では、そのすみにある、むらさき色のカーテンのかげから、するどい二つの目が、のぞいていたのである。室内の将校たちは、明日にひかえた作戦会議に、夢中になっていて、気がつかない。部屋の外を、がちゃりがちゃりと音をさせて歩いているのは、衛兵である。みんな安心しきっているのだ。
 このするどい目の主こそ、わが太刀川青年であった。
 彼は、全身の注意力を耳にあつめて、作戦会議の成行をうかがっているのである。
「それでは紀淡《きたん》海峡に集めないで、一隊を豊後《ぶんご》水道にまわすことにしよう。呉《くれ》軍港をおさえるのには、これはどうしても必要だ。どうだ、リーロフ少将」
 ケレンコ司令官の声だ。
「いや、おれは、紀淡海峡一本槍だ。せっかくの勢力を、いくつにも分ける作戦は、どうもおもしろくない」
 リーロフは、相かわらず、なかなか剛情だ。
 カーテンのかげの太刀川青年は、じーっと息をころして、きいている。
 それにしても彼は、どうしてこんなところへはいりこむことができたのか。――
 クイクイの神様の三浦は、たくみに衛兵長から鍵をうばうと、何くわぬ顔をしてひきたてられて行き、太刀川と同じ監禁室に入れられた。衛兵たちは、出発前夜の酒と御馳走に夢中になっていたので、三浦をほうりこむと、そのくさい部屋から、あたふたと出ていった。だから、三浦が、太刀川の足の枷《かせ》をほどくことはなんでもなかったのだ。
 太刀川と三浦とは、衛兵にうたれてきずついたダン艇長と酋長ロロのきず口に、とりあえず手当をして、ありあわせの布でしばった。
 ダン艇長は、右の腕をうたれ、酋長ロロは耳のところにすりきずをうけただけだが、二人とも、びっくりして気をうしなっていたのであった。
 太刀川が「よし!」とさけんで、立ちあがったとき、監禁室の扉《ドア》を、どんどんとたたく者があった。
「すわ、衛兵だ!」
 一同はびっくりして、その場に立ちすくんだが、太刀川は三浦に命じて扉をひらかせた。するとそこに立っていたのは、守衛のソ連兵ではなく、意外にも意外、とっくの昔に死んだものとばかり思っていた石福海少年だったのである。


   生きていた石福海


 さすがの太刀川も、これには、おどろいた。
「おう、石福海。お前、よくまあ、無事に生きていたねえ」
 石福海は、用心ぶかく、扉をしめると、太刀川をみてにっこり笑ったが、そのまますりよってきて、
「先生、今日という今日は、じつに、うまくいきました」
「なにがさ」
「この外にいる衛兵たちを、みんな眠らせてしまったのです。酒の中に、眠薬を入れておいて出しましたから、衛兵たちは、それをたらふくのんで、今しがたみんな、だらしなくころがって、眠ってしまいました。逃げるなら、今のうちですよ」
「ふーむ、そうか。石、よくやってくれた」
 太刀川は、石少年の手をつよくにぎった。
「先生、わたくしは、先生がこの要塞の中にいられることを前から知っていました。わたくしもあの日、渦にまきこまれて気をうしないましたが、気がついてみると、魔城の一室にとらえられていたのです。それから、ずっと大食堂の給仕につかわれていたのです。おしらせしたいと思ったですが、なかなか見張がきびしくて、とても近づけませんでした」
「おお、そうかそうか」
 ダン艇長たちも、この話をきいて、おどろいたり、感心したりだった。
「では、太刀川さん。今のうちに逃げだそうじゃないですか」
 ダン艇長がいった。
「いや、待ってください。どうやら今夜は、われわれにとって、このうえない好機会のようです。わが祖国のために、又世界の平和のために彼等をうちのめしてやるのには……」
「それは危険だ。一まず、カンナ島へひきあげて、それからにしては……」
「僕は、今宵ソ連兵たちが大盤ぶるまいをうけたのは、おそらく明日、太平洋へ乗りだすための前祝だと思うのです。もしそうだとすると、ぐずぐずしていたのでは、間にあいません。今夜のうちに、彼等をやっつけてしまわないと、おそいかもしれません」
「でも、このきびしい海底城を、どうすることもできないではないですか」
 ダン艇長は、太刀川のやろうとする魔城爆破を、一まず思いとどまらせようとしたが、太刀川の決心はつよかった。太刀川は、ケレンコが恐竜型潜水艦をつかって、たくさんのアメリカの艦艇を撃沈したことなど話してダン艇長をうごかした。
 彼はついに決心して、太刀川の手をにぎり、この大計画に力をあわせることをちかった。
「日本人が二人、アメリカ人が一人、中国人が一人、原地人が一人。同志はみんなで五人だ」
 と、太刀川は、いった。
 一同はまず監禁室の中をつくろうため、酔いつぶれて、寝ころがっているソ連兵をひっぱりこんで、自分等の身がわりにした。中にふらふらと抵抗して来た奴があったが、ダン艇長は、たちまちやっつけてしまった。
 太刀川等は、それからさっそく作戦を相談した。
 その結果、石福海は、監禁室につづく通路を、はり番していることになった。
 のこった四人は、二手に分かれることになった。
 クイクイの神様の三浦と、ロップ島の酋長ロロとは、太刀川からあるすばらしい秘策をさずけられると、いそいで例の秘密通路から、カンナ島へかえっていった。
 太刀川とダン艇長とは、たがいの受持をきめると、ケレンコたちが会議をしている司令官室へ向かった。
 太刀川は、司令官室の前を、行きつもどりつしている一人の衛兵に、不意にうしろからとびついて首をしめた。衛兵は、声もたてずに、ぐにゃりとなった。
 その体を、ダン艇長が横だきにして、片隅につれて行くと、その武装をそっくり頂戴して、衛兵になりすまし、なにくわぬ顔をして、司令官室の前を、行きつもどりつ、警備をしているのである。白人が白人にばけることは、やさしい。
 太刀川は、その間に、司令官室へもぐりこんだのであった。
 だが、二人は、この時、別働隊の三浦と酋長ロロがとりかかったはずの仕事の進行を、しきりと気にしていたのである。
 太刀川は、カンナ島へかえっていった三浦と酋長ロロとに、どんな秘策を、さずけたのであろうか。


