どうです。思いのほか、らくでしょう」
 と、説明者がいった。
「どうもへんですね。だって、この兜をかぶると、音は聞えないはずだが、ちゃんと、おたがいの話が聞えますよ」
 三郎は、それがふしぎでならなかった。
「それはなんでもないことです。いま、この部屋には空気があるから、あたりまえに、声が空気を伝わって聞えるのです。しかし、触角をふれあってごらんなさい。皆さんが口をきけば、触角は空気中でも同じく震動をしますから、触角をふれあっても、話は聞えるはずです。練習かたがた、ちょっと皆さん同志で、やってみてください」
 説明者がそういうので、三郎たちは、なるほどと思って、おかしいのをこらえながら、蟻のまねをして、だれかれの触角にふれてみた。
「なるほど、こいつは妙だ」
「なるほど、ちゃんとあなたの声がきこえますよ。ふしぎだなあ」
「あははは。これは奇妙だ。僕はわざと小さい声で話をしているのですよ」
 あっちでもこっちでも、この触角をつかって話をする練習が、みんなをおどろかせ、そしてよろこばせた。
 こうして艇夫たちは、宇宙服を着こなすことが出来たのだった。
「さあ、それではみなさん。それぞれの職場へ戻ってください」
「はいはい。宇宙服をぬぐのですねえ」
「いや、宇宙服を着たまま、それぞれの職場へもどってください。もうすぐ、月へ上陸することになるから、今から宇宙服に身をかためていてください」
「たばこがのめないから、つらいなあ」
「たばこはのめないですよ。しかしがまんをしてください。月の世界への上陸が失敗したり、それからまた、噴行艇の故障がうまく直らなかった日には、それこそわれわれ一同は、そろって死んでしまうわけだから、それくらいのことは、がまんをしてください」
「わかりました。たばこぐらい、がまんをします」
 異様な姿をした艇夫たちは、ぞろぞろと、それぞれの持ち場へひきあげていった。
 三郎も、艇長のところへもどった。
 司令塔に入ってみると、艇長や、その他の高級艇員たちも、いつの間に着たのか、すっかり宇宙服に身をかためて、持ち場についていた。艇長の宇宙服には「艇長」と書いた札が胸と背中にはりつけてあった。
「いつの間にか、艇長も宇宙服を着られたのですね」
「おお、お前は艇夫の風間三郎だな。どうだ、なかなか着心地がいいだろう」
「そうですねえ。思いのほか、重くはないんだけれど、なんだか動くのが大儀《たいぎ》ですね。どうもはたらきにくい」
「それはそうだ。月の上へ降りれば、もっとらくになるよ」
 艇長は、三郎の宇宙服を念入りにしらべてくれた。締め金具の一つがゆるんでいたのを見つけて、艇長はしっかりと締めてくれた。
「艇長。上陸地点の計算が出来ました」
 航空士が、図板をもって、艇長のところへやってきた。そしていつもの調子で、顔を艇長のそばへ近づけたものだから、航空士の兜と艇長の兜とが、ごつんと衝突した。
「ああ、どうも失礼を……」
「気をつけないといかんねえ」
 と、艇長は、やさしくたしなめて、航空士の手から図板をとりあげた。
「なるほど。すると『笑いの海』へ着陸すればいいんだな。ここへ着陸すると、六日と十二時間は昼がつづくんだな」
 艇長は、妙なことをいった。六日半も昼がつづくなんて、そんなことがあるだろうか。
「さようです。この計算には、まちがいありません」
「よろしい。では、今から『笑いの海』を目標に、着陸の用意をするように」
「はい、かしこまりました。あと三時間ぐらいで、月の表面に下りられる予定です」
「うむ、充分気をつけて……」
「かしこまりました」
 いよいよ噴行艇は、月世界へ向けて、着陸の姿勢をととのえたのであった。


   近づく月面


 艇長辻中佐は、司令塔より、号令をかけるのにいそがしい。風間三郎少年は、そのそばについていて、ただもう、胸がわくわくするばかりだった。
 ああ月! 月の上に上陸するなんて、全くおもいがけないことだ!
「重力装置を徐々に戻せ」
 艇長の号令がとびだした。
「重力装置を徐々に戻せ」
 信号員が、伝声管の中へ、こえをふきこむ。するとそのこえは、機関部へ伝わって、重力装置が元へ戻されていくのであった。
 重力装置を戻すと、どんなことになるであろうか。
「おや、なんだか、身体が急に軽くなった」
 風間三郎は、おどろいて口に出していった。身体がふわりと浮き上るような気持になった。それもその筈であった。今までは、地球の上にいるのと同じくらいの重力が、乗組員たちの身体に加えられていたのだ。ところが今、それがしずかに減らされていったのである。重力が減るから、身体が軽くなる道理であった。
「おやおや、これはふしぎだ。重い宇宙服をきているのに、らくに歩けるようになったよ。金属製の宇宙服をきているとは思われな
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