屋ならどこでもよい。それから、上等の食事に、酒をつけてな」
「は。たいへんな御馳走ですな」
「余計なことをいうな。しかし、逃げないように。もし逃がしたら、お前をはじめ衛兵隊全員、銃殺にするぞ」
「は、はっ」
 衛兵長とよばれた下士官は、それきり一言もなかった。太刀川は、引立てられた。
 リーロフ大佐は、それでもあきらめかねたか、酔眼《すいがん》をこすりながら、太刀川のそばに近づくと、たくましい腕をふりあげて、太刀川をなぐりつけようとした。
 司令官ケレンコは、それをたしなめるようににらみつけると、衛兵たちにむかって、
「早くつれていけ!」
 と命令した。


   くさい監禁室


 潜水艦が、海底要塞にかえりつくと、太刀川は、大勢の衛兵たちにつれられて、臨時一号監禁室に放りこまれた。
 そこは、どうやら、海底要塞の、ごく底の方らしく、臨時というだけあって、まるで倉庫であった。器械を入れてあったらしい木箱や、まだときもしない貨物や、酒樽みたいなものが、ごたごたと山のように積みあげてある。そのすみに、古ぼけた寝台がおいてあった。それはまだいい。たまらないのは、この部屋にみちている悪臭だった。
「あ、たまらない臭だな」
 と、衛兵長は、まっ先に顔をしかめた。
「なんだね、このむかむかする臭は」
「缶詰がくさったらしいんです。捨てろという命令が出ないので、そのままになっているんです」
 と、部下の一人がこたえた。
「これは、やりきれん。早いところ、この日本猿を片づけてしまわないと」
 衛兵長は、顔をしかめながらいった。
「日本猿を、こっちへつれてこい。鉄の足枷をはかせ、その鎖にゆわえつけとくんだ。貴様が逃げだせば、こっちの命までが、ふいになってしまうからな。しっかりゆわえておけよ」
 無言の太刀川を、五人ばかりでおさえつけると、両脚に、鉄でつくったゲートルのようなものをはかせ、その合わせ目に、ぴーんと錠をおろし、更に鉄のゲートルの穴に、二本の重い鉄の鎖を通した。その鎖のはしは、床下に、しっかりと埋っている。まるで重罪人あつかいだ。
「おい、できたか。どうもこの悪臭には、降参だな」
「もう大丈夫です。絶対に逃げられません」
「そうか。では、その方は、それでよしと、あとは飯をくわせてやれ。酒もすこしばかりつけてやれ。だがこの悪臭の中で、食えるかな」
 衛兵長が、そういいながら出ていこうとするので、五人の部下はおどろいて、
「衛兵長。どこへいくのですか」
「うん、おれはちょっと、司令官のところへ報告をしてくる。お前たちは、いいつけたとおり見はっているんだ」
 衛兵たちは、たがいに顔を見合わせてあきれた。が、衛兵長の靴音がきこえなくなると、彼等もみんな外に出た。
「ここならまだ、ましだ。この中にいちゃ、目まいがしそうだ」
「じゃおれは食物をとってくるからな」
「いや、それはおれがいこう」
「待て、おれもいく」
 衛兵たちは、先をあらそって、廊下をかけだして行った。あとには、気のよい衛兵が、たったひとりで、廊下ではり番をしている。
 太刀川時夫は、悪臭をじっとがまんしながら、ゆがんだベッドに腰を下した。祖国日本の一大事を、どうして知らせたものかと、おもいなやんでいるのだ。
「あのステッキがあればなあ」
 日本を出発するときに原大佐からもらったステッキを彼はおもいだした。クリパー艇が沈没するまでは、たしかに持っていたが、海底要塞の中にすいこまれてからこっち、ステッキはどこへいったか行方がしれないのだ。
 ぬけ出すか!
 今では、それさえ思いもよらないことになってしまった。
 太刀川が、腕をくんで思案にくれている時である。
 部屋のすみっこに積んである空樽が、人も鼠もいないのに、ぐらぐらとうごきだした。


   秘密のぬけ穴


 うごきだした樽は、ひょいと横にのいた。すると、そのあとにあいた穴から思いがけない人の顔があらわれた。まっくろな顔だった。原地人だ!
 原地人は、穴から出て来ると音をしのばせて、こっちへはいだした。と思うと後をふりかえって、手まねきをするようであった。すると、また一人、その後からあらわれた。長いひげをはやした東洋人の顔。
 つづいて、第三の顔があらわれた。これは白人だ。
 その時であった。太刀川時夫が気がついて、がばとはねおきたのは。

 彼は、とつぜん身近に、人の気はいがしたので、はねおきて、その方をじーっと見つめた。すると、天からふったか地からわいたか、部屋のすみっこに三つの思いがけない顔が、こちらを見ている。
「あ、ダン艇長」
 と、太刀川はひくくさけんで、ベッドから立ちあがった。
 ダン艇長! そうだ、その白人は、ダン艇長にちがいない。他の二人はいうまでもなくロップ島の酋長ロロと、あの手品のうまいクイクイの神様こと、実は日本人漁夫の三浦須美吉であった。
 ダン艇長も、鉄鎖でつながれている太刀川を見て、
「おお、……」
 と、いって、かけだそうとした。それを、酋長ロロと三浦須美吉が、無言でぐいとおしもどした。
 この部屋の外には、衛兵がいるのだ。もしこれが知れたら、非常警笛が鳴りひびき、同時に衛兵たちがどやどやとなだれこんで来て、四人をうむをいわさず、銃殺してしまうだろう。
 ダン艇長は、気がつくと、そーっと太刀川のそばに近づいて、
「太刀川さん。これは一たいどうしたのですか」
 といって、時夫の手を握った。
「ありがとう。これにはわけがあるが、僕は、捕虜になってしまったんです。しかしあなたがたは、どうしてこんなところへ?」
 するとダン艇長は、
「太刀川さん。これは、すばらしい探検記ですよ。だが、僕たちは、このまえ一度、あなたをみかけましたね」
「そうそう、海底の汽船が沈没していたところでしょう」
「そうです、あの時、僕はあなたを見つけたのですが、あまりのことにびっくりしたのです。実は、太刀川さん。僕はこの酋長ロロのすんでいるロップ島へながれついて、一命を助ったのです。酋長ロロは、なかなかりっぱなそして勇敢な人間です。そのロップ島からすこしはなれたところにカンナ島という石油が出る島がありますが、そのカンナ島の古井戸から、この海底城(ダン艇長は海底城という言葉をつかった)へ、秘密の通路があることを知って、僕たちをつれてきてくれたのです」
 聞けば聞くほど、奇々怪々な話であった。
「その秘密通路というのは、一たい誰がつくったものですか」
 太刀川は、そう問いかえさずにはいられなかった。
「いうまでもなくこの海底城をつくった人間がつくったのです。カンナ島に、かくれた石油坑があればこそ、この海底城に、電灯がついたり、ポンプがまわったりしているのです」
「なるほど」
 太刀川は、その大がかりなのに、今さらのように感嘆した。
 その時、クイクイの神様こと、三浦須美吉が、前へのりだしてきて、太刀川の腕をとった。


   日本人同士


(こいつ、なにをするんだろう)
 太刀川は、クイクイの神様が、指さきで、腕をこするので気味わるく思ったが、ふと、
(おや、なにか字を書いているようだぞ!)
 気がついた。よく見ると、それは日本の片仮名だった。
「アナタハ、ニッポンジンカ。ワタクシモ、ニッポンジンダ」
「ほほう、……」
 と、太刀川はおどろいて、クイクイの神を見なおした。
「僕は日本人で、太刀川時夫というんだ。君は誰だ」
「ああ、やっぱりあなたも日本人!」
 クイクイの神様は、いきなり太刀川にすがりついた。
「うれしい。こんなところで日本人に会うなんて、まったく夢のようです。ダン艇長が、あなたのことタツコウとよぶので、フィリピン人かと思っていたんです。よかった。わたしも日本人、三浦須美吉という者です」
「え、三浦須美吉」
 こんどは太刀川の方が、おどろいた。
「じゃ、君が三浦須美吉君か」
「そうです。あなたはどうしてわたしの名前を……」
「知っているとも、僕は、君が海中へ流した空缶の中の手紙によって、はるばる大海魔を探しに来たのだ。それにしても君はよく生きていたね」
 二人の日本人は、手に手をとって、うれしなきだ。さっきからいぶかしそうに見ていたダン艇長と酋長ロロも、それと気がついて、ふしぎなめぐり合いにおどろいた。
 太刀川は、今までのことを手みじかに話した上、このおそるべき海底要塞の日本攻略準備がなった以上、これを一刻も早く日本へ知らせなければならぬと語った。
「よく、おあかし下さいました。私も、死んだつもりで、祖国日本のために働きます」
 三浦須美吉は、体をふるわせて、太刀川の前にちかったが、足もとの鉄の鎖に気がつくと、ダン艇長、酋長ロロに、
「早く」
 というように目くばせして、鉄の鎖を、ぐいとひっぱった。鎖が、がちゃりとなった。


   銃声


 廊下にいた衛兵が、それに気がついた。
「おや」
 と思ってのぞくと、この有様だからぴりぴりぴりと、警笛をならした。
 酋長ロロは、腰をぬかし、三浦は、立ちすくんだ。ダン艇長は、腰におびていたピストルを手にとって、身がまえる。
 とたんに、轟然たる銃声がひびいた。
「うーん」
 と、さけんだのは、ダン艇長だった。彼の体は、後にのけぞって、どすんと床にころがった。衛兵が、真先にねらい撃ったのである。
「ひゃー」
 と、酋長ロロは、こんどは腰がはいったのか、ぴーんととびあがった。
 そこをまた、だーんと一発!
 ぎゃっという妙な悲鳴、酋長ロロも、そこへたおれてしまった。そのつぎは、三浦須美吉と、太刀川時夫だ。
 衛兵は、銃口を三浦の方へむけた。
「あっ、あぶない。三浦君、そこへ伏せ」
 太刀川は、さけんだ。
 ところが三捕は、伏せをするどころか、衛兵の方をみて、げらげらと笑いだしたのである。
 衛兵はびっくりして鉄砲をひいた。よく見ると、黄いろい顔をした妙な風体《ふうてい》の男が、長いひげをひっぱりながら、こっちをむいてあはははと笑うのである。
 三浦は、気が変になったわけではない。例のクイクイの神様に、ちょっと早がわりをしただけのことである。神様になると、妙に気がおちつくのであった。
「待て、ポーリン」
 という声とともに、入口に、どやどやと足音がきこえたが、いきなりとびこんできたのは、衛兵長であった。
 クイクイの神は、すばやく両手をあげて、降参の意をしめした。
「生き残ったのは、こいつだけか」
 と衛兵長は、いって、
「おい、ポーリン。しばっちまえ」
 と、命令した。
 三浦がしばられている間に、部下の衛兵たちは、ぞくぞくあつまってきた。
「こいつら、一たいどこからまぎれこんだのだろう。それとも、前から、この要塞の中にいたのかな。どうもふしぎだ」
 衛兵長は、つぶやいて、
「とにかく司令官のところへ、こいつを引立てよう。さあ、歩け。この長ひげめ!」
 三浦は、衛兵長に腰をけられて、いやいやながら歩きだしたが、その時、とつぜん、妙な節まわしで、唄をうたいだした。
「いまにイ、たすけるかーら、たんきを、だアすナ」
 それは三浦のとくいな磯節だった。
 太刀川は、それをきくと、三浦の方に向かって、自分の足を指さし、
「君をけとばした奴が、鍵をもっている!」
 といった。日本語だから誰にも分かるはずがない。うまくいったら、鍵をとってくれというのだが、すこぶる無理な注文である。
 三浦が、引立てられていったところは、司令官室であった。
 しかし一同は、衝立《ついたて》のかげで、しばらく待っていなければならなかった。
 というのは、奥で、しきりにケレンコ司令官のあらあらしい声が聞えているからであった。
「……日本攻略の日は、明朝にせまっているのに、貴様は、酒ばかりのんでいる。少しつつしみがたりないではないか」
 その声は、三浦に聞えたが、ロシア語だからその意味を知ることはできなかった。もし太刀川が、これをきいたとしたら、どんなにおどろいたろう。一たいあの恐竜型潜水艦に勝てるような防禦兵器が、わが日本にあるのだろうか。
 危機は、もう目と鼻との間にせまっているのだ。
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