鳥原は、そばへよってきて、
「どうもえらいことが起ったよ。本艇は、故障を起してしまったよ。そして、編隊からひとり放れて、もうずいぶん後にとりのこされてしまったよ」
と、鳥原青年は、いつになく、おちつきをうしなっている。
「故障? 本艇のどこが故障したの」
「本艇の後方に、瓦斯《ガス》の噴気孔《ふんきこう》があるだろう。つまりわが噴行艇を前進させるために、はげしいいきおいでこの噴気孔から後方へ向け瓦斯を放出しているわけだが、その噴気孔が、どうかしてしまったらしいのだ。さっぱり速度が出ないうえに、妙な震動が起ってとまらないのだ。ほら、あのとおり気味のわるい震動がしているだろう」
「あ、なるほどねえ」
鳥原のいったとおりだ。ぶるぶるん、ぶるぶるんと気持のわるい震動音がきこえる。
「鳥原さん、一体どうして、そんな故障が起ったんだろうねえ」
「それは、宇宙塵が襲来したからさ」
「宇宙塵? やっぱりねえ」
三郎は、またわけのわからない宇宙塵の話にぶつかってしまった。
修理困難
「鳥原さん、宇宙塵て、一体、どんなもなの[#「どんなもなの」はママ]。さっきから、宇宙塵だ宇宙塵だという話ばかりで、ぼくは面くらっているんだよ」
「なんだ、三《さ》ぶちゃんは、あの宇宙塵を知らないのか」
と、鳥原青年は、鼻のあたまを手でこすった。
「宇宙塵というのは、わかりやすくいうと、星のかけらのことさ」
「星のかけら? じゃあ、隕石《いんせき》のこと」
「そうそう、隕石も、宇宙塵のお仲間だよ。隕石は、地球へおちてくる宇宙塵のことだけれど、この大宇宙には、地球へおちてこない星のかけらがずいぶん宇宙をとんでいるんだ。時には、それがまるで急行列車のように、或いは集中砲火のように、砂漠の嵐のようにとんでくるんだ。いや、それは、とてもわれわれ人間の言葉ではいいつくせないほど、ものすごいものなんだ。ちょうど本艇は、運わるく、その宇宙塵にぶつかったんだ。いや、宇宙塵が、斜めうしろからものすごいいきおいで追いかけてきたんだ。そして、あっという間に、がんがんがんと、うしろから本艇を叩きつけて通りすぎてしまったのだが、そのときに、宇宙塵が本艇の噴気孔を叩き壊していったらしいという話だ」
「へえ、宇宙塵というやつは、ものすごいねえ」
「そうさ。空の匪賊《ひぞく》みたいなものだ」
「空の匪賊だって、鳥原さんはうまいことをいうねえ」
「はははは。さあ、私もむこうへいって、手つだってこよう」
鳥原青年は、向こうへいこうとする。
「あ、鳥原さん。待ってくださいよ」
「なんだ、三ぶちゃん。君は、本艇が故障を起したので、ふるえているのかね。元気を出さなくちゃ……」
「ふるえているわけじゃないよ。ただ、一刻も早く、ほんとうのことを知りたいのだよ。――で、本艇は、これから、どうなるのかね。どんどんと、宇宙の涯《はて》へおちていくのかしらねえ」
「さあ、それは何ともいえない。今、本艇の総員が力をあわせて、故障の個所発見と、それを一刻も早く直す方法を研究中なんだ。もうすこしたたないと、はっきりしたことは、だれにも分らないのだ。さあ、私もここでぐずぐずしてはいられない」
そういって、鳥原青年は、足を早めて、廊下を向こうへかけだしていった。
三郎は、しばらく廊下ごしに、艇内のあわただしい有様を見ていたが、みんなが、しんけんな顔でとびまわっているのが分るだけで、本艇の運命が、いい方へすすんでいるのか、それともわるい方へかたむいているのか、さっぱりわからなかった。それで、仕方なく彼は廊下見物をあきらめて、また元のように艇長室へ戻ったのだった。
(こんなさわぎにぶつかるんだったら、本艇にのりこむ前に、もっと宇宙のことを勉強してくるんだったのになあ)
三郎は、今さらどうにもならぬ後悔をした。
「そうだ。早く艇長さんが帰ってこられるといいんだ。そうそう、こんどこそ艇長さんの口にコーヒーが入るように、用意しておこうや」
三郎は、三度目のコーヒー沸しを始めた。コーヒーは沸いた。
しかし、艇長辻中佐は、部屋へかえってこなかった。
「ああ、惜《お》しいねえ。今、艇長さんがもどってこられると、コーヒーのおいしいところがのめるのだけれど……」
艇長のもどってくる様子はなかった。
三郎は、なんとかして、こんどこそは艇長にコーヒーをのませてあげたくて仕方がなかった。なにかいい方法はないであろうか。
三郎は、しばらく小さい胸をいためて、考えていたが、やがて思いついたのは、今沸かしたコーヒーを、魔法瓶の中に入れて、司令室にいる艇長のところへ持っていくことだった。
「ああ、それがいいや」
三郎は、元気づいた。早速《さっそく》魔法瓶にコーヒーをつめて司令室へ持っていった。
ふくざつないろいろな器械にとりまかれた司令室で汗まみれになって、次々に号令を下していた艇長辻中佐は、三郎の持って来た思いがけない好物の飲物をうけとって、たいへんよろこんだ。
「ああ、艇夫。お前はなかなか気がきく少年だ。ありがとう。これで元気百倍だ」
艇長は、湯気のたつコーヒーをコップにうつして、うまそうに、ごくりとのどにおくった。そこで三郎はたずねた。
「艇長。本艇の故障は直りそうですか」
「うん、極力やっているが、飛びながら直すのはちと無理らしい。この調子では、本艇を陸地につけて直すことになるらしい」
「本艇を陸地へつけるというと、またもう一度地球へ戻るのですか」
「いや、地球までは遠すぎて、とても引返せない。着陸するのなら、月の上だよ」
「へえ、月の上に着陸するのですか」
月世界へ
月の上に着陸するのだという。
それをきいて、風間三郎少年のおどろきは大きかった。月といえば、いつも地球のうえでうつくしくながめていたあの月だ。三日月になったり、満月になったりする月。雲間にかくれる月、兎が餅《もち》をついているような汚点《おてん》のある月、いや、それよりも、いつか学校の望遠鏡でのぞいてみた月の表面の、あのおそろしいほどあれはてた穴だらけの土地! その月の上に着陸するときいては、三郎少年の胸は、あやしくおどるのだった。
「艇長。月の上へ着陸できるんですか」
三郎は、辻中佐に、たずねないではいられなかった。
「それは出来る。なかなかむつかしいが、出来ることは出来る。わしは一度だけだが、月の上へ降りたことがある」
さすがに艇長だけあって、辻中佐は、月の上に降りたことがあるという。三郎は、それをきいて、まず安心したが、しかしどうして月の上に降りられるのか、またどうして月の上で、人間がいきをしていられるのか、ふしぎでならなかった。
「艇長。月の上には空気がありませんね。すると人間は、呼吸《いき》ができないではありませんか」
「それはわけのない話だ。酸素吸入をやればよろしい。われわれも現に噴行艇の中で、こうして酸素吸入をしながら安全に宇宙をとんでいるではないか。だから、月の上に降りれば、一人一人が酸素吸入をやればいいのだよ」
「なるほど、そうですか。じやあ、一人一人が、酸素のタンクを背負うのですね」
「まあ、そうだよ」
三郎少年は、やっとわかったような気がした。月の上へ降りて、背中に酸素のタンクを背負っている姿を考えると、ちょっとおかしい。
「おい、艇夫。もう外に、心配なことはないかねえ」
艇長は、からになったコーヒー茶碗を、三郎にかえしながら、たずねた。
「いきをすることが、うまく出来るなら、もう心配はありません」
三郎は、そう思っていたので、そのとおり返事をした。すると艇長はにやにや笑いだした。
「艇夫、お前は、月の世界へいってから、ずいぶん意外な思いをするにちがいない。今からたのしみにしておきなさい」
「なぜですか、艇長。意外なことというと、どんなことですか」
「まあ、今はいわないで置こう。とにかく、お前たちが月の上に安全に降りられるようにと、ちゃんとりっぱな宇宙服が用意してあるから、安心をしていい。それを着て、月の上を歩いてみるのだねえ。きっと目をまるくするにちがいない。まあ、後のおたのしみだ」
「そうですか。早くその宇宙服を着てみたいですね」
「そのうちに、宇宙服の着方を、だれかがおしえてくれるだろう」
艇長と三郎とが、そんな話をしているうちに、またまた艇長のところへ、報告がどんどんあつまってきた。機関部からも、機体部からも、航空部からも、どんどん報告がやってきて、艇長は、また前のような忙しさの中に入ってしまった。
「ふむ、ふむ。やっぱり無理か。よろしい、では、本艇を月に着陸させることにしよう」
機関部の報告によれば、このままでは、どうにもならぬということなので、艇長はついに決心をした。
「命令。本艇の針路《しんろ》を月に向けろ」
航空士は、直ちに舵《かじ》をひいて、噴行艇の針路をかえた。
艇長は、また叫んだ。
「命令。月に着陸の用意をせよ。――それから、本隊司令に対し、連絡をせよ」
いよいよ艇内は、総員の活動で、にわかにさわがしくなった。
宇宙服
「おーい。三郎君。早くこっちへ来い」
入口から、三郎を呼ぶ者があった。
三郎がその方へふりかえると、入口に鳥原青年の顔があった。
「鳥原さん。何の用で?」
「いよいよ月の世界へ下りることになったので、皆、むこうで宇宙服の着方をおそわっているのだ。君も早く来い」
「あ、宇宙服ですか、もう始まったんですね。じや、艇長にちょっとお許しを得ていくことにしましょう」
三郎は、艇長に申出て、許可をうけ、鳥原青年とともに、艇夫室へ急いだ。
艇夫室には、艇夫たちが大ぜいあつまっていた。卓子《テーブル》のうえには、高級艇員が立って皆を見下ろしている。
「もう、大たいあつまったようだな。では、宇宙服の着方をおしえる。まず、実物を見せるがこれが宇宙服だ」
下から、大きな深海潜水服みたいなものが、さし上げられた。説明役の高級艇員は、それを卓子のうえに抱《かか》え上げた。宇宙服は、架台《かだい》にかかっていた。自分の横に、その宇宙服をおいて、説明がはじまった。
「これが宇宙服だ。ちょっと見ると、潜水服のようでもあるが、また西洋の鎧《よろい》のようにも見える。これは全部軽合金で出来ていて、圧力に充分たえるようになっている。手足の間接のところや腰のところが、まるで蜂の腹のようになっているが、これは手足の関節や腰を曲げるのに都合がいいように作ってあるのだ」
銀びかりのする宇宙服は、見れば見るほど、ものすごいものだった。あんな大きなものを着て歩けるかと心配をするほどだった。
「……この下に、やはり軽合金と特殊ゴムとで出来た長靴をはき、宇宙服にぴっしゃり取付ける。これがその靴だ」
靴は、みかん箱のように四角ばって、そして大きい。
「また、頭にはこの大きな兜《かぶと》をかぶる、ちょっと見ると、潜水兜に似ているが、大きさはもっと大きくて上下に長い円筒形だ。兜の額のところから、こうして二本の鞭のようなものが生《は》えていて、釣竿《つりざお》のように、だらんと下っているが、昆虫の触角《しょっかく》と似ていて、月の世界で、われわれ同志が話をするのには、なくてはならない仕掛けだ」
妙な説明が始まった。三郎には、何のことだか、よくのみこめなかった。
「……みんな、この二本の触角をみて、ふしぎそうな顔をしているようだが、これがなかなか大切な物だぞ。つまり、月の世界には空気がないのだ。だから音というものがない。そうだろう。音は、空気の波である。空気がなければ、空気の波も起らない。だから、音がないのだ。すると、月の世界の上で、どんなにわめいても呼んでも、声はつたわらない。だから、話をするのに、音にかわる何物かを使わなければならない。そこでこの触角が役立つのであります」
なるほど、月の世界には、空気がないから、したがって、音が出ないし、もちろん音がつたわるわけもない。これは困ることであろう。三郎にも、それは分った。
「……で、この触角のはたらきであるが、
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