   壊滅一歩前


 幕僚会議は、いよいよ熱心につづけられた。
 日本を攻略するについて、あらゆる場合が考えられ、その用意がなされていった。
 太刀川は、そのたびに、はやる心をじっとこらえた。
「七時半だ。もういいころだが」
 太刀川は、カーテンのかげから、そっとぬけでた。
「太刀川さん、いよいよあの時刻が来ましたよ」
 ダン艇長はいった。
 それから二人は、石福海が張番をしている監禁室へかけだしていった。
 太刀川は、つまれたあき樽の中に、首をさしいれて耳をすました。
 カーン、カーン。カーン、カーン。
 鉄管をたたくような音がきこえた。
 ダン艇長の耳にも、はっきりときこえた。
「いよいよ、カンナ島の用意が出来たんだ」
「じゃ。こっちからも、信号を」
 と太刀川はダン艇長に目くばせした。ダン艇長は、あき樽のうしろにもぐりこんだ。そこには、カンナ島へのぼる鋼鉄階段があったが、その階段を、ダン艇長は落ちていた鉄棒で、力一ぱいなぐりつけた。
 カン、カン、カン。――カン、カン、カン。
 三点信号だ!
 その信号は、はるか上のカンナ島の出口で、耳をすまして聞いている三浦と酋長ロロに通じたことであろう。
「さあ、もうぐずぐずしていられない。それ、始めよう」
 太刀川は、はいだしてくると、用意してあった弁当箱二つほどの大ききの火薬の導火線に、火をつけた。
 この火薬は、この海底要塞の様子をよく知っている石福海少年が、工事用の火薬置場から、もちだしたもので、導火線の長さは、時間にして、わずか十二分であった。
 三人は、導火線があき樽のかげでぷすぷすともえ出すのをたしかめたのち、室外にとびだした。そして入口の扉をぴったりしめると、太刀川の身がわりにころがっている衛兵のポケットから、鍵をとりだして、ぴちんと錠までおろした。こうしておけば、誰も、導火線のもえるこの監禁室の中にはいれない。
「あと、十一分半だ! さあ、急ごう!」
 太刀川は、ダンと石福海とをうながして、またくらい廊下をかけだした。彼等は、これからどうするつもりだろうか。カンナ島への階段をのぼっていくのかと思ったのに、彼等は自ら、その口をふさいでしまったのである。
 そこに太刀川のふかい考えがあった。すばらしい計画だったけれど、命がけの冒険であった。だがこうなれば、命を捨てることなんか、太刀川にはなんでもなかったのだ。
 太刀川は、できるなら、恐竜型潜水艦を一隻、お土産にもらっていきたかったのだが、どれも、あつい鉄扉をもった格納庫の奥ふかくしまわれてあって、なかなか引っぱりだすことができない。その鉄扉の一つを開けるにも、海底要塞の心臓部というべき中央発電所の大モーターを動かしてかからねばだめなのだ。たとえモーターをうごかして鉄扉をあけることができても、潜水艦をうごかすには専門の知識がいるので、とてもこの三人ではもって行けない。
 そこで、恐竜型潜水艦のことは思い切り、そのかわり水中快速艇をうばって逃げることにした。これなら、このまえケレンコと一しょにも乗ったし、そしていつも海底要塞の出口のところにつないであるので、なんとか手に入れることもできそうだ。あと十一分の導火線しかのこっていない今、できるだけはやく、この海底要塞から遠くへのがれるためにも、それが必要だったのである。
「あ、あれが出口だ」
 太刀川らは、やっとのことで、出口にたどりついた。
「番をしている兵がいる」
「よし、やっつけるばかりだ」
 そこの衛兵も、例の酒が体にまわっているとみえて、
「あああ、あやしい奴!」
 と、いうさけびもしどろもどろだ。太刀川の鉄拳に、脾腹をやられ、ぎゃっとたおれるところを、三人はすばやく通りぬけて、潜水服置場に走った。ここには、あきれたことに、誰もいない。今夜は、衛兵たちはみな、さっき倒した番兵一人に、一切の見張をまかせて、ふるまい酒に酔いくらっているらしい。三人はこれさいわいと、潜水服を壁からおろして、すっぼりかぶってとめ金をした。
「あ、もうあと五分だ。いそがないと、われわれの命があぶない」
 と、ダン艇長がさけんだ。
「先生、わたくしは、うごけません」
 石福海は、潜水服を着たのはいいが、体が小さいので、前へも後へもうごけなくなった。
「よし、だいてやるから、安心しろ」
 太刀川とダン艇長とが、両方から石少年をかかえて、ついに防水扉を開いて外へ出た。


   ああ太平洋魔城


 外は、海水が、海底要塞の照明灯にてらしだされてうつくしくかがやいていた。
「ああ、あそこに水中快速艇がある」
「早く、早く。あともう四分しかない。これでは、安全なところまで、逃げられないかもしれない。たいへんなことになった」
「なあに、ダン艇長。心配は、あとにして、一刻も早くとび出そう」
 太刀川は、エンジンをかけた。ハンドルをしっかりにぎつて、アクセルをふめば、水中快速艇は、矢のように走りだした。
「あと、もう二分!」
「もう一キロメートル半、遠のいた」
 あと二分のちに、なにごとか起るのであろうか。まず、監禁室にのこしておいた火薬箱が爆破するであろう。
 だが、そればかりの爆薬で、あの堅牢無比の海底要塞が、びくともするものではない。それでは……
「もうあと一分だ!」
「三浦、ロロの二人は、うまくやってくれたろうか」
 この二人は、カンナ島で、どんなことをやっていたのか。じつは、これこそすばらしい思いつきであったのだ。
 それはカンナ島の石油の利用であった。無尽蔵といわれるカンナ島の石油は、大きな油槽にたくわえられ、必要なときに、海底要塞へおくられていた。太刀川はこの話をきいたとき、この石油を、海底要塞に通ずる秘密通路へながしこむことを考えついたのである。
 秘密通路にながれこんだ石油は、どうなるか――まずあの監禁室にはいり、それから扉のすき間から外へあふれだし、やがて川のようになって、廊下をな
前へ 次へ
全20ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング