「うーい。日本攻略は攻略、戦争は戦争。酒は酒ですぞ。リーロフは、戦闘にかけちゃ、ふん、お前さんたあ、第一この腕がちがうよ」
 そういっている相手は、やっぱり副司令のリーロフ大佐だった。
「無礼なことをいうな。よし、ただ今かぎり、貴様の副司令の職を免ずる」
「なに、副司令の職を免ずる」
 酔った勢いも手つだって、リーロフも負けていない。
 とつぜん椅子がたおれ、靴ががたがたとなる音がきこえた。司令官ケレンコとリーロフ大佐とが、日本攻略を前に、大喧嘩をはじめたのだった。


   鍵を掏《す》る神


 クイクイの神様こと三浦須美吉を引きたててきた衛兵長は、司令官の前で、工合のわるいことになった。
 ケレンコ司令官とリーロフ大佐が、扉の向こうでつかみあいを始めたからである。室内に入るに入れず、そうかといって、このままひきかえすわけにもいかない。
「えッへん」
 衛兵長は、わざと大きな咳ばらいをした。
「ええ、司令官閣下、ただ今わが海底要塞に怪人物が三人、しのびこんでいるのを発見しましたぞ。私が引っとらえて、ここへつれてきましたが、ものすごい奴であります」
 衛兵長じまんの、大声がケレンコの耳に入らないはずはなかった。
「おい、リーロフ。しずかにしろ」
 司令官は、リーロフ大佐になぐられた頤《あご》を、いたそうにさすりながら、大佐に目くばせした。
(われわれ二人の格闘は一時休戦だぞ――)
「な、なにを、……」
 リーロフ大佐は、床にたおれたまま歯をむきだして、どなった。たった今、ケレンコ司令官から、副司令の職をはぎとられたことが、大いに不平でならないのだ。
 だが、喧嘩はとにかく一時おさまったらしいので、衛兵長は、室内へはいった。
「司令官閣下。この男です、監禁室にあてた倉庫の中から、とびだしてきた奴は」
 そういって、クイクイの神様の背中を、どんと前についた。
「ほう、この髭《ひげ》もじゃか」と、ケレンコは目をみはって、
「ところで衛兵長、お前は、三人のあやしい男を発見したとかいったが、あとの二人はどうしたのか」
「はい、二人はその場で、鉄砲でうちたおしてあります。ご安心ください」
「おお、そうか」
 と、司令官はうなずき、クイクイの神様の方にむいて、
「おい、髭もじゃ。貴様は、何者だ。又どうして、こんなところへはいりこんだのか」
 クイクイの神様である三浦須美吉には、ことばは通じなかった。彼は、そんなことはかまわず、
「ああ、ゼウスの神よ、奇蹟をもたらせたまえ」
 妙な言葉をとなえて、上目づかいに天井をみあげた。
「ああ神よ、床にはうこの牛男が、奇蹟をもたらすといいたまうか」
 牛男というのは、酔っぱらいのリーロフ大佐のことだった。クイクイの神様は、つと手をのばして、リーロフの服にさわったかと思うと、ぎゃっとさけんで、掌のうちに一箇の鶏卵をぬきとった。
「おお、牛男は、卵を生んだ」
 クイクイの神様は、あきれ顔のリーロフ大佐の掌に、いま彼の服からぬきとった卵をのせてやった。
「あれ、この髭もじゃ先生、おれの体から卵を、ぬきだしやがったぜ。これは、ふしぎだ」
 リーロフは、目をまるくして、掌のうえにのっている卵をみていたが、
「おお、ほんとうの卵だ。この海底要塞の中で、卵にお目にかかるなんて、たいへんな御馳走にありついたものじゃ」
 ケレンコ司令官をはじめ、その場にいあわせた将校や兵士も、クイクイの神様の手なみにあっけにとられている。
「ああ神よ。次なる奇蹟は、こっちのいかめしき鮭男から、下したまえ」
 クイクイの神様は、こんどはくるりと後へむいて、手を衛兵長の腰のあたりにさしのばした。
「これ、そばへよるな」
 衛兵長が、たじたじとなる刹那《せつな》、
「ええい!」
 クイクイの神様は、衛兵長の腰のあたりから、また一箇の鶏卵をぬきだして、その掌のうえにのせてやった。
「おお、神の力は、広大無辺である」
「あれ、いやだねえ。とうとうわしは卵を生むようになったか」
 衛兵長は、掌にのせられた卵を、気味わるそうにながめつつ、大まじめでいった。
 そばに立っていた将校や兵士が、くすくすと笑った。
 クイクイの神様になりすました三浦須美吉は、してやったりと、心の中でにやりと笑った。こんなことはなんでもない。ほんのちょっとした手品にすぎない。卵は、島で仕入れ、服の下にかくしておいたものである。
「こら、さわぐな」
 ケレンコ司令官が、にがにがしそうにどなった。
「子供だましの魔術をつかうあやしい男だ。だが明日の行動について、これから幕僚会議をひらくから、この男のとりしらべは後まわしだ。向こうへつれていって監禁しておけ」


   司令官室の激論


 室の外へつれだされて、クイクイの神様こと三浦須美吉は、(ほい、しめた)
 と、思った。
 もうこの司令官室に用はないのだ。彼の掌の中には、衛兵長のポケットから、すりとった一個の鍵がかくされていたのである。卵を出すとみせて、手さきあざやかに、この鍵をすりとったのだ。
 この時、床のうえに寝そべっていたリーロフ大佐が、むくむくとおき上った。そして司令官には、目もくれないで、部屋を出ていこうとする。
「おい、リーロフ大佐。どこへいく」
「どこへいこうと、おれの勝手だ」
「いっちゃならん。日本進攻を前にして最後の幕僚会議を開こうというのに出ていくやつがあるか」
「副司令でもないおれに、会議の御用なんかまっぴらだ。おれはおれの実力で自由行動をとる。あたらしい副司令には、太刀川時夫を任命したがいいだろう」
「なにをいうんだ。リーロフ、少し口がすぎるぞ、貴様は、明日のことをわすれているのか。われわれが、スターリン(ソビエトの支配者)の命令をうけ、これだけの時間と労力と費用とをかけて、この海底大根拠地をつくったのは何のためであったか。明日こそいよいよ恐竜型潜水艦をひきいて、日本艦隊を屠《ほふ》り去り、そして東洋全土にわれわれの赤旗をおしたてようという、多年の望がかなう日ではないか。その明日を前にして、貴様のかるがるしい態度は、一たいなにごとか」
「いや、おれはケレンコ司令官の戦意をうたがっているのだ。いつも、口さきばかりで、今まで一度も言ったことを実行したことがないではないか。君は、要塞の番人にあまんじているのだ。ほんとうの戦闘をする気のない司令官なんか、こっちでまっぴらだ」
「リーロフ大佐、何をいう。近代戦で勝利をおさめるのに、どれほどの用意がいるかを知らないお前でもないだろう。ことに相手は、世界に威力をほこる日本海軍だ。われわれはどうしても今日までの準備が必要だったのだ」
「ふふん、どうだか、あやしいものだね。君がやらなきゃ、おれは今夜にも、恐竜型潜水艦で、東京湾へ突進する決心だ。なあに、日本艦隊がいかに強くとも、東京湾の防備が、いかにかたくとも、あの怪力線砲をぶっとばせば、陸奥《むつ》も長門《ながと》もないからねえ。いわんや敵の空軍など、まあ、蠅をたたきおとすようなものだ」
 リーロフ大佐は、いよいよ鬼神のような好戦的な目をひからせる。
「おい、リーロフ。それほど何もかもわかっている君が、なぜ目先のみえない乱暴なふるまいをするのか」
「おれは、日本艦隊を撃滅するのをたのしみに、はるばるこんな海底までやってきたんだ。勝目は、はじめからわかっているのに、いつまでもぐずぐずしている司令官の気持がわからない。明日攻撃命令を出すというが、ほんとうか、どうか、いつもがいつもだから、あてになるものか」
 ケレンコ司令官は、リーロフ大佐のことばを、腕組して、じっときいていたが、やがて顔をあげ、
「よし、わかった。君の心底は、よくわかった。余が君を副司令の職から去ってもらおうとしたのは、大事を前にして、粗暴な君に艦隊をまかせておけないと思ったからだ。君がそれほど戦意にもえているのなら、今後は、粗暴なことをやるまい。なにしろ明日になれば、わが全艦隊は出動して、余も君も、ひたむきに太平洋の水面下を北へ北へと行進するばかりだからね」
「わたしもというと……」
「リーロフ大佐、君をあらためて副司令に任命するのだ」
「なんじゃ。それは、ごきげんとりの手か」
「いつまでも、ばかなことをいうな」とケレンコ司令官は、リーロフをたしなめて、
「そのうえ、もう一つ重大任務をさずける。これを見ろ」
 と、ケレンコ司令官は、テーブルの上の海図を指し、
「わが海底要塞に、今ある潜水艦は、三百八十五隻だ。余はそのうち二百五十五隻をひきいて、これを主力艦隊とし、大たいこの針路をとって、小笠原群島の西を一直線に北上する」
「ふん。そこで、のこりの百三十隻の潜水艦は?」
「その百三十隻をもって、遊撃艦隊とし、われわれよりも先に出発させ、針路をまずグァム島附近へとって、日本艦隊をおびきよせ、そのあたりで撃滅し、次に北上を開始し、紀淡海峡をおしきって、瀬戸内海をつくんだ。そのうえで、艦載爆撃機をとばせて、大阪を中心とする軍需工業地帯を根こそぎたたきつぶしてしまう」
「ふふん。話だけはおもしろい。この遊撃艦隊をひきいていく長官は、誰だ。もちろん、わたしにそれをやれというんだろう」
 リーロフ大佐は、先まわりをしていった。ケレンコ司令官は、いかめしい顔つきで、ぐっとうなずき、
「そのとおりだ。遊撃艦隊司令長官リーロフ少将だ。そうなると、君は提督だぞ。これでも君は、人をうたがうか。いやだというか」
「わたしは少将で、そっちは太平洋連合艦隊司令長官兼主力艦隊長官ケレンコ大将か。ふん、どうでも、すきなようにやるがいい」
 リーロフのことばは、どこまでも針をふくんでいる。
「さあ、そうときまったら、むだないさかいはよして、すぐに最後の幕僚会議だ。さあさあ、全幕僚を招集してくれ」
 ケレンコ司令官は、リーロフの気を引きたてるように、うながした。


   戦闘開始


 ケレンコ司令官の部屋で、会議がはじまった。
 テーブルの上の大海図を前に、おもだった者が、額をあつめて、作戦にふける。
 そこへ、監視隊からの、無電報告が、つぎつぎとしらされて来る。
「ただ今、十日午後六時。北北西の風。風速六メートル。曇天《どんてん》。あれ模様。海上は次第に波高し」
「よろしい」
 だが、しばらくすると、おどろくべき報告がはいってきた。
「……日本第一、第二艦隊は、かねて琉球附近に集結中なりしが、ただ今午後六時三十分、針路を真東にとり、刻々わが海底要塞に近づきつつあり。彼は、決戦を覚悟せるものの如し」
「ほう、日本艦隊もついにはむかってくるか。どこで感づいたのだろうか。いやいや、もっと見はってみないと、にわかに日本艦隊の考えはわかるまい。とにかくリーロフ提督、君のひきうける敵艦隊の行動について、ゆだんをしないように」
 と、ケレンコがいえば、リーロフは海図をながめて、無言でかるくうなずいた。
 おそろしい時が、刻一刻と近づきつつある。ケレンコのひきいる怪力線砲をもった恐竜型潜水艦隊の、おそるべき攻撃破壊力の前に、わが日本海軍が、はたしてどれほどの抵抗をみせるであろうか。
 この時、快男児太刀川時夫は、一たい、どうしていたか。
 ――われわれは、目をうつして彼が両脚をしばられて、とじこめられている部屋をのぞいてみよう。
 太刀川は、どうしたのか、脚をしばられたまま、床のうえに、うつぶせになって、たおれている。床のうえに、血が一ぱい流れている。あっ、足がつめたい。
 太刀川は、ついにやられてしまったのか。
 いや、待った。彼の顔を、横からみると、どうもへんだ。たしかにソ連人の顔である。ソ連人が、太刀川のかわりに、両脚をしばられて死んでいるのである。
 そのとなりにたおれているのは、ダン艇長らしくしてあるが、これもやはりソ連兵だ。その向こうにころがっているロップ島の酋長ロロらしいのも、よくみると酋長の腰布が、藁たばの上にふわりとおいてあるばかりだ。
 もちろんクイクイの神様もみえない。みんな、どこかへいってしまったのだ。一たいどうしたというのであろうか。
 この時、司令官室
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