、ことばは通じなかった。彼は、そんなことはかまわず、
「ああ、ゼウスの神よ、奇蹟をもたらせたまえ」
 妙な言葉をとなえて、上目づかいに天井をみあげた。
「ああ神よ、床にはうこの牛男が、奇蹟をもたらすといいたまうか」
 牛男というのは、酔っぱらいのリーロフ大佐のことだった。クイクイの神様は、つと手をのばして、リーロフの服にさわったかと思うと、ぎゃっとさけんで、掌のうちに一箇の鶏卵をぬきとった。
「おお、牛男は、卵を生んだ」
 クイクイの神様は、あきれ顔のリーロフ大佐の掌に、いま彼の服からぬきとった卵をのせてやった。
「あれ、この髭もじゃ先生、おれの体から卵を、ぬきだしやがったぜ。これは、ふしぎだ」
 リーロフは、目をまるくして、掌のうえにのっている卵をみていたが、
「おお、ほんとうの卵だ。この海底要塞の中で、卵にお目にかかるなんて、たいへんな御馳走にありついたものじゃ」
 ケレンコ司令官をはじめ、その場にいあわせた将校や兵士も、クイクイの神様の手なみにあっけにとられている。
「ああ神よ。次なる奇蹟は、こっちのいかめしき鮭男から、下したまえ」
 クイクイの神様は、こんどはくるりと後へむいて、手を衛兵長の腰のあたりにさしのばした。
「これ、そばへよるな」
 衛兵長が、たじたじとなる刹那《せつな》、
「ええい!」
 クイクイの神様は、衛兵長の腰のあたりから、また一箇の鶏卵をぬきだして、その掌のうえにのせてやった。
「おお、神の力は、広大無辺である」
「あれ、いやだねえ。とうとうわしは卵を生むようになったか」
 衛兵長は、掌にのせられた卵を、気味わるそうにながめつつ、大まじめでいった。
 そばに立っていた将校や兵士が、くすくすと笑った。
 クイクイの神様になりすました三浦須美吉は、してやったりと、心の中でにやりと笑った。こんなことはなんでもない。ほんのちょっとした手品にすぎない。卵は、島で仕入れ、服の下にかくしておいたものである。
「こら、さわぐな」
 ケレンコ司令官が、にがにがしそうにどなった。
「子供だましの魔術をつかうあやしい男だ。だが明日の行動について、これから幕僚会議をひらくから、この男のとりしらべは後まわしだ。向こうへつれていって監禁しておけ」


   司令官室の激論


 室の外へつれだされて、クイクイの神様こと三浦須美吉は、(ほい、しめた)
 と、思った。
 もうこの司令官室に用はないのだ。彼の掌の中には、衛兵長のポケットから、すりとった一個の鍵がかくされていたのである。卵を出すとみせて、手さきあざやかに、この鍵をすりとったのだ。
 この時、床のうえに寝そべっていたリーロフ大佐が、むくむくとおき上った。そして司令官には、目もくれないで、部屋を出ていこうとする。
「おい、リーロフ大佐。どこへいく」
「どこへいこうと、おれの勝手だ」
「いっちゃならん。日本進攻を前にして最後の幕僚会議を開こうというのに出ていくやつがあるか」
「副司令でもないおれに、会議の御用なんかまっぴらだ。おれはおれの実力で自由行動をとる。あたらしい副司令には、太刀川時夫を任命したがいいだろう」
「なにをいうんだ。リーロフ、少し口がすぎるぞ、貴様は、明日のことをわすれているのか。われわれが、スターリン(ソビエトの支配者)の命令をうけ、これだけの時間と労力と費用とをかけて、この海底大根拠地をつくったのは何のためであったか。明日こそいよいよ恐竜型潜水艦をひきいて、日本艦隊を屠《ほふ》り去り、そして東洋全土にわれわれの赤旗をおしたてようという、多年の望がかなう日ではないか。その明日を前にして、貴様のかるがるしい態度は、一たいなにごとか」
「いや、おれはケレンコ司令官の戦意をうたがっているのだ。いつも、口さきばかりで、今まで一度も言ったことを実行したことがないではないか。君は、要塞の番人にあまんじているのだ。ほんとうの戦闘をする気のない司令官なんか、こっちでまっぴらだ」
「リーロフ大佐、何をいう。近代戦で勝利をおさめるのに、どれほどの用意がいるかを知らないお前でもないだろう。ことに相手は、世界に威力をほこる日本海軍だ。われわれはどうしても今日までの準備が必要だったのだ」
「ふふん、どうだか、あやしいものだね。君がやらなきゃ、おれは今夜にも、恐竜型潜水艦で、東京湾へ突進する決心だ。なあに、日本艦隊がいかに強くとも、東京湾の防備が、いかにかたくとも、あの怪力線砲をぶっとばせば、陸奥《むつ》も長門《ながと》もないからねえ。いわんや敵の空軍など、まあ、蠅をたたきおとすようなものだ」
 リーロフ大佐は、いよいよ鬼神のような好戦的な目をひからせる。
「おい、リーロフ。それほど何もかもわかっている君が、なぜ目先のみえない乱暴なふるまいをするのか」
「おれは、日本艦隊を撃滅する
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