の中に漬っていたのだそうで、時間も三十時間ぐらいしか経ってないということだった。
僕はこの解剖の終了するまでのうち、一番気もちわるく感じたのは、この解剖前の屍体を見ているときだった。それはどういうわけだか分らない。とにかく遠くの方から、脳貧血という魔物が、しのび足に寄って来て、すぐ背後のところでニヤニヤと笑っているような感じだった。いつぶっ倒れるかしれないといった不安が、僕を脅かした。このまま室を出ていった方が恥を曝《さら》さないですむぜ、と囁く声が聞えるようであった。
でも、折角《せっかく》ここまで怺《こら》えたのである。しかも僕とても、将来このような人体を対象として研究をつづけなければならぬ職をもつ身ではないか。そう思うと、このまま出てゆくことが躊躇せられるのであった。
「いよいよいけなくなったら、この階段に横にゴロリと寝てしまおう」
僕はそう思った。
そうこうしているうちに、警察医はもうすっかり身仕度をととのえた。襯衣《シャツ》を肘の上までまくり上げ、手には長いゴム手袋をはめ、その上にまたもう一つ、白い絹らしい布で出来た手袋をはめていた。そして胸には、白い手術着をつけた。
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