のではないでしょうか。もう一度、本社へたずねてみては、いかがでしょう」
「そうだね。いや、もっともだ」
 艇長はうなずいた。彼は通信長を電話によび出し、
「おい、すぐ本社へ無電連絡をたのむ。なに、天候状態がわるくなったって、それは困ったね。だが大事なことだから、なんとかして、至急本社と連絡をとってくれ」
 艇長は、電話機をかけた。
「天候が悪くなったそうだよ」
「そうですか」
 と事務長は、丸窓から外をのぞいてみて、
「ああ、あそこへ変な雲がでてきました。不連続線のせいですよ。一荒れ来るかもしれません」
 艇長も外に目をやった。なるほど、南の方から、まっ黒な雲がむくむくとのぼってくる。
「海の上の気象は、これだから困る。操縦室へ、注意をしてやれ、それから事務長、マニラへ無電をうって、すぐさま近海気象をたずねてくれたまえ」
「はあ、ではすぐ連絡方を、通信室へいって頼んできましょう」
 事務長は、腰をあげて、艇長室を出ていった。急に時化《しけ》模様となったので、他の艇員たちも、それぞれ自分の持場へ帰っていって、艇長室には、ダン艇長一人となった。
 彼は心配そうに、窓の外をながめている。
「こいつはなかなか手ごわい雲行だぞ。すぐに針路を変えなきや、危険だ」
 艇長は、操縦室と書いたボタンを押して、電話機をとりあげた。
「おお、操縦長か。あの雲を見たろう。針路をすぐに北へ四十度曲げてくれ」
「北へ四十度。するとマニラへはだんだん遠くなりますが――」
 操縦長の声であった。
「仕方がない。このままマニラへ近づくことは、あの黒雲の中の地獄へ近づくことだ」
「はい。ではすぐ」
「そうだ、そうしてくれ。そして当分全速力でぶっ飛ばすんだ、嵐より一足先にこっちが逃げちまわないと、たいへんなことになる」
 どこまでも不運なサウス・クリパー機であった。兇悪な共産党員に乗りこまれている上、いままた悪天候に追いかけられることとなった。艇長は、乗員の安全をはかるため、いままで目的地のマニラへ向けていた針路を、ぐっと北へ変えた。
 すると、マニラに到着するのは、何時になることやら。
「小父さん。外はひどい嵐になったよ」
 太刀川時夫は、だしぬけに中国語でよびかけられて、はっと目を覚ました。彼は睡《ねむ》ってはならないと思いつつ、いつの間にか、うとうととしたのだった。
 声のする方にふりむくと、すぐ鼻さきに、中国少年の汚れた顔があった。
「ああお前か。あははは、すっかり気がおちついたようだね」
「小父さん。今しがたこの飛行艇は左の方へ向《むき》をかえたよ」
「はははは、そうか。ところで僕をつかまえて、小父さんはすこし可哀そうだが、お前はなんという名かね」
「おれの名かい」
「そうだ」
「石福海《せきふくかい》というのだ。こういう字を書くんだよ」
 少年は、掌のうえに、指さきで文字をかいてみせた。
「なるほど石福海か。福海にしては、ちとみすぼらしい福海だね」
 その時であった。少年は太刀川の脇腹をぐっと突いた。
「小父さん。悪い男が、部屋を出てゆくよ」
「えっ」
 彼は、顔をあげて、室の出入口を眺めた。出入口の扉を押して、ケント老夫人が出てゆくところだった。酔っぱらいのリキーを座席にのこしたまま!……


   電送写真


(変なことをいう少年だ)
 太刀川は、ふしぎに思った。
「お前は、何をいうんだ。今出ていったのは、お婆さんじゃないか。お前は目が見えないわけじゃなかろう」
「そうなんだよ、小父さん」
「何だって」
「おれは目がわるくて、目の前ほんの一、二|米《メートル》ぐらいしかはっきり見えないんだよ」
「ほほう。そうか。そんなに悪い目をしていて、出入口を通る人をあてるなんて、おかしいじゃないか。はははは」
 ところが、少年は至極まじめだった。
「ちがうよ。そんなことは、目でみなくたって、おれには、ちゃんと分かるんだよ」
「なに、目でみないでも分かるって、馬鹿なことをいうものでない。いいからもうだまっておいで」
 太刀川は、石少年が透視術みたいなことをいうので、ちょっと気味が悪かった。だが、ケント老夫人のことを男だなんて、そんな当りの悪い透視術は、もうたくさんだとおもった。
 だが、はたして彼の考えた如く、石少年の言葉はまちがっていたであろうか?
 無電室では、四人の係員たちが、器械の前にすわりこんで、耳にかけた受話器の中に相手無電局の電波を、しきりに探しもとめている。
 天候状態は、つづいて悪かった。
 そこへダン艇長が、顔をこわばらして入ってきた。
「どうだ。まだ入らないか」
「マニラはやっと入りました。しかしニューヨークの本社が、さっき入りかけて、また聞えなくなってしまいました」
 通信長が答えた。
「マニラの気象通報は、どうだった」
「あっちも、悪いそうです。北々西の風、風速二十メートルだといってました」
「そうか」
 艇長は、それだけいって唇をかんだ。
 その時、一番奥の器械の前についていた通信士が、両耳受話器に手をかけながら、こっちをふりむいた。
「通信長。ニューヨーク本社が出ました」
「なに、本社が出た。それはお手柄だ」
 通信長は、竹竿をつないだような細い体を曲げて、奥へとんでいった。そして別の受話器を耳にかけた。
「はあ、はあ、ダン艇長がいま出ます」
「おお、本社が出たか」
 ダン艇長の頬に血の色が出た。
「ああ本社ですか」
 艇長の声は、上ずっていた。
「なに、専務ですか。いや、しばらくでした。ところで、例の二人組の共産党員ですがね、こっちじゃ分からなくって困っています。これにのりこんだことは、たしかなのでしょうね」
 しばらく艇長の声がとぎれた。
「ははあ、そうですか。すると、たしかに乗っているわけですね。では、そっちにその二人の人相書かなんかありませんか。ええ、何ですって。写真、それは素敵です。では、すぐその写真を電送して下さい。こっちの用意をさせますから」
 艇長は、まっ赤に興奮している。
「おい、写真電送で、二人の顔を送ってくる。すぐ受ける用意をしたまえ」
「はい」
 通信士は、スイッチをひねって、写真電送のドラムを起動した。このドラムの中に、薬品をぬった紙が入っていて、向こうから送る電波によって、一枚の写真が焼きつけられるのだ。
「は、用意ができました」
「もしもし、本社ですか。用意ができました。写真をすぐに送ってください」
 まもなくジイジイジイと、写真を焼きつけるための信号が入ってきた。もうあと十分たてば、写真は出来あがるのである。ケレンコの顔もリーロフの顔も、すっかり分かってしまうのだ。
 なんというすばらしい文明の利器であろうか!
 艇長はじめ通信係の一同は、ジイジイジイと廻るドラムの上を、またたきもせず、見つめている。やがてドラムの中に焼きあがる写真は、そもどんな顔をしているであろう。
 一分、二分、三分――誰一人、声をだす者もない。
 その時だった。
 この無電室の入口の扉が、音もなくすーっと細目にあいた。室内の者は、誰も気がつかない。
 その扉の間から、ぬーっと現われたものがある。
 あ、ピストルの銃口だ!
 ピストルの銃口は、しずかに室内の誰かを狙うものの如くぴたりととまった。ピストルを握るのは、膏薬《こうやく》をはりつけた汚い手だった。指が引金にかかった。
 とたんに、ドン! 轟然たる銃声!


   おそわれた無電室


 パーン!
 ピストルの音が、びりっと無電室の壁をゆすぶった。
「あ!」
 ダン艇長は、身をかわしつつ、うしろの扉をふりかえった。
 扉がすこしばかり開いている。その間から、ぬっとピストルの銃口がでている。
 ――と、たてつづけに、パーン、パーン。
 カーンと金属的な音がした。
 と思ったら、いままでジイジイと鳴っていた写真電送の器械が、ぷつんと、とまってしまった。
(あ、やられた)
 艇長が叫んだとき、
「うーむ!」
 と、くるしそうな、うめきごえをあげて、今まで器械の前に、両肘をついていた通信士の体が、横にすーっとすべりだした。
「おお、撃たれたか!」
 艇長が、おもわずその方へ走りよろうとしたとき、通信士の体はぐにゃりとなって、椅子もろとも、はげしい音をたてて、床にころがった。
 つづいてパン、パン――
 ぴゅーんと、艇長の頬をかすめて、弾は窓をつらぬき、外へとびだした。
「うー」
 艇長は、うめいて、ぴたりと床にはらばった。何やつだと思った時、
「動くな。動けば、命がないぞ!」
 聞きなれない太いこえが、ダン艇長の頭のうえからひびいた。
 艇長は、勇気をふるって、首をうしろにねじむけた。と、その時、
「ああ、――」
 艇長の目はレンズのように丸くなった。
 彼は一たいそこに何を見たか。
 一挺のピストルを握った膏薬《こうやく》ばりの手!
 その手は、まぎれもなくあの老夫人、乗客ケント老夫人の手だった。
 いや、姿は老夫人であったけれど、その鼻の下には、赤ぐろい髭がはえていた。大きな膏薬がはがれて、その下からあらわれたのである。
 変装だった。
「一たい、き、貴様は何者だ!」
 ダン艇長は、さすがに勇気があった。
「なんだ。おれの名前を聞きたいというのか。ふふん頭のわるいやつだ」
 と老夫人にばけていた男は、にくいほど落ちつきはらって、無電室にはいり後の扉《ドア》をしめた。そしてピストルを、ぐっとダン艇長の鼻さきにつきつけ、
「写真電送をうけるのが、も少し早かったら、君は、おれのりっぱな肖像を、手に入れたことだろう。いや、そうなっては、こっちが都合が悪かったんだ。いや、きわどいところだったよ。あっはっはっ」
「なに! じゃ貴様は、例の二人組の共産党員の片われ?」
「ほほう、いまになって、やっと気がついたのか。名のりばえもしないが、君がしきりに探していた共産党太平洋委員長のケレンコというのは、おれのことだ。忘れないように、よく顔をおぼえておくがいい」
 彼は、頭からすぽりと、かぶっていた頭巾《ずきん》をかなぐりすてた。
「あ、ケレンコ! うーん、貴様がそうだったのか!」
 ダン艇長は、ぶるぶると身ぶるいしながらも、ケレンコ委員長のむきだしの面構《つらがまえ》を見た。
 大きな高い鼻、太い口髭、とびだした眉、その下にぎろりと光る狼のような目!
 勝ちほこるケレンコ委員長のにくにくしいうす笑!


   仮面をぬいだ悪魔


「おい、立て!」
 ケレンコはどなった。
「聞えないのか。立てというのに」
 ケレンコは、ピストルを握りなおして艇長につきつけた。
 艇長は、いわれるままに、するほかはなかった。
「こんどは、両手をあげるんだ」
 ケレンコがつづけざまにいうので、
「貴様は、この艇長の自由をしばって、どうしようというのか」
「どうしようと、おれの勝手だ。文句をいわずに手をあげろ、四の五のいうと命がないぞ」
「なに、命がない? 馬鹿をいうな。艇長を殺すことは、貴様も一しょに死ぬことだぞ。艇長がいなくなって、このサウス・クリパー号が安全に飛行できると思うか。それに――」
「それにどうした」
「わが艇員は、貴様のような無法者をそのままにしておかないだろう。無電監視所が変事《へんじ》をききつけて、いまに救援隊がかけつけて来る」
「うふふふ。何をほざく。貴様のうしろを見ろ、無電装置が、ピストルの弾で、こわされているのに気がつかないのか。そんなことに、手ぬかりのあるケレンコ様か」
「え――」
 艇長がふりかえってみた。はたして無電装置の真空管が、むざんにも撃ちぬかれて、こわれていた。
(ああ、艇員たちは、一たい何をしているのだ。艇内が、エンジンの音でやかましいといっても、あのピストルの音が聞えないはずがない)
 そのとき、とつぜん扉の向こうにはげしい銃声がきこえた。
「あ、あれは――」
 艇長がおもわずさけんだ。
「ほう、やっているぞ。艇長さん。あれが耳にはいったかね」
 ケレンコ委員長は、にやりと笑って、艇長の方を見た。
「なんです。あの銃声?」
「うふ、そんなに知りたいのかね
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