」
 辻中佐がいった。そして、
「追跡しとるのはいいが、それから先どうなったかな?」
 そういった時、まるでそれが合図だったように、又も、第五斥候隊からの報告がはいって来た。
“第五斥候隊報告。わが隊は怪物団を追跡して(この怪物団が火星人であることを、到着せる救援隊より知らせられたり)アメ山を越えて、そのむかいのヒイラギ山附近まで進出せる時、突如そのヒ
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