しかに人の血とおもわれるもので、汚れていることだった。血に染まった指の跡が、点々としてついている。そしてそこには鉛筆で、走書《はしりがき》がしてある。その筆跡は、いかにもたどたどしい。たどたどしいというよりも、気がかーっとしていて、夢中に鉛筆を走らせたといった文字だ。それをひろって読んでみると、こんなおどろくべきことが書いてあった。
“――十二日アサ、海ノ色、白クニゴル。ソレカラ一時間ノチ、左舷前方ニトツゼン大海魔アラワレ、海中ヨリ径一メートルホドノ丸イ頭ヲモタゲ、ミルミル五十メートルホドモ頸ヲノバシタ。ランランタル目、ソノ長イ体ハ、波ノウエヲクネクネト四百メートルモ彎曲シ、アレヨアレヨトオドロクウチ、口ヨリ火ヲフキ、鉄丸ヲトバシ、ワガ船ハクダカレ、全員ハ傷ツキ七分デ沈没シタ。カタキヲタノム。ノチノショウコニ、ワガ足ノ傷グチカラ、破片ヲヌキダシ、コノ缶ニイレテオク。第九平磯丸、三浦スミ吉、コレヲシルス”
 なんというおどろくべき遭難報告であろう。だが、ここに書いてあることが、にわかに信じられるだろうか。大海魔があらわれ、首を五十メートルももたげ、波のうえにのびた身長が四百メートルもあったなどとは、本当のことだと信じられるだろうか。これでは、まるで昔のお伽噺《とぎばなし》に出てくるような大海蛇そっくりである。この科学のさかんな世に、誰がそんなばかばかしい海魔を信ずることができるだろうか。新しい海の学問をおさめた太刀川時夫には、ほらばなしとしかうけとれなかった。
「これはいたずらずきの者が書いた人さわがせの手紙ではないのでしょうか」
 太刀川は、思っているままを、原大佐にいった。大佐は、首をかるく左右にふって、
「ところが、そうも考えられないのだ。第一それを書いた第九平磯丸という船は、たしかに船籍簿にのっているし、船の持主のところへいって調べると、たしかに漁にでているとのことだった。また三浦須美吉という漁夫もたしかに乗りこんでいったそうで、このへんのことは、実際とよくあうのだ。するとこの手紙は本当のようにおもう」
「原大佐は、そんな魔物が、太平洋に棲んでいるとおもわれるのですか」
「だから君を呼んだのだ」
 と原大佐は、きっぱりいった。
「私をお呼びになって、それでどうなさるおつもりなんですか」
「ひとつ君にくわしく調べてきてもらおうと思うのだ」
「化物《ばけもの》探検
前へ 次へ
全97ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング