大宇宙遠征隊
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)噴行艇《ふんこうてい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)艇長室|附《つき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)そのよ[#「よ」に傍点]がいけない。
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噴行艇《ふんこうてい》は征《ゆ》く
黒いインキをとかしたようなまっくらがりの宇宙を、今おびただしい噴行艇の群が、とんでいる。
「噴行艇だ!」
噴行艇といっても、なんのことか、わからない人もあるであろう。噴行艇は、ロケットとも呼ばれていた時代があった。飛行機は、空をとぶことができるが、空気のないところではとべない。しかし噴行艇は、空気のないところでも、よくとべるのだ。艇尾《ていび》へむけ、八本の噴管《ふんかん》から、或る瓦斯《ガス》を、はげしく噴《ふ》きだすと、そのいきおいで、艇は前方にすすむのである。艇尾には、舵《かじ》があって、これをうごかすと、とびゆく方向は、どうでもかわるのであった。大宇宙をとぶには、飛行機ではとてもだめであるが、この噴行艇なら、瓦斯のつづくかぎり、大宇宙をとぶことができる。
飛行機時代から、次にこの噴行艇時代にうつっていった。
それとともに、人間の目は、地球からはなれ、さらに遠い大宇宙へむけられたのであった。
今、おびただしい噴行艇の群も、大宇宙をとんでいく。
砲弾を大きくして、尾部に――噴管をつけ、そして大きな翼をうしろの方まで、ずっとのばすと、それはそっくり噴行艇の形になる。
銀白色のうつくしい姿の噴行艇だった。その胴に、ときどき前にいく僚艇《りょうてい》の噴射瓦斯が青白く反射する。また、ときおりは、空を一杯《いっぱい》に、ダイヤモンドをふりまいたような無数のかげが艇の胴のうえに、きらりと光をおとすこともあった。
ごうごうたる爆音をあげて、とびゆく噴行艇の群!
右まきの螺旋形《らせんけい》をつくって、行儀《ぎょうぎ》よくとんでいく噴行艇群だった。
群は、前後に、いくつかのかたまりになって、無数の雁《がん》の群がとんでいるのと、どこか似たところがあった。
噴行艇の胴に、黄いろい鋲《びょう》のようなものが並んでみえる。しかし、それは鋲ではない。丸窓なのである。
丸窓の類は、一つの噴行艇について、およそ百に近かった。その黄いろい丸窓から、人間の顔が一つずつのぞいたとしても、百人の人間が、艇内にいるわけだ。なんという大きな噴行艇であろうか。
しかし、噴行艇には、百人よりも、もっとたくさんの人間がのりこんでいた。
これから、わたくしがお話しようと思う噴行艇アシビキ号には、二百三十人の日本人がのっている。みんな日本人ばかりであった。
いや、日本人がのっているのは、このアシビキ号だけではない。今、この大宇宙を、大きな一かたまりになってとんでいる噴行艇の、どの艇にも、日本人がのっていた。いや、もっとはっきりいうと、全部で、百七十の噴行艇の乗組員は、ことごとく日本人でしめられていたのである。
この噴行艇群は、一体どこへ向けてとんでいるのであろうか。また何の目的で、このような大宇宙へとびだしたのであろうか。総員四万余名もの日本人が、なぜ一かたまりになって、とんでいるのであろうか。読者諸君はふしぎに思われるであろうが、全くのところ、今から五十年前の人間には、想像がつかないのも無理ではない。
では、作者は、噴行艇アシビキ号の中にのりくんでいる一人の少年風間三郎《かざまさぶろう》の身のまわりから描写の筆をおこすことにしよう。
十五年の行程《こうてい》
「おい、三郎。いつまで、ねているんだい。もういいかげんに、目をさましたらどうだい」
その声は、ひびの入った竹ぼらをふくと出てくる音に似ていた。そこで三郎は、ようやく釣床《つりどこ》の中で、眼をさましたのだった。すこぶるやかまし屋の艇夫長《ていふちょう》松下梅造《まつしたうめぞう》の声だと分ったから目をさまさないわけにいかなかった。ぐずぐずしていれば、足をもって、逆さまに釣り下げられ、裸にされてしまうおそれがあった。そんな眼にあっては、また大ぜいのものわらいである。
「はい。今おきますよ」
「おきますよ? そのよ[#「よ」に傍点]がいけない。はい、おきます――だけでいいんだ。よけいなよ[#「よ」に傍点]をつけるない」
(これはいけない!)
三郎は、あわてて釣床から下に落ちるようにして、おきたのだった。
はたして、前には、艇夫長松下梅造が、西郷《さいごう》さんの銅像のような胸をはって、釣床ごしに彼の顔をにらみつけていた。
「艇夫長、お早う。もう朝になったのですかい」
「知れたことだ。あと三十分で、お前の交替時間だぞ。時計は、七時半をさしていらあ」
艇夫長は、そういって、拳固《げんこ》のせなかで、赤い団子鼻《だんごばな》をごしごしとこすった。
ぷう、ぷう、ぷう。
知らない人がきいたら、このとき豚の仔《こ》がないたのかと思うだろう。しかしそのぷうぷうは豚の仔がないたのではなくて、艇夫長の鼻が鳴ったのであった。鼻をこすると、この奇妙な音がするのであった。
(これは、たいへん。艇夫長のごきげんが、きょうはたいへん悪いぞ!)
三郎は、あわてて、パンツの中へ足をつきこんだ。あまりあわてたので、パンツの片方へ、足を二本ともつきこんだので、彼は身体の中心をうしなって、どすんと床《ゆか》にたおれた。たおれる拍子《ひょうし》に、そこにあった気密塗料《きみつとりょう》の缶をけとばしてしまった。缶は、横とびにとんで、艇夫長の向《む》こう脛《ずね》に、ごつんといやな音をたてて、ぶつかった。
「こらっ、なにをする」
艇夫長は、顔をたちまち仁王《におう》さまのように、真ッ赤にして、缶をけりかえそうとした。が、とたんに足をとどめて、床から缶をひろいあげた。
「ああ、もったいないことをやるところだった。この一缶が、おれたちの生命《いのち》をすくうこともあるかもしれないのだからなあ。やい、三郎、気をつけろい。ここは、地球の上じゃない。まるで何もない大宇宙の砂漠なんだから……」
艇夫長は、缶をそっと床の上において、しずかに、元《もと》の隅《すみ》へおしやった。大宇宙の長旅にある噴行艇の中では、一滴の塗料、一条の糸も、人命にかかわりのある貴重な物質であった。
「おい、三郎。早く飯を食って、交替時間におくれるな。いいかい、小僧」
「へーい」
艇夫長は、ようやく腹の虫を自分でおさえて、艇夫寝室を出ていった。
三郎は、ほっとため息をつきながら、すばやく身じたくをし、それから釣床の中を片づけて交替の艇夫がすぐ様《さま》ねられるように用意をした。そして急ぎ足で、小食堂の方へ階段をのぼっていったのだった。
小食堂には、先におきた艇夫たちと、それから非番の艇夫たちが、卓をかこんで、さかんにぱくついたり、茶をがぶがぶのんだり、それから煙草《たばこ》をぷかぷかふかしたり、まるで場末の小食堂とかわらない風景だった。
三郎が入っていくと、艇夫たちは、にんまりと眼で笑って、そのまま話をつづけるのだった。三郎は、並べられた朝食に手を出しながら、彼らのいうことを、聞くとはなしに耳をかたむけた。
「……というわけなんだが、なんかいい名前を考えてくれよ」
「そうさなあ。そんなことはわけなしだい。チュウイチてえのはどうだ」
「チュウイチ? どんな字を書くのかね」
「宇宙の宙と、一二三の一よ。つまり宙一というわけだ。お前は、はじめて噴行艇にのって宇宙へのりだしたんだろう。だから、その留守《るす》に生れた子供に宙一とつけるのは、いいじゃないか」
「なるほど、宙一か。よい、いい名前だ。昨夜からおちつかなかったが、これでやっと、気がおちついたぞ」
と、その艇夫は立ち上る。
「お前、どこへいくんだい」
「知れたことよ。これから無電室へいって、今すぐ家内《かない》のやつを、無電で呼びだしてもらって宙一という名をおしえてやるのさ。説明してやらなくちゃ、うちの家内は、あたまが悪いと来ているから、通じないよ」
「まあ、なんとでもするがいい。ついでに、うちの家内にことづけをして、お前の家内のところへ、子供の誕生の祝物をとどけるようにいってくれ」
「ばかなことをいうな。こっちから、さいそくをする――それではおかしいよ」
「遠慮するようながらでもあるまいに、あははは」
「あははは。とにかくいって来よう」
艇夫の一人は出ていった。
あとで仲間の艇夫たちは、顔を見合わせ、
「ああはいったが、すこしは里心《さとごころ》がついているのじゃないかな。つまり、この噴行艇がこんど地球に戻るのは十五年後だから、昨夜生れたあの男の子供が、十五六歳にならなきゃ、わが児《こ》の手が握《にぎ》れないんだからなあ」
「うむ、まあ、そうだ。だが、そんな話はよそうや。こっちまでが、里心がつくからな」
十五年後だと、艇夫たちが話をしているところをみると、この噴行艇は、これからずいぶん長い行程をとびつづけるものらしい。
ふしぎな味噌汁《みそしる》
「どうだ、三郎。噴行艇に乗って、一ヶ月たったが、すこしは、気がおちついたか」
一人の艇夫が、煙草をくわえて、三郎の横に、腰をおろした。それは、三郎と同郷の、神戸《こうべ》生れの艇夫で、鳥原彦吉《とりはらひこきち》という男であった。彼は、やさしい男で、そして艇夫には似あわぬものしりだった。三郎は、彼を、ほんとうの兄のように思っていた。
「ええ、だいぶん、なれましたよ」
三郎は、缶詰の中から、青豆を箸《はし》ではさみながら、にっこり笑った。
「おれはこれで三度日の宇宙旅行なんだが、お前は始めてだから、勝手がわからないで困るだろう」
「困ることも、ありますねえ。第一、朝になった、昼になったといわれても、外はこのとおりまっくらですからねえ。勝手がちがいますよ」
「そうだろう。永年、太陽の光の下でくらしていた身になれば、まっくらな夜ばかりの連続では、くさくさするのも、むりじゃない」
「太陽の光線は、今となっては、とてもなつかしいものですね」
三郎は、しみじみといった。地上に照る太陽の眩《まぶ》しい光を思い出す。地上から、まいあがっても、成層圏《せいそうけん》ちかくのところまでは、それでもまだうっすらと夕方のような太陽のかすかな光があったが、成層圏の中をつきすすんでいくうちに、いつしかあたりは、暗黒と化《か》してしまった。しかも、はるかに天の一角を見ると、ダイヤモンドをふりまいたように、きらきらと輝くうつくしい無数の星に変って、われらの太陽が、青白く光っているのであった。太陽は光っているが、空はまっくらであった。まるで夜中に満月を仰《あお》いでいるのと、あまり感じがちがわなかった。今から思いかえしてみると、どうもあのころから、地球の上にいたときとは、いろいろちがった出来ごとがふえてきたようであった。
あれから間もなく、身体がなんだか軽くなったように感じた。机のうえから、物がおちるのを見ていると、なんだか、高速撮影でとった映画のように、ゆっくりとおちるような気がした。そのことを、この鳥原彦吉に話をすると、
(ああ、それは重力が、ぐんと減ったからだよ。つまり地球からずいぶんとおくへ離れたものだから、地球の引力がよわくなったんだ。物もゆっくりおちるだろうし、身体も軽く感ずるだろう。これからもっと先へいくと、重力が減りすぎて、妙ちきりんなことが起るだろうよ。気をつけていたまえ)
と、この鳥原がおしえてくれたことがあった。
三郎は、それを思い出したものだから、
「ねえ、鳥原さん。あれからのち、あまり重力が減ったような気がしないが、どうしたんでしょう」
ときいた。
すると、鳥原は、吸口まで火になった煙草を、灰皿の中でもみけしながら、
「ああ、重力のことか。重力は大いに減ってしまったさ。しかし、重力が減りすぎると、われわれの仕事や何かに、すっかり勝手がちがってくるので困
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