をした。「オッサン、ゲイ・キャバレロを謳《うた》っとくれよ!」なんと中学生が、一座の喧騒裡《けんそうり》にわめいても、よくその意味が通ずるとみえ、ロボット君は「よし来た。じゃ日本語訳の方で、二村定一ばりでやろうかな、アア」なんて、達者なところを見せた。ところが、あれは、インチキ・ロボットで(宮里《みやざと》さん、もうバラしても差支《さしつか》えないでしょうな、ようがすか、バラしちまいますぜ)、カーテンのうしろに若い男が居て、有線電話式にロボットの代りにきいたり、喋ったりしていたのである。僕が科学画報の宮里さんに連れられて初日の四時頃行ったときには、ロボット先生出てこなかった。宮里さんが、きいてみると、ロボット先生は一日喋りつづけたので、すっかりへたばってしまったのだそうで、無限精力のはずのロボットが、へたばるなんて、面白いなと大笑いをしたことであった。
* *
人造人間のもう一つの仕掛けは、光を感じて、機械が前にのべた音の場合と同じように働き出すことである。これは、眼の内側などに、光電管があって、光が来ると、それがために電流を生ずるもので、その電流は増幅され、前にのべたように、機械の方へ行くのである。
これだけの複雑な機械が入っているから、人造人間の腸《はらわた》は、まことにゴチャゴチャと入りくんだものである。
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人造人間は、将来どうなるのであろうか。
これについては、僕は、遺憾《いかん》ながら、人造人間が、人間に代って、いろいろの職業につき、人間は、ますますする仕事が無くなって来るであろう、随《したが》って、労働問題など、今日とは別な意味で論議せられることになり、社会状態は驚くべき変化をするであろうと思うのである。
計算してみると、今日、人造人間を一人作るのに、費用が一万円はかかると思う。しかし将来はもっと安くなり、一人が一千円見当になり、簡単な人造人間なら、ラジオの受信機を組立てるように、キット一組が百円位で出来るようになる時代が、必ず来るにちがいないと、敢えて断言して置く。人造人間は、飽《あ》いたり、倦《う》むことを知らないし、着物を欲しがるわけでもなく、食事をとらぬ。ただ入用なのは、人造人間を動かす動力だけである。これは今日では電灯線からとれる交流を使うことにすれば随分安い。将来は、電波などを使うことになろう。すると、その費用などは、いくらもかかりはしないのである、ここまで申せば、何故《なにゆえ》に、人間の仕事が無くなるのであろうか、合点《がてん》が参られることと存ずる。
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戦争なども、生きた兵士を使うことが止められて、人造人間がドシドシ出征することになるであろう。
人造人間は、電波で完全に操縦が出来るようになろう。その時代には、造船所の代りに、人造人間製造会社が、驚くべき繁栄をなすことであろう。人造人間の幾師団かが、突撃するうしろには、人造人間母艦(というのはおかしいが)があって、死んだ人造人間兵士を収容しては、早速修理を加え、戦線に送り出すことであろう。
こんな機械兵士の跳梁《ちょうりょう》する時代には、その破壊力も、断然強くなるはずで、その内に世界大戦争が起って、その強烈なる科学戦は、生物的人間を一人のこらず、一瞬の間に打ち殺してしまうことがないとも言えない。そうなると、人間社会の最期の日が来る。地球上の人類や生物が悉《ことごと》く死に絶えて、その後に来るものは、無魂《むこん》の機械ばかりが、活動を続けてゆく。そのときの荒涼《こうりょう》たる光景を今胸に描いてみると、頭脳《あたま》がじりじりと縮《ちぢ》まって、気が変になりそうになる。――僕は、このようなストーリーの映画を監督して作りあげ、近代人に一大警告を与えたいと思う。
底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1931(昭和6)年4月号
※「ニューヨーク」と「紐育」の混在は底本通りです。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
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