箸《はし》ではさみながら、にっこり笑った。
「おれはこれで三度日の宇宙旅行なんだが、お前は始めてだから、勝手がわからないで困るだろう」
「困ることも、ありますねえ。第一、朝になった、昼になったといわれても、外はこのとおりまっくらですからねえ。勝手がちがいますよ」
「そうだろう。永年、太陽の光の下でくらしていた身になれば、まっくらな夜ばかりの連続では、くさくさするのも、むりじゃない」
「太陽の光線は、今となっては、とてもなつかしいものですね」
 三郎は、しみじみといった。地上に照る太陽の眩《まぶ》しい光を思い出す。地上から、まいあがっても、成層圏《せいそうけん》ちかくのところまでは、それでもまだうっすらと夕方のような太陽のかすかな光があったが、成層圏の中をつきすすんでいくうちに、いつしかあたりは、暗黒と化《か》してしまった。しかも、はるかに天の一角を見ると、ダイヤモンドをふりまいたように、きらきらと輝くうつくしい無数の星に変って、われらの太陽が、青白く光っているのであった。太陽は光っているが、空はまっくらであった。まるで夜中に満月を仰《あお》いでいるのと、あまり感じがちがわなかった。今から思いかえしてみると、どうもあのころから、地球の上にいたときとは、いろいろちがった出来ごとがふえてきたようであった。
 あれから間もなく、身体がなんだか軽くなったように感じた。机のうえから、物がおちるのを見ていると、なんだか、高速撮影でとった映画のように、ゆっくりとおちるような気がした。そのことを、この鳥原彦吉に話をすると、
(ああ、それは重力が、ぐんと減ったからだよ。つまり地球からずいぶんとおくへ離れたものだから、地球の引力がよわくなったんだ。物もゆっくりおちるだろうし、身体も軽く感ずるだろう。これからもっと先へいくと、重力が減りすぎて、妙ちきりんなことが起るだろうよ。気をつけていたまえ)
 と、この鳥原がおしえてくれたことがあった。
 三郎は、それを思い出したものだから、
「ねえ、鳥原さん。あれからのち、あまり重力が減ったような気がしないが、どうしたんでしょう」
 ときいた。
 すると、鳥原は、吸口まで火になった煙草を、灰皿の中でもみけしながら、
「ああ、重力のことか。重力は大いに減ってしまったさ。しかし、重力が減りすぎると、われわれの仕事や何かに、すっかり勝手がちがってくるので困るのさ。だから、今は、機械をうごかして、この艇内には、人口重力が加えてあるのさ」
「人口重力て、なんですか」
「人口重力というのは、人間の手でこしらえたにせの重力のことさ。そうでもしないと、たとえばこの食卓のうえに味噌汁のはいった椀《わん》がおいてあったとして、お椀をこういう工合《ぐあい》に、手にとって口のところへ持ってくるんだ。すると、お椀ばかりが口のところへ来て、味噌汁の方は、食卓のうえに、そのまま残っているようなことがおこるんだ」
「えっ、なんですって」
 三郎には、鳥原のいうことが、すぐにはのみこめなかった。なにしろ、あまり意外なことだったので、
「あまりへんな話だから、分らないのも無理はないよ。その話は、この前、僕が宇宙旅行をしたときに、実際あったことなのさ。そのとき僕はずいぶん面《めん》くらったよ。なにしろ、口のそばへもってきたお椀は空《から》なのさ。そして味噌汁が、食卓のうえに、まるで雲のようにかかっているのさ」
「雲のようにかかっているとは、どんなことかなあ」
「雲のようにというのが、分らないのかね。つまり、よく富士山に雲がかかっているだろう。あれと同じことで、味噌汁が、下へこぼれ落ちもせず、まるでやわらかい餅《もち》が宙にかかっているような恰好《かっこう》で、卓上《テーブル》の上をふわふわうごいているんだ。僕はおどろいたよ。そして、仕方がないから、両手をだして、宙に浮いている味噌汁をつかんでは、椀の中におしこみ、つかんではおしこんだものさ。あははは」
 鳥原は、そのときのことを思いだしてか、おかしそうに肩をゆすぶった。
「ずいぶん、おもしろい話ですね」
「おもしろいのは、話として聞くからだ。ほんとうに、こんな目にあってごらん。それこそ、あまりふしぎで、気もちがわるくて仕方がないよ」
 そういっているとき、小食堂の天井《てんじょう》にとりつけてあるブザー(じいじいと蜂《はち》のなくような音――を出す一種の呼鈴《よびりん》)が鳴りだした。
「あっ、いけない。もう交替時間だ」
 風間三郎は、ひょこんと椅子からとびあがった。


   交替時刻


「第六直艇夫、作業やめ。第一直艇夫、持ち場につけ!」
 高声器から、先任の当直操縦士の声が、ひびきわたる。
「そら、交替だ」
 だっだっだっと、靴音が廊下に入りみだれる。
 風間三郎少年は、ほのあかるい廊下を、
前へ 次へ
全29ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング