から出た命令は、なんという大胆《だいたん》な、そして思いもかけぬ作戦計画でしょう。ところもあろうに、×船の腹の下に潜れというのです。成程、この大汽船の腹は広々として、○号潜水艦の五つや六つは、わけなく隠れることが出来ます。
 乗組員は勇躍して、艦体を操りました。
 これに気づいた×の汽船は大あわてです、備えつけの砲に弾をこめているうちに、潜水艦はもう、砲撃ができないほど、船底間近にとびこんで来たのです。
 ×の攻撃機は、潜水艦からの砲撃をさけるためにすこし離れて飛んでいたので、あっと気のついたときには、もう潜水艦は、グルリと半廻転して、味方の船底にぴったりと附いてしまったあとでした。
「こりゃ、弱ったな」
 さすがの大汽船も、爆弾を懐中にしまっているようで、気味の悪さったらありません。爆雷を水中へ投げてもよいのですが、下手《へた》をやると、爆発した拍子に、日本の潜水艦の胴中に穴をあけるばかりか、自分の船底にも大孔をあけてしまわないとはいえないのです。そんな危険なことがどうして出来ましょう。
「こいつは困った」
 攻撃の姿勢をとって、空中高く舞い上った×の飛行機も、同じような嘆声をあげました。折角《せっかく》爆弾をおとしてやろうと思ったことも今は無意味です。敵軍の指揮者たちは、無念の泪《なみだ》をポロポロとおとして、口惜《くや》しがりました。
 そこへもってきて、折悪しく暮方になりました。いままで明るかった海面が、ずんずん暗くなってゆきます。西の空には、鼠色の厚い雲が、鉄筋コンクリートの壁のようにたてこめているので、大変早く夕闇が翼を伸ばしはじめました。夕日のなごりが空の一部を染め、波頭を赤々と照らしたと見る間もなく、忽《たちま》ち光は褪《あ》せて、黒々とした闇が海と空とを包んでゆきました。
 にわかに訪れる夜!
 それこそ気の毒にも、睨み合った相手の位置を、ひっくりかえすのでした。
「救いの駆逐艦《くちくかん》を呼べ!」
「その辺に××××の潜水艦はいないか」
「飛行機が下りて来たぞ、ガソリンがなくなったらしい」
 そんなざわめきが、×の汽船の上に起りました。さっきまで笑顔でいた船員たちは、それもこれもいい合わせたように、唇の色をなくしていました。
「船長。どうも変です」
 一人の通信手が、あたふたと船橋に上ってきました。
「どうしたのだ」
 あから顔の太った船長が、思わず心臓をドキリとさせて、通信手の顔を見つめました。
「日本の潜水艦がいないのです。さっきから、水中を伝わって来ていた敵艦のスクリューの音が、パタリとしなくなりました」
「なに、推進機の音がしなくなった? それはいつのことだ」
「もう十分ほど前です」
「なぜもっと早く知らせないんだ」
「敵艦は、もう逃げてしまったのでしょう」
「ばか! な、な、なんてことだ……」
 船長の顔は、ひきつけたときのように歪みました。
 丁度そのときでした。
 百|雷《らい》が崩れ落ちたような大爆発が、この大汽船の横腹をぶッ裂きました。船底から脱け出した第八潜水艦の魚雷が命中したのです。
 ガラガラガラ――
 積荷もボートも船員も一緒に空中へ舞いあがりました。つづいて巻上る黒煙――船は火災を起して早くも沈みかけています。
 大胆不敵の戦術によって、地獄の中から生を拾いあげた第八潜水艦は、はるか離れた海上で×船の最期を見送ると、もう前進を始めました。
 艦長の元気な号令が聞えます。
「僚艦の後を追って水面前進! 進路は北東北、速力二十ノット」


   目ざす×の大商戦隊
   わが頭の上にあり!


 鼻をつままれても判らぬような暗夜を、前進また前進です。海面は波立っているらしく、艦体がしきりにもまれます。
 第八潜水艦の艦長清川大尉は、司令塔の上に儼然と立ちつづけています。
「通信兵!」と艦長は呼びました。
「はッ」
「まだ旗艦からの無線電信は入らぬかッ」
「まだであります」
「そうか」
 人声も消えて、また元の、おっかぶさるような闇です。
 司令塔の下からは、あえぐようにエンジンの音が聞えてきます。機関兵たちは休息もとらず、ひたすらエンジンを守っています。
「通信兵!」
 とまた艦長が叫びました。
「はッ、ここにおります」
「まだ旗艦からの信号はないかッ」
「残念ながら、まだであります」
「そうか」
 艦長はまた口を閉じました。軽い溜息をついて、二三歩狭い司令塔の中に歩《ほ》を移しました。
「艦長どの、報告」
 通信兵の側に立っていた伝令兵が、突然叫びました。
「おお、そうか」
「旗艦からの報告です」
 白い電信紙が、懐中電灯を持った艦長の手に渡りました。
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「本艦ハ唯今、×国ノ商船隊ト覚シキモノヨリ発シタル無線電信ヲ受信シタリ。ヨリテ方向ヲ探知スルニ東南東ナ
